二日目⑤

「それでは。ちょっと行ってきます」


 どこに行くつもりなのか、姫華は、タオルやせっけんなどを入れた洗面器を持ってリビングにやってきた。


「どこに行くの?」


「銭湯です」


「銭湯?」


「はい。すぐに近くに銭湯があるみたいなんですよ」


 すぐ近くに? あれ?


「そこはたしか去年潰れたと思うよ」


「え?」


「家にはお風呂あるけど?」


 そういうと、彼女は疑いの目で俺を見つめてきた。


「いや……無理に使えとは言わないけど」


「ごめんなさい。私が入ったお風呂のお湯を、瓶に詰めて売られるのはどうしても嫌なのです」


「当たり前のように言ってるけど、俺はそんな事したことないからな」


「近くには銭湯はないですか?」


「近くにはないけど、あるにはあるよ」


「じゃあ教えてください」


 そう言って彼女は自分のスマホを、俺の目の前にゴトリと置いた。


「?」


 意味がわからなくて、彼女を見上げる。


「私、機械音痴なんですよ。さっきの銭湯も調べるのにも1時間かかりました」


 彼女は、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


 熱でもあるんだろうか。


「地図アプリに登録すればいいのか?」


「はい。お願いします」


 俺は彼女のスマホを手に取る。


 今日の夕方まで憧れていた人のスマホだ。


 どんな使い方をしてるのか気になる。


 ドキドキしながらスマホを操作したが……うん。これ、最初から入ってるアプリしか入ってない。


 本人が使い方をしらないのに、使い方を知ってる他人が勝手に操作するのは違う気がした。


 俺はスマホをテーブルの上に置いた。


「やっぱり一緒に行くよ」


「え。でも。悪いですし……」


「スマホ苦手なんだろ? 迷ったらどうするんだよ。連絡できるのか?」


「連絡先しりませんし」


「じゃあ、アドレス交換するか?」


「いえ。謝罪されるの面倒なので」


「謝罪? どういう事だよ?」


「昔、告白されて男の人とアドレス交換をしたことがあるんです」


「え? アドレス交換したことあるの?」


「私を馬鹿にしてるんですか?」


「いや違うよ。天河姉妹は誰にもアドレスを教えないって有名なんだよ」


「今は教えてません」


「なんで?」


「昔、アドレスを交換した時に、ある事件が起きました」


「事件?」


「その人とデートをしたんですけど」


「デートをしたの!?」


「……いちいち話の腰を折るのをやめてもらえませんかね?」


「ごめん。ちょっとビックリして」


「その後【デートは楽しかった?】とラインが来たんです」


「そうなんだ」


「私は思ったんですよ。なんでお前にそんな事をいちいち答えないといけないんだよ。と」


「相手がかわいそうになってきた」


「そのあと【なんで返事しないの?】【既読スルー?】【えwどゆことw】【わらw】【あの、もしかして怒ってる?】【ごめん。俺が悪かった】【どうしたら返事してくれるの?】【俺。もうラインを送らない方がいい?】【ごめん。消えるよ】」


「そろそろ返信してあげて!!」


「え。嫌ですよ面倒くさい。そもそもラインの開き方もわからないですし」


「もうスマホ捨てたら?」


「なのでそれ以来、アドレス交換はしないことにしています」


「それがいいね」


「800件ほどあったアドレスは削除して、いまは家族だけにしています。お兄ちゃんはアドレスには何件登録してますか?」


「え? 俺? 俺も友達が数人だけだよ。親はスマホ持ってないし」


「これは今日、靴箱に入っていたアドレス交換希望の人達からの手紙です」


 そう言って、彼女はドサッとテーブルの上に手紙の束をおいた。


「すげえ」


「お兄ちゃんは、今日は何通もらいましたか?」


「ねえ。なんで急にマウントとりはじめたの? そんなん一通も貰ったことないから」

 

「かわいそうに」


「憐れむなよ。でも、姫華は彼氏が欲しいんじゃないのか?」


 姫華は彼氏を欲しがっていると、数日前に女子が話しているのを聞いた。


「もちろんです。男の人は力が強いから、たくさん物を運んでもらいたいですね」


「それは彼氏じゃない。ただの労働力だ」


「あ、そうだ。やっぱり一緒に来てもらってもいいでしょうか? ものを運んでもらいたいです」


「え、銭湯だよな? 何をそんなに運ぶんだよ」


「いろいろあります。椅子とかお気に入りのシャワーノズルとか、お風呂上りに使う扇風機とドライヤーとか」


「扇風機はやめろ」


 俺は、彼女と銭湯に向かう事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る