六花とお買い物 後編
「じゃあ次は、あれやりたい!」
六花は、子供のようにスポーツパークを走り回っていた。
まるで花畑を舞っている妖精のようだ。
買った蝶のヘアクリップが、とても似合っている。
六花が持っていたチケットは【スポーツVARK】という新感覚のスポーツ施設の1時間無料券だった。
カップル限定で、入る時にハグを強要されるので、妹とハグするのには抵抗があったが、行きたいと言われたら我慢するしかなかった。
しかし、いつの間に無料チケットなんか貰ったんだろうか。
本屋にいるときだろうか?
「何してるの? 1時間なんてあっという間に終わっちゃうよ?」
素早い動きで、下から俺を覗き込んでくる六花。
「なんだお前。かわいいな」
「え……」
六花は絶句して、顔を真っ赤にする。
また息でも止めてるのだろうか。
「しかし、お前がスポーツ好きだったとはな」
意外だ。
六花は、お菓子を食べながらゴロゴロ本を読む方が好きだと思っていた。
「体を動かすのって楽しいよね」
彼女の額からは、サラサラな清潔感のある汗が流れている。
俺のべたつく汗とは違う。まさにアイドルの汗だ。
「次はどうするんだ? もう俺は腕が動かないぞ」
5分間。延々とバスケのゴールにボールを入れ続けた。
もう腕があがらない。
「嘘ばっかり。私よりたくさんゴール入れてたくせに」
「それはお前。なんかフォームが変だったからだろ」
彼女はなぜか、一番遠い場所からゴールを狙っていた。
なにかの戦略かと思っていたが、どうやら違うようだった。
もしかすると、遠くから入れたら3点はいると思ってたのかもしれない。
「次はあれやりたい」
ストラックアウトだった。
出てくるボールを次々にバットで売って、1から9までの数字が書かれたパネルに当てるゲームだ。
「じゃあ。お先にどうぞ」
彼女は、やりたいと言うくせに、必ず先に俺にやらせる。
俺のプレイで研究して、後から良い得点をとろうという作戦だろう。
俺は結構バッティングは得意だ。
設置されるボールを、プラスチックのバットで次々とジャストミートさせていく。
「すごい!」
目をキラキラさせながら、俺のプレイに夢中になっている。
「バッティングは得意なんだよ」
「そうなんだ。枚数は?」
「2枚だな」
ジャストミートさせることに集中しすぎて、的に当たらなかった。
「大丈夫。挽回のチャンスはまだあるよ!」
「よし。もう一度やるか」
「頑張って!」
結果は3枚だった。
「まだまだいけるよ!」
「いやいい。俺は向いてない。それよりお前がやってみろ」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃうね」
俺が出るのを待って、彼女はストラックアウトのコーナーに入っていった。
バットをぐるぐると回して。
「これ。楽しいね」
楽しそうに笑う。
彼女はフォームは滅茶苦茶だったが、8枚の的にヒットさせた。
「あと一枚だったのになあ」
あいつ。すげえな。
「あ。足ツボPKやりたい!」
見てるだけで痛くなるようなマットの上に、彼女は平然と乗った。
「思ったより痛くないね」
「え? ほんとか?」
「じゃあ、お兄さんがキーパーね。私、蹴るから」
「わかった」
俺も靴を脱いで、靴下のままマットの上にのる。
なんだこれ。滅茶苦茶痛い!
「痛い! 痛いよこれ!」
「ふっ、ふふっ。あははっ」
悶絶する俺に、六花は思わずといった様子で笑い出した。
「お前。何笑ってんだよ!」
「ごめん。おかしくて」
「良いから早く蹴れよ! こっちは痛いんだよ!!
「えー。どうしようかな?」
「お前せいかく悪いぞ!」
「……」
「お願い! 早く蹴って!」
「……」
「お願い……します……」
そろそろ痛みの限界だった。
「いじわるしちゃった。ごめんね」
彼女がえいとボールを蹴ると、ボールはコロコロと力なく転がって、マットの上でピタリと止まった。
あいつ。絶対わざとやってるだろ。
俺はマットを降りてボールを回収する。
「あ。反則」
「うるさい。ノーゴールだ」
「じゃあ次は交代だね。次は私がキーパーするね」
「……」
1時間はあっという間に経過した。
「楽しかったね」
彼女はフワッとした笑顔で笑った。
「ああ。そうだな」
「また来たいね」
「いつでも来れるだろ」
「うん……そうだね……」
含みのある表情で、彼女は下を向いた。
「どうした?」
「おにいちゃんはさ、もし、私に許嫁がいたとしたらどうする?」
「は!? 許嫁!?」
「ちょっ、声が大きいよ」
「悪い」
「もしもだよ。もし、私に許嫁がいたとしたらお兄ちゃんならどうする?」
「確認する。六花に相応しい人間かどうか」
「ふさわしくない人だったら」
「何があっても結婚させない。俺の目が黒いうちはな」
「あははっ。お兄さん頼もしいね」
「嫌なやつのか? 許嫁は?」
「いないよ。例えばの話」
「なんだ」
ビックリした。
正直な話、妹に許嫁がいたら、絶対に阻止するだろうな。
相応しいとか、相応しくないとか関係なく。
「でも、もしもの時はよろしくね」
「任せておけよ。絶対に縁談を破壊して見せる」
「うん。期待してる」
「そろそろ帰るか?」
「あ。ちょっと待って」
彼女はスマホを操作して「トイレ行きたい」と言い出した。
トイレの前に到着すると「お兄さん。ここに座って」とトイレ前のソファを指さした。
「ここに?」
言われたとおりに座る。
「ちょっとごめんね」
後ろから手を回されて、目を隠される。
「な! おい!」
「恥ずかしい? ごめんね」
「いや……別にいいけど……」
スポーツをしたせいか、手から彼女の温かい体温を感じる。
緊張する。
極度の緊張だ。
「もう少し待ってね。あと、10秒ぐらい。9・8・7……」
とカウントダウンする彼女。
何をするつもりだろうか。
まさか、誕生日ケーキが出てくるとかか?
