咲良一以の休憩

 この日、某商社で営業として働く咲良は、朝一に入れていた営業先への訪問が先方の都合によりキャンセルとなった。連絡を受けた時にはすでに会社を出ており、次の顧客との約束の時間までは小一時間ほどあった。そのため、咲良は近くのカフェで時間を費やす。


 イスやテーブルが白一色で統一されたお洒落なカフェ。オープンテラスにあるテーブルに咲良はつく。コーヒーを注文した咲良は辺りを見回す。その日は天気がよく気候も穏やかで、オープンテラスの席は6席中、5席が埋まっていた。  

 また、カフェの中にはカウンターとテーブル席が10席ありウェイトレスが二人。店内は三分の一近くの客が入っているようだ。


「早朝なのに、なかなか人気がある店だな」


 咲良の趣味は『人間観察』。咲良は周囲の様子を愉しむ。


「お待たせ致しました」


 ウェイトレスが咲良のテーブルにコーヒーを置いて去る。咲良は砂糖は入れず、ミルクだけをコーヒーに入れ、一口飲みながらふと考える。


(今、このコーヒーをこぼしてしまったら周りの者はどんな顔で私の方を見るだろう? 見て見ぬフリをするのだろうか? ウェイトレスはすぐに来るのか? すぐに気付くのか? それともこちらから言わなければ気付かないのだろうか?)


 咲良は様々な好奇心に掻き立てられた結果、コーヒーを自らひっくり返してしまう。


「ガチャン」と音がし、左斜め前で見つめ合いながら話をしていたカップルがこちらを見る。テーブルに零れたコーヒーに気付きはしたが、何事もなかったかのようにまた二人で見つめ合い話し出す。


「まあ、そんなものか。他人事なんて……」

 納得する咲良。


(しかし、店員は店内の方が忙しそうで気付いていないようだ……とりあえず、声を掛けてみよう)

 

「店員さん、申し訳ない。コーヒーをこぼしてしまって、テーブルを拭きたいのだが……」

「すぐにお持ち致します」


(店員のレベルはCランクあたりってところだな。もっと視野を広げて全体を把握しないと駄目だよ)


 女性店員は咲良の席へ駆け付け布巾でテーブルを拭く。テーブルを拭き終わると、店員はそそくさと店内に戻っていく。


(コーヒーのお替わりを言いそびれてしまったな。まあ、仕方がない少しのんびりしてからここを出るとしよう)


 咲良が店内の方に見とれていると、死角からテーブルにスッと手が伸びてくる。


「ズボンにコーヒーがかかっていますよ」

 咲良がふと横を向くと、女性がハンカチを差し出していた。


「どうもありがとう、予想外だよ」


「えっ?」


(しまった。想定外の事が起こると、余計な言葉を足してしまう私の悪い癖が出てしまった)

「いえ、ただの独り言ですよ」


「そう……そのスーツ、オートクチュール? 早く拭かないと高級なスーツが台無しになるわよ」


「いえ、オーダーメイドですよ。身の丈にあったね……」


「そう? どちらにしても良いスーツでしょ」


「クリーニングするから大丈夫だよ」


(それにしても、なかなか良い目をしている。肝が据わっているいうか、物怖じしないというか……いや、それより迷いのない感じというのが正しい印象なのか?)


 咲良はハンカチを差し出してきた女性に興味津々である。咲良は営業成績優秀で、社内では清浄潔白のイメージが強い。そんな咲良に言い寄ってくる女性は少なくない。ハンカチを渡す女性に惹かれたのは、女性の純粋な優しさに触れたからかもしれない。


(しかし、妙に雰囲気がある)

 さらに、この女性には特異な魅力があった。


 そんな折、咲良は手首の傷跡に気付く。

(これは、自殺未遂というより他者によるものだろうか?)

 咲良は女性に気遣い、さりげなく腕から目線をずらした。


 女性はそれに気付き微笑んだ。

「過去の事ですので、お気になさらずに……」


(良い、たまらなく良い)

 咲良は女性の仕草、観察力、そして胆力すべてに惹かれていたのだった。


「――私はこれで」と去る女性に、片思いに近い感情を抱いた瞬間、咲良の口から自然と言葉が漏れる。


「ちょっと待って!」


(何てことだ。つい呼び止めてしまった……どうする?)

「このハンカチはクリーニングしてお返しします」


「差し上げますよ」


(良い……100点の回答だ)


 咲良はシヅクの姿が見えなくなるまで後ろ姿をジッと眺めていた。


「なんだ、この胸の高鳴りは……」

 咲良に人生初の恋心が芽生えた瞬間であった。


 その女性の名はシヅク。後に二人は再び会う事となる。


 

 

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