オリーブオイル
朝、朝食を食べて歯磨きをすると、すでに妹の六花は学校に行ったようだった。
双子の妖精姉妹は、人の多い時間帯に登校すると、人に話しかけられまくるので、朝が早いのは有名な話だ。
俺は、自分の分の弁当をかばんにいれて、家の玄関のドアを開ける。
いつも通りに通学路を歩いていると、難しい顔でスマホを操作している妹が道端に立っていた。
「待ち合わせか?」
通りがかりに六花に話しかける。
六花が顔を上げると、青いシュシュがふわふわと揺れた。
「そうですね。待ち合わせではありませんが、好きな人を待っていました」
好きな人?
え。まさか六花に好きな人がいたの?
心臓の鼓動が早くなるが、俺は平静を装って話しかける。
「へぇ、そうなんだ……ちなみに誰? 学校の人?」
「学校の人です」
「何年何組?」
「同じクラスです」
「そうなんだ。やっぱり男……だよな?」
「はい」
心臓が重くなる。
だが。しかたあるまい。
「そいつとはもう仲がいいのか? お前に好きな男がいるのはショックだが、俺は応援するぞ」
「何を馬鹿な事を言ってるんですか。早く行きましょう」
そう言って、六花は俺の手を引いて歩き出した。
「ちょ。手! 掴むなよ!」
「だってお兄ちゃんがいつまでも喋ってるからですよ。遅刻しますよ?」
「いや……だって……いいのかよ? 好きな奴。待ってたんじゃないのか?」
「待ってましたよ。だから早く行きましょう」
「は?」
え? 何言ってんのこいつ。
俺はキョロキョロと辺りを見回したが、同じクラスの男は見当たらなかった。
もう行ったのか? そいつ。
俺はその日、落ち着かなくてずっとソワソワしていた。
六花の方を、チラチラ見ては、六花の視線の先に男がいないかを確認する。
あいつか? いや。また別の男を見たな。
一体どいつなんだ。
正直、俺としてはクラスに六花に相応しい男がいるとは思っていない。
どいつも中途半端だ。あいつに見合うルックスと知性をもった相手はいない。
「お兄ちゃん。なんで今日、私の方ばっかり見てたんですか?」
家に帰ると六花がニヤニヤしながら聞いて来た。
「いや……別に……」
まさか妹の好きな相手を探してるとも言えない。
「そうだ。今日は私がご飯を作りますよ」
とつぜん妹が言い出した。
妹はレンジでチンすることを自炊と呼んでいる。
「え。いいよ。今日はカップ麺の気分じゃない」
「ふふん。実はお兄ちゃんに隠れてこっそり練習してたんですよ。ピラフを作れるようになりました」
「冷凍の?」
「違います」
「え? 本当に?」
「任せておいてください」
六花は、学校の制服にエプロンを付けて、フライパンを持った。
めちゃくちゃ可愛い。さすが二玉学園の双子の妖精だ。
「それでは。待っていてくださいね」
本当に大丈夫だろうか?
ソワソワしながらしばらく待っていると、焦げ臭いにおいがしてきた。
やっぱり見に行こう。
俺はキッチンに入る。
「あれ? ダメじゃないですか。ちゃんと待ってないと」
「悪い。けど、とりあえずガスつかうときは換気扇回して」
「あ、ごめんなさい」
俺が注意すると、六花は素直に謝って換気扇のスイッチを入れた。
こいつ。素直に謝罪できるんだな。と、新たな発見に感動する。
「じゃあお兄ちゃん。部屋に戻っててください」
「ねえ……それなに?」
フライパンでグツグツ言ってる謎の赤い液状のものが目に入る。
「ピラフです」
「え? 俺の知ってるピラフと違うんだけど。何が入ってるの?」
「オリーブオイルと生米と肉です」
「オリーブオイル!? え? これオリーブオイルなの?」
「はい」
「はいじゃねえよ! スペイン人がパエリア作る時だってこんなにオリーブオイル使わねえよ!」
「……ごめんなさい」
急にシュンとなる六花。
めちゃくちゃ罪悪感を感じる。
「いや。俺の方こそ悪かった。今日はお前に任せるって言ったのに口を出した。お前が作ってくれるのは素直に嬉しい。ありがとうな」
「本当ですか?」
シュンとしていたのが嘘のように、彼女の顔には期待した笑顔が浮かぶ。
褒められたいと、顔に書いてある。
なんだコイツ。可愛すぎるだろ。
「ああ、凄くうれしい。ありがとな」
「良かった! じゃあ待っててください! 出来上がりは保証しませんが」
「そこは保証して欲しかった」
出来上がったパエリアもどきのピラフは、意外や意外。
ニンニクが効いてすごく美味しかった。
「なにこれ。お前、天才じゃないの?」
「え? えへへ。褒めすぎですよ、お兄ちゃん」
崩れた笑みで妹が照れている。
「いや。でもこれ、少し前まで料理が出来なかった人の出来じゃないよ。ホント凄い」
「まだまだありますよ」
「おかわり欲しい」
「今持ってきますね! でも良かった。オリーブオイル2本使っちゃったけど、美味しくできて」
「え?」
……オリーブオイルを二本つかった?
