四日目④


「あー。あれはかなりショックだったみたいですね」


 姫華さんが走り去った玄関の方を見つめながら、六花が言った。


「俺もショックだよ」


「まあでも。告白したらどっちみちこうなってましたよ」


「そうだな」


「でも。私もうかつでした。ごめんなさい」


「いやいいよ。今更だし……ああ、でも良かったよ。はっきりして」


 あの態度を見ればわかる。


 答えはNOの態度だ。


「……お兄ちゃん」


 六花が近づいてくる気配がある。


「なんだよ?」


 六花は、俺の背中をポンポンと優しく2回叩いた。

 

「やめろよ。慰めなんていらないよ」


「そうではありません。お腹が減ったので夕食にしましょう」


「……さっきパンケーキくったよな?」


「妹は、お腹が減りました」


 俺は黙ってキッチンに向かい、無心でジャガイモと人参とタマネギを切って、豚コマ肉と一緒に煮込んだ。


 ぐつぐつと煮える食材たちが、地獄で茹でられる罪人たちに見えた。


 市販のカレールーの甘口を入れてゆっくりとかき混ぜる。


 出来上がったカレー鍋を、テーブルの上の鍋敷きに置いた。


「いい匂いですね」


「一つ、聞いても良いか?」


 俺が言うと、色白の妖精は首をかしげ、


「なんですか? あ、ご飯は少なめでお願いします」


 俺は無言でご飯をよそって、カレーをかける。


「さっき言おうとしてたんだろうけど、どうして姫華さんのふりをして俺の家に来たんだ?」


「それは、姫華を守るためです」


「守る?」


「はい。母の再婚が決まった時、母は言いました「私は大輔さんと海外に行くから、大輔さんの息子さんの所でお世話してもらいなさい」って」


「丸投げかよ」


「その人は。いまやお兄ちゃんの母親でもありますよ」


「……そっか」


 その発想は無かった。


「調べると、その大輔さんとやらのご子息は、なんとクラスメイトでした。クラスで見たお兄ちゃんは、私たちにスケベな視線を送ってくる下品なオス猿の中の一匹でした」


「俺、そんな風に思われてたのか?」


「はい!」


「無駄に元気な返事はやめろ」


「そして面白いのが、私がこの家に来ようしていた前の日に、お兄ちゃんは姫華に告白して来たんです。実際は私でしたが」


「なんで六花だったんだ?」


「後で説明しますが、姫華は告白を断れないので、代わりに全部わたしが断ってるんです」


「そうだったのか」


「そして、私は状況を利用しようと考えました」


「利用?」


「私が姫華のふりをして訪問すれば、お兄ちゃん

はガッカリして姫華への恋心もなくなるだろうと考えました」


「確かに、完全に消えてたな」


「私は、ずっとそれで騙し続けようと思ってました」


「なんでやめたんだ?」


「お兄ちゃんが、思ったより信用できる人だったからです」


「そうなんだ」


 それは素直に嬉しい。


「クッキー食べるか?」


「頂きます」


 俺は、秘蔵のプレミアムクッキーを棚から出して彼女の前に置いた。


 すぐに包装を解いてバリバリ食べ始める。


 高いヤツなのに。もうちょっと味わって食えよと思う。


「俺が信用できると思ったから、今日、二人で謝りに来たのか?」


「そんなところです」


「でもおかしくないか? 姫華さんを守るために姫華さんのふりをしたっていうけど、それならなんで前の日に姫華さんがうちに来たんだ。男の家に一人で、しかも泊まっていったんだぞ?」


