雨の日の怪
ミニマル
何でもない話
「やだなあ…なんで今日に限って…」
仕事終わり、ビルから出たわたしの目に映ったのは、一面のざあざあ降りだった。
「こんなことになるって分かってたら、傘持ってきたのに…もう。」
いっそこのまま突っ切ってやろうかと逡巡するが、この雨の中に突撃すれば風邪では済まないことは火を見るより明らかだった。
「雨宿りするか…明日も仕事なんだけどなあ…」
どう考えてもすぐに止むような雨ではなかった。最悪、タクシーを拾って帰るか…でもこんなところ、タクシーは通らないしな…
自分で言う事ではないが、ここはかなりの下町だ。タクシーが通る可能性はこの雨がすぐ止むよりも低いだろう。
『雨、凄いですね…』
不意に声が響く。誰かいるのか?とあたりを見回すと、自分の真隣に着物の女性が立っていた。その女性はとても美しかった…が、何か不気味さや気持ち悪さを感じた。
赤い着物の、黄色い帯を絞めた女性。髪は丁寧に結われており、その髪には桜を模したであろうかんざしが差してあった。手にはあおい巾着袋を持っており、中に何が入っているのかは分からないが、少し膨れていた。
いつの間にそこに、とか何のためにここに、とか色々思ったが、口に出る前にその女性が口を開いた。
『私、濡れずに行く方法知ってるんですよ…』
濡れずに行く方法?無理だろう。私は傘を持ってないし、その人も見る限りでは持っていなかった。
『よかったら…試して見ます…?』
その声にとても誘われた。自分の中の好奇心が肥大化していくのを肌で感じた。だが、すんでのところで
「いや、結構です。自分は雨が止むのを待つことにしますよ。」
そう口に出せた。当たり前のことなのに、よかった断れたと安堵感が漂った。
『あ…そうですか…』
そう言うと女性は雨の中を突き進んでいった。ほんとに濡れていなくて、ああ嘘じゃなかったんだと思った途端に、意識が遠のく。体内の温度が下がり過ぎたのか?と思ったが、今更の事だった。
薄れ行く意識が聞いたのは、小さな舌打ちの声だった。
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後日談を一つ。目が覚めたら会社の休憩室にいた。どうやら私は会社の玄関で倒れていたらしく、同僚が三人がかりで休憩室に運んでくれたらしい。
目が覚めた時にはもうあれほど降っていたのが嘘のように晴れていて、私は普通に、電車で帰った。
その、帰り。
私の通り道には学生の溜まり場があるのだが、そこでこんな話を聞いた。
「雨の日ってね、雨宿りしてる人の前に妖怪が出るんだって」
まぁ、よくある怪談話だ。誰が作ったかもわからない、そんなどうでも良い雑談だった。けれど、なにか気になってしまって、少しだけ耳を傾ける。
「その妖怪はね、雨の中を傘無しで移動できるんだけど、雨宿りしてる人に、『一緒に来ませんか?』って誘うらしいのよ。」
思わず顔を顰める。それは、私の先程の体験そっくりじゃないか。いやいやまさか、と思いつつも、立ち去るのには好奇心が邪魔をする。
「その誘いに乗ってしまったら最後、もうその人は現世には帰ってこれないんだって。なんか、その妖怪の住処に連れ去られるらしいよ。」
最初から最後まで不確かな、聞く価値もない噂話だ。私は早々に、逃げ帰るようにその場を去った。
ふと、思う。あの誘いに乗っていたら何が起こっていたのだろう?少し可能性を思案するが、首を振ってその考えを振り落とす。
きっとあれは考えてはいけないものなのだ。そう思い、私は日常にまた帰る。
雨の日の怪 ミニマル @minimaro
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