オリーブオイルってすごく高いんですけど?
しかもなに。
このパエリアもどきに油をまるまる二本使った?
カロリー激高じゃねえか。
うまいけどな。うまいからいいか。うん。六花がかわいいから許す。
「次からは使う調味料は、事前に申請して」
「え? 面倒くさいですよ。そんなの」
「じゃあ油を大さじ3以上を使うときは教えて」
「わかりました。大さじがなんだかわかりませんが」
コイツ。やっぱり一から料理を教える必要があるな。
このままだと、間違いなくキッチンが滅茶苦茶にされるな。
「ちょっと聞いてもいいか?」
俺は、前々から気になっていたことを質問しようと思った。
「何ですか?」
「家にいるとき、いつも制服だよな?」
「はい。おかしいですか?」
別におかしくはない、あえて言えば似合いすぎている。
「そうじゃなくて、家にいるときぐらい、ゆったりした服に着替えたらいいんじゃないのかって事」
「ないので」
「え?」
「そういう服。持ってないんですよ」
「え? あれ? そうだっけ?」
前にピンクのパジャマ着てなかったか? いや、あれは姫華さんの方だったな。
俺は、腰に姫華さんが巻き付いていた時の事を思い出して顔を赤くした。
いやあ。我ながら凄い経験をしたもんだ。
「別に必要ないのでいいですよ。制服で困ったことないので。便利ですよ。制服」
……そっか。
まさか。お金がないとかなじゃいよな?
俺は探りを入れる。
「なあ六花。お前。お金ってどうしてるんだよ」
「お金とは?」
スプーンを口に入れたまま、キョトンと首をかしげる六花。
「学費とか、食費とか、その他もろもろだよ」
「ああ。学費はまとめておさめてもらいました。食費はお兄ちゃんに作ってもらってるからゼロですね。でも、欲しいものもあるのでアルバイトでもしようかと思っています」
「欲しいものって?」
「秘密です」
「そっか」
「あれ? もっと追及してこないんですか?」
「別に」
「本当は興味がありますよね?」
「ない」
不満げな妹の様子を無視して、俺は食べ終わった食器を片付ける。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「いえいえ。感謝されるって気持ちいいですね」
「だったら毎日おれに感謝してくれ」
「……してますよ。すごく」
急に六花は俺を見つめて優しい声を出した。
なんだよ。調子くるうな。
「ちょっと部屋に戻るな」
「わかりました」
自分の部屋に戻って、引き出しからレターセットを取り出した。
昔、親父に手紙を書いたときに使っていたものだ。
何回か出したが、親父はあちこちを転々としていて返事が返ってこないので、書くのをやめたのだ。
六花は、ちゃんとお金を持っているのだろうか。
はっきりとわからなかったが、欲しいものを買うのにはアルバイトが必要ってことは、持っていてもそんなに多くないだろう。
いくらかまとめて渡しておきたい。
けど、六花は黙って受け取ってくれる性格じゃない。
俺は、父親からの手紙を取り出して、筆跡を真似て手紙を書いた。
『妹の六花の分を入金しておいた。金額は~だ』
親父の手紙は、いつも短い。手紙と言うよりも業務連絡に近い。
手紙を書き終えると、俺は、今度は封筒を破いた。
切手も日付印も押されていないので、その部分を念入りに破いておく。
これで完成。これで俺が手紙を開けたように見えるだろう。
「六花」
一階でまだテレビを見ていた六花に話しかける。
「なんですか?」
「これ。届いてたから」
そう言って封筒を渡すと、彼女は短い手紙を読んで、
「おお……ではこれはお金ですか?」
俺を見上げたので、俺は頷いた。
彼女は、テーブルに置かれた封筒を、両手を使って拝んだ。
「では、さっそく貯金します」
そう言って、いそいそとお金をしまう。
貯金は大事だ。
でも、他の事にも使ってもらいたい。
「なあ六花。今度の休みは暇か?」
「何かありましたか?」
「実は、服をあんまりもってなくてさ」
「私と同じですね」
「だから一緒にいかないか?」
「どこにですか?」
「どこにって服屋にだよ」
「何のために?」
「なんで絶望的に察しが悪くなってんだよ。服を一緒に買ってもらいたいんだよ」
「私。あんまりセンス良くないですよ」
「そんなことないだろ」
「昔、姫華に「六花の服は私が選ぶから、絶対に自分で選んじゃだめだからね」って言われましたよ」
「わかった。最悪の場合は俺が選ぶから」
「よろしくお願いします。そうだ。このお金、お兄ちゃんが使ってください」
そう言って封筒を返してこようとする。
「いいよ。それは六花の金だ。自由に使ってくれ」
「でも、お兄ちゃんに食材とか出してもらってるので」
「いいよ。俺は俺で貰ってるから」
「そうでしたか。では、これはありがたく頂きますね」
「うん。じゃあ俺は部屋に戻ってるから。何かあったら言ってくれ」
「わかりました」
部屋に戻って自分の時間を過ごした。
そして休みの日の朝、驚くべきことが起きた。
「あ、おはようございます!」
「え!? 姫華さん!?」
家の中に、俺の初恋の人がいた。
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