トイレの前だけど。
「それじゃ、手を離すけど。まだ目を開けちゃダメだよ」
「……わかった」
なんか。
本当に誕生日ケーキが出てきそうな雰囲気だな。
彼女はゆっくりと俺の目から手を離した。
俺は目を瞑ったままだ。
しばらく時間が過ぎるが、彼女からの声はない。
「まだか?」
「もういいですよ」と、六花が言った。
俺は、目を開けた。
目の前には、ひょっとこのお面をした髪の長い少女が立っている。
全然誕生日ケーキじゃなかった。
そもそも今日、誕生日じゃないし。
「いつの間にお面なんか買ったんだ?」
俺は言った。
「全然おどろきませんね。面白くないです」
ひょっとこのお面を外した六花が、詰まらなそうに顔を曇らせた。
「どこから持って来たんだ。お面」
「一階に売ってました」
「買ったのかよ」
「でもお兄ちゃんが驚かなかったので無駄になりましたね。1万8千円」
「高っ!! そんなくだらないものにいくら出してんだよ!!」
「だから無駄になったって言ったじゃないですか」
「メルカリに出すぞ。メルカリに」
俺はフリマアプリを開いてひょっとこのお面の値段を調べる。
「売りませんよ。これは」
お面を大事そうに胸に抱える妹。
「なんでだよ?」
「このお面は、まだ役目をはたしていません」
「役目?」
「はい。さすがのお兄ちゃんでも、真夜中のトイレから出た時に、このお面をつけた私を見たらビックリすると思うんですよ」
「ビックリしすぎて死ぬと思う」
「楽しかったですか?」
妹は、ニヤニヤしながら言った。
「何がだよ?」
「私とのデートです」
「なんで上から目線なんだよ。そもそもデートじゃなくて買い出しな」
「へえ。ヘアクリップ買ってあげて、フルーツ大福一緒に食べて、スポーツVARKではハグまでしたのにデートじゃないんですか?」
「仕方ないだろ。お前が行きたいって言うんだから」
「……本当に気づいてないんですね」
「は?」
「いえ何でも。それより、明日からは姫華には避けられないですみそうですね」
「なんで急に姫華さんの話を出すんだよ」
「急にと思いましたか?」
「思ったよ。なんでそんな事聞くんだよ?」
「いえ。なんでもないですよ。じゃあお兄ちゃん。今から私、未来を予知します」
「お。なんだそれ」
「もし未来を当てたら、1つだけ何でも言う事を聞いてくださいね」
「別に当てなくても、妹のやりたいことはなんでもさせてやるつもりだ」
「絶対に無理な事を頼むつもりなので、未来を当てさせてください」
「何を頼むつもりだよ」
「それは秘密です。未来が当たったら、私が言った時に、1つだけ何でも叶える権利をください」
「怖いんだけど」
「怖くないです。お兄ちゃんが頑張れるかどうかです」
「そうか。だがそれは未来しだいだな。ガリガリ君の当たりを引く。とかだったら沢山買えば済む話だからな」
「姫華が明日からは、お兄ちゃんを避けなくなります」
「それはない」
「どうしてですか?」
「無理だよ。あれは条件反射みたいなものだ。昔、彼女は男に酷い目にあわされた。だから告白して来た俺を、同じ男として見ちゃうんだよ」
「じゃあ。当たったら権利くれますね?」
「いいよ。もちろん」
翌日。
いつも通りに登校した。
教室のドアを開けると、姫華さんが俺に気が付いて「ちょっとトイレに行ってくるね」と言って、後ろのドアから出て行った。
ほらな。
俺は六花に「な? 言ったとおりだろ?」とアピールしようと彼女を見たが、彼女は本から顔をあげようとしなかった。
ちょっとはこっち見ろよ。
「おい。家の鍵が六花さん見てるぜ」
まだ続いてんかよ。それ。
俺が黙って自分の席に着くと、ガラガラと、教室の後ろの扉があいた。
姫華さんだ。
トイレにしては早すぎるな。
忘れものだろうか?
彼女はぐるりと遠回りするように歩いた。
いちど窓際まで歩いてから、自分の席に行くようだ。
そのコースだと俺の隣を通る。
俺は緊張して、背筋をピンと伸ばした。
彼女に良い印象を持って欲しいからだ。
彼女が俺の横を通った。相変わらず姿勢が綺麗だ。
3歩ほど通り過ぎたところで、彼女はピタリと停止した。
なんだ?
彼女が振り向くと、俺と目が合った。
目をそらされる。
と思ったが、今日は彼女は目をそらさなかった。
「おはよう。今日はいい天気だね」
彼女はそう言って笑った。
それから数日の間、天河姫華が、教室の後ろに貼ってある『鳥の絵』に話しかけたと話題になった。
この日を境に、俺の周りでは事態が目まぐるしく動き出した。
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