「それは姫華の独断です。私が知っていたら絶対に止めていました。姫華は、事前にお兄ちゃんがどんな人なのかを確認したかったみたいで、そんな行動にでたようなんです」


「そっか。お互いを心配してだったんだな」


「はい。なので私は、姫華が勝手に男の家に行った事はまだ怒っています。変な奴だったら襲われてもおかしくないんですよ?」


「そうだな」


 いい姉妹だな。


 温かい気持ちになる。


 俺は一人っ子だから、彼女たちの関係性が少し羨ましくなった。


「今回は、たまたまお兄ちゃんだったから良かったですけどね」


「ずいぶん信用するんだな。俺の事を」


「もちろんですよ。お兄ちゃんは、大切な家族ですから」


「二日いっしょにいただけなのに、随分と心を許すんだな」


「ドアを壊してくれたからですよ」


「ドア?」


「はい。私がカギをつけすぎて、自分が悪くて部屋に閉じ込められた時。お兄ちゃんは迷わず部屋のドアを壊してくれましたよね?」


「そりゃそうだろ」


「ヒーローだと思いました。迷わずドアを壊せるお兄ちゃんは、私の中でヒーローになったんです」


「おおげさだよ」


「いえ。普通はそんなこと出来ませんよ」


「そうかな」


「ほかにもあります。私が偏食なのを知って、夕食をハンバーグにしてくれましたよね?」


「でも入れたよ。野菜」


「でも、わからないようにです。それも優しさです。私はね。お兄ちゃん。お兄ちゃんのそういう優しさに触れて、すごく嬉しかったんです」


「……」


「はい。お恥ずかしい話ですが、私の両親は、お互いに無関心な人たちでした。母は、自分にしか関心が無い人で、父は外で愛人を作っていました。だれも私たちに愛情を注いでくれる人はいませんでした。綺麗だね。かわいいね。そう言ってくれる人はたくさんいましたが、私を真っ直ぐに見てくれたのはお兄ちゃん。あなたが初めてだったんですよ」


「俺が?」


「はい」


 コクリと頷く。


「お兄ちゃん」


 彼女は、ゆっくりと頭を下げる。


「私のお兄ちゃんになってくれて、本当にありがとう」

 

