許嫁編 作戦⑤


 トイレで話した六花が戻っていない。


 アタルさんからラインで連絡があった。


りく【ちょっと探してみます】


 部屋の入り口で立ち止まって、アタルさんにラインを返した。


「どうかしたの?」


 姉役のほたる先生が、部屋の中から俺に心配そうな声をかけてくる。


「すみません。家族から連絡が来てて。急用みたいなのでちょっと連絡してきます」


 適当な嘘の言い訳をする。


「わかったわ」


 ほたる先生達が頷くのを見て、俺は再び部屋を出る。


 六花に【何かあったのか?】とラインを送る。


 やはり既読にはならない。


 六花やアタルさんの部屋は、ホテルのロビーを挟んで反対側だ。


「高羽くん!」


 六花を探しながら通路を歩いていると、三つ編みの女性が慌てた様子で声をかけてきた。


 六花のメイクや衣装を合わせてくれた劇団員の鈴城千秋さんだ。


 なんで慌ててるんだろう。


「どうしたんですか?」


 俺が聞くと、鈴城千秋さんは廊下の反対側を指さして、

 

「あっち。ロビーで六花ちゃんが……」


 ほとんど条件反射で走り出した。


 ホテルの人にぶつかりそうになって、走りながら謝る。


 小さな階段を下りて、1階のロビーに降りて辺りを見回す。


 ホテルのチェックインの時間にはまだ早い。


 ほとんど人のいないロビーで六花を見つけるのは簡単だった。


 男と立ち話をしていた。


 六花は壁を背にして立っていて、男は壁に手をついて非常に近い距離で会話をしている。


 六花は俺が近づいても気付かない。


 余裕がない表情だ。


 男は銀髪で、確認するまでもなく九条くんだった。


「は? なんでそんな事しないといけないんですか?」


 六花のイライラした声。


「いいのかよ。そんなこと言って?」


 九条君が言う。 


「……」


 六花は、無言で九条くんを睨みつける。


 あの表情。前にもバスケ部の先輩にも見せていた表情だ。


 あれは怒っているのではない、どうしていいかわからないのだ。


 相手に悟られないように、内面の焦りを隠して、相手をただ睨みつけている。


 六花は何でもできるようで、実は色々なことが苦手だ。

 

 これは人を呼ぶべきだろうな。


 俺はそう判断した。


 二人の関係性がわからない以上、俺が中途半端に入る事は望ましくない。


 けれど、今は六花を部屋に戻さなくてはいけない。


 九条くんの性格からしても、俺が間に入ったら揉めるのは火を見るよりも明らかだ。


 だから、ホテルの人を呼ぶのが正解なのだ。


「やめてください」


 見ると、九条くんの手が、六花の手を掴んでいた。


 六花が離れようと、身をよじるが九条くんは離してくれない。


「何してんだ、てめぇえええええ!!!」


 気がついたら走り出していた。


 俺の声に驚いた九条くんは後ろを振り向いて、ガードするように両手をあげるのが見えた。


 俺は腹めがけて右手で殴った。


 固い。鍛えている人のお腹だ。


 けれどそれなりにダメージはあったようで、九条くんは俺に殴られた場所を手で押さえた。


「いってぇ……なあ! 誰だよてめえ!」


 当たり前だが、九条くんは怒りだした。


 俺は、九条くんと六花の間に入るように移動して、


「後ろにさがってろ」


 六花に言うと、彼女は黙って従った。


「いってえ……ああ、これ完全に折れてるわ」


と、九条くんは言って、腕をプラプラ揺らしながら、


「どうしてくれんの? なあお前。これ、完全に折れてんだけど?」


「は? だったら病院行けよ。知ってるか病院? 脳みそつまってんだろ? 脳みそに栄養吸われて髪の毛が銀色になってんもんなあ? おまえなあ。さぞかし頭いいんだろうなあ。ああ、羨ましいなあ」


「はあ? てめえ、なめてんのか!?」


 凄みながら近づいてくる九条くん。


 俺は逆に、二歩、三歩と近づいて、九条くんの襟首をつかんで、


「ふざけてんのはお前だよ」


 そしてもう、ほとんどキスしてるような距離まで顔を近づけて、


「俺はね。九条くん。俺はお前に殺されるくらいの覚悟はとっくに出来てるんだよ。やれよ。早く。俺を殺したいんだろ? 不良がよくやるカッターナイフでも出して見せろよ。俺を刺して見せろよ。俺は死ぬがお前は社会的に死ぬ。社会が殺さなくても俺が枕元に立って呪い殺す。さあ、一緒に死のうぜブラザー」


「な、何言ってんだ。気持ち悪いんだよ! 離せクソ野郎!」

 

 九条くんが力を入れるが、俺は離れない。


 力いっぱい服を掴み、九条くんの顔面に、俺の顔面を押し付ける。


「お前さあ。世の中、自分の思い通りになると思ってるだろ。でもごめんなぁ。ならないから。無理だから。俺は、お前に殴られて、血まみれになっても、内臓ぶちまけたとしても、六花に手を出すヤツは絶対に許さないから」


「……」


 顔が近すぎて、九条くんがどんな顔をしているのかは見えない。


「早くやれよ。俺を殺すんだろ? この綺麗なホテルの床を、俺の血で汚して、俺の脳みそぶちまけてみろよぉおおおおお!!!」


「落ち着け! 高羽くん!!」


 誰かが俺を羽交い絞めにした。


「離してください。あいつはまだ精神崩壊していません」


 俺が言うと、


「そんな事やらせられるか!」


 九条くんはこちらを無言で睨んでいる。


「なんか言えよ銀バエ野郎。すっかり大人しくなっちまったなあ。怖くて縮み上がっちまったのか? 早く俺を殺しに来いよ!! クソ銀バエ野郎!!」


「ちっ」


と、舌打ちして、九条くんは体を反転させた。


「おい! 逃げんのか! 俺はお前を地獄まで追い込むぞ! どこにいてもなあ!!」


「やめろ! 高羽君! 目立ってるから! 目立ちすぎだから!」


「おい! 銀バエ!! 聞いてんのか!! 逃げんのか!?」


「もういいよ、お兄ちゃん。もう十分ですから……」


 六花が背中によりかかってきた。


 俺は、その重みにハッとする。


 フロアの全ての人達が、俺を見ているのに気が付く。


 あれ? え? なんで?


 待って。


 なんでこんなことになった?


「お兄ちゃん」


と、六花が震える声で言った。


「なんだよ。泣いてんのか?」


 俺が言うと、


「泣いてません」と、彼女は言った。


「だよな。泣きたいのは俺の方だ」










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