 俺は、何も言えなくなってしまって黙ったまま頷いた。


「このカレーも愛情いっぱいです。私にあわせて甘いのを作ってくれてますよね?」


「だって……辛いの苦手だって言ってただろ?」


「お兄ちゃんは、私を大好きすぎですね。なんて。思ったりして」


 自分で言ったくせに、彼女は照れたように顔を赤くした。


「大好きって……あのな……」


「あ。もちろん妹としてですよ」


「わかってるよ」


「そうだ! 初恋の人と同じ顔の人から好きって言われたら嬉しいですよね? お礼として何回か言ってあげますよ。好きです好きです好きです」


「おいやめろ!」


「やめました」


「なんだよ。せっかくいい雰囲気だったのに。全部自分でぶっ壊したな」


「もう少しで、美少女を落とせそうだと思いましたか?」


「そういう意味じゃねえよ。家族としてだよ」


「チャンスはまだありますよ。だって家族ですからね」


「……そうだな」


「私はお兄ちゃんともっと仲良くなりたいです」


「そうか」


 こいつ。


 恥ずかしげもなく言うのな。


「顔が赤いですよ」


「うるさいな。なあ、もう一つ聞いていいか?」


「いくつでもどうぞ」


「学校でさ、俺が家の鍵を渡そうとしたとき「気持ち悪いから消えて」って言ってたよな? なんでだ?」


「あ、あれはお兄ちゃんだったんですか? 無理ですよ。あの時点で私はお兄ちゃんを見たことがありませんでしたから」


「おれクラスメイトだけど!?」


「嘘ですよ。ちゃんと知ってました。私は、学校ではお兄ちゃんと仲良くできません」


「え? なんでだよ?」


「なんででしょうね」


「なんだよそれ。俺は、二人に知らない態度をとられたおかげで、学校で「家の鍵」って呼ばれてんだぞ?」


「ああ、そのあだ名をつけたのは私です」


「お前なのかよ!」


「冗談です。お兄ちゃんと仲良くできないのには理由があります。実は、姫華はむかし、ある男にラブホテルに連れこまれた事があるんですよ」


「軽く言ってるけど、めちゃくちゃ事件だぞそれ」


「まあ。警察を呼んで無事に事なきを得たんですが、元はと言えば、姫華が頼まれたら断れない性格をしていたのが原因なんですよね」


「そんな言い方はないだろ」


「でも本当なんです。断れないんですよ。姫華は」


「まぁ、優しい性格だからな」


「むかし、姫華は一度に5人に告白されたことがありました」


「人気あるもんな」


「そして5人と付き合う事になりました」


「断れなさすぎだろ!?」


「まぁ、相手の男を泣かして決着がつきましたけど」


「なにがあった!?」


「だからそれ以降は私が姫華の代わりに告白を受けています」


「なるほどな」


「もし、学校でお兄ちゃんと仲良くしてたら「あいつが仲良くできるのなら、俺も仲良くできるんじゃないか?」と考えた男達が、姫華にたくさん寄ってきてしまいます」


「それは確かにあるな」


「私は姫華を守りたい。だからお兄ちゃんとは学校では仲良くできません。ごめんなさい」


「いや。そういう理由があるならいいよ」


「ありがとうございます。それと、姫華の代わりに私が告白を受けてることは……」


「もちろん、他の人には言わないよ」


「ふふ。お兄ちゃんならそう言ってくれると思いました。大好きです」


「簡単に好きとか言うな。恥ずかしいだろ」


「そうですね。ここぞというときに取っておきます」


「そうしてくれ。でも、もしも告白して来たやつの中に、姫華さんの好きな人がいたらどうするんだよ」


「大丈夫です。今のところ、姫華に好きな人はいませんから」


「そうなんだ……」


 なんだろう。


 このカレー。甘じょっぱいな。


「でもさ、告白されてから好きになる可能性ってのもあるだろ?」


「無理ですよ。姫華はホテルに連れ込まれて以来、男の人がトラウマでまともに喋れません」


「え。でも俺とは普通に喋ってたぞ?」


「それは私のお兄ちゃんだったからです。家族だったからです。でも、告白したことで、お兄ちゃんは『家族』から『告白して来たクラスメイト』にバージョンアップされました」


「それってどうなんだ?」


「中学生の頃、姫華に告白してきた男子生徒は、まんべんなく避けられてましたね」


「おい、それって……」


「まあ仕方ないですよね。ゼロからのスタートですね」


「どう考えてもマイナスだよ……」


「でも、不思議なんですよね」


「何が?」


「姫華は恋愛関係の話はいつもスルーするんですよ。だからさっき、お兄ちゃんの告白についても聞かなかったふりをすると思ったのに、真っ赤になって飛び出していきました」


「え。え? それってどういう事? どう解釈すればいいの?」


「もしかしたら、お兄ちゃんの告白を受け止める気があるのかもしれません」


「つまりどういう事?」


「そういえば数日前に、姫華が物凄くほめてたのを思い出しました。とても温かくて包み込むような優しさだったって」


「俺のことをそんな風に思ってくれてたの?」


「はい。包んでいる卵がフワッとしていてとても優しい味だったと言っていました」


「親子丼の話かよ!?」


「これはワンチャンありますね」


「ねえよ! ただ美味しいご飯食べたってだけだよ!」


「まあ妹に任せておいてくださいよ。なんとかして見せますよ」


「不安しかないんだけど」


「ふふ。期待するかどうかはお兄ちゃんの自由です」


 彼女はそう言って、にやにやと笑っている。


 こいつ、状況を楽しんでるな。


「そういえば。バスケ部の人の告白はどうなってるんだよ? 全部断ってたんじゃないのか?」


「昨日は、ドアを直さなくちゃいけなかったので、告白代行をしないで家に帰って来ちゃったんですよ。そしたら、校内にまだ残ってた姫華が運悪く、直接告白されちゃって。姫華は断り切れませんでした」


「そういう事か」


「なので、それについては私のせいなんです」


「なあ。俺に何か手伝えないか?」


 ドアを壊したのは俺だ。


 それに、姫華さんが誰かと付き合うのを阻止したい気持ちは大きい。


「まあ。大丈夫ですよ。任せておいてくださいな」


 彼女は、俺が不安にしかならない笑みを顔に浮かべた。




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