第三章 なのにすれ違うふたり
足利義昭を迎えた信長。翌年には早速上洛を果たし、義昭は晴れて第一五代征夷大将軍となった。
それに伴い、織田家の家臣となった十兵衛も早速頭角を現す。ここから彼は異様とも言える速さで出世コースを驀進し、やがて木下藤吉郎と並んで織田家のツートップとなるのであるが……
世の中、そう全てが上手く行くものでも無いのであった。
「何ですと! 公方様が、その様な……」
「うむ。あの御仁、自分が誰のお蔭で将軍になれたのか、忘れてしまったのであろうな」
信長より伝えられた言葉は、十兵衛に取って衝撃的なものであった。
あろう事か、足利義昭が織田家に対し反旗を翻そうといている。信長は彼にそう語ったのだ。
あくまでも室町幕府の再興のみを目指していた義昭は、天下布武をスローガンとしてヒャッハーな戦を続ける信長と実際にはウマが合わず。その方向性の違いから、いつしか解散寸前のロックバンドの如く険悪な仲となっていたのだ。
この時既に義昭は上杉や毛利、武田といった有力な大名に密書を送り、後に云われる『信長包囲網』を結成しようとしていた。何気に織田家の大ピンチである。
「十兵衛。その方、わしと公方……どちらに着くのじゃ?」
戦場さながらの鋭い視線で、信長は十兵衛を射る。これにはさしもの十兵衛も、まるで心臓を鷲掴みにされた様な心地に襲われた。
暫く無言で視線を交わし合った後――
十兵衛は姿勢を直して深く頭を下げ。
「それがしは、織田家の家臣にござりますれば」
彼の発した言葉に信長は、
「であるか」
と満足そうに答えた。
実を言えばこの頃、十兵衛と義昭の仲も疎遠になりつつあった。
将軍として京都に居を構えた義昭と、織田の家臣として畿内を駆け回り戦に明け暮れている十兵衛。『会えない時間が愛育てるのさ』という歌の文句の様には行かず、ふたりの心はまるで足利家と織田家の様に、徐々に離れていったのであった。
いつの時代も、遠距離恋愛は上手くいかないものである。
そしてこの後、十兵衛は修羅道の如き戦の海へと飲まれて行くのだった。
金ヶ崎の合戦で木下藤吉郎や池田勝正と共に殿軍を務めたり、姉川の合戦で徳川家康と一緒に戦ったり、比叡山を焼き討ちして女子供まで皆殺しにしたりと、相当に荒んだ日々を余儀なくされる。
そして、荒んだ彼を癒してくれるもの……それは当然、衆道であった。
織田家の家臣となってからも、彼はその持前のバイタリティで家中の美男を片っ端から喰っていたのだ。
しかし。当然ながら、全ての美男子と夜を共にできた訳では無い。家中には当然、男色趣味を持たない者も居る。木下藤吉郎などはその筆頭だ。
そして何より――
彼が目を付けた男の内、極上の美少年は大抵、既に他の男のモノとなっているのである。
他の男とは、勿論……
★
「菊千代! そなた菊千代では無いか!? うむ、やはりそうだ。御父上に良く似ておるのう」
これはまだ、十兵衛が織田の家臣となって間もない頃の話。
その日、十兵衛は岐阜城内にて一人の美少年侍の顔を見るやそう叫んだ。
彼の名は、堀秀政。
かつて十兵衛が斎藤家に仕えていた頃、男男の仲であった堀秀重の嫡男である。
「いかにもそれがしは菊千代……今は元服し、秀政を名乗っておりまする。お手前は一体どちらにございましょう?」
「おお、これは失礼仕った。拙者は明智十兵衛と申す。この程織田家に家臣として仕える事となったのじゃが、以前は斎藤家に仕えておった。そなたの御父上秀重殿には、その頃随分と『良くして』頂いておってな」
全く以て恐るべし、明智十兵衛。彼は持ち前の獣の様な嗅覚で、かつて関係を持った男の嫡男を見事探し当てていたのだ。
そしてこの男、勿論それだけでは済ませない。
父、秀重の『味』を知っている彼である。となれば当然、息子の事も味比べしてみたくなるもの。
十兵衛、瞬時にそこまで考えると秀政の手を取り。
「今宵、一献どうじゃ。秀重殿の若かりし頃の話など、語ってやろうぞ」
早速コナを掛け始めた。
この時十兵衛は既に齢四十を重ねた、要するにナイスミドルである。その、枯れ始めた男特有の渋い魅力に大抵の若侍はコロリとやられてしまうのであった、が。
「おお、菊千代ここにおったか……なんじゃ十兵衛、菊千代と知己があったのか?」
現れたるはまさに、当主織田信長に他ならない。彼は嫌らしい程、にこやかに微笑んでいた。
「上様……」
彼の顔を見るや、菊千代はうっとりと目を細めつつ艶やかに跪く。
そんな菊千代に信長は鷹揚に頷くと、
「良い。それより菊千代、今宵わしの臥所に参れ」
機嫌の良い声で、そう命じた。
「御意にございます」
菊千代は顔を上げると、乙女の様に答える。
「ははは、愛い奴よ。今宵も菊千代の菊をとくと愛でてやろうぞ」
信長は最後にチラリと十兵衛の顔を見ると、そう言いつつ場を去って行った。
――うぬ! 菊千代、既に殿のモノとなっておったか!
十兵衛は悔しげに顔をしかめ、唇を噛む。
今の信長の表情は、明らかに十兵衛を嘲笑いつつ牽制していた。
『そう何度も、わしの小姓(おとこ)に手を出せると思うなよ』
信長は言外に、十兵衛にそう言っていたのだ。
これは、若きし頃に犬千代をNTRされた信長の、手の込んだ意趣返しだったと言えよう。
そしてこの後も、同じ様な事は何度も続いた。
家中に美しい童を見つけ、我が物にしようとするとその者は大抵、信長が既に手を付けている。いくら十兵衛が切れ者で、最近家中で破竹の出世を成し遂げている身だとて、流石に当主が相手ではどうにもならなかった。
自慢げに若衆をはべらし、悦に入る信長。
その姿を見るにつけ……
十兵衛の心中に少しずつ、暗く熱い何かが溜まっていく事に、彼は気付いていたのか、いなかったのか……
★
しかしそんな十兵衛の溜まった鬱憤は、彼を突き動かす暗黒的エネルギーとなっていたのかも知れない。
それが証拠に、信長に丹波の平定を命じられた彼は、この難事を見事に完遂した。
親将軍派の土豪が多く、また険しい地形故に攻め難く守り易い丹波。その攻略は、あの信長をして『何年掛かっても良い』とまで言わしめた程の、それは困難に満ちた戦であった。しかし彼は四年に至る苦戦の末、ついにそれを成し遂げたのだ。
当然、これには信長も狂喜した。
そして功労者である十兵衛に褒美として丹波一国を与え、結果彼は34万石という織田家臣でも最大の領地を与えられる身となったのである。この辺に関しては、信長もちゃんと彼の苦労に報いていたのだった。
織田信長と明智光秀。
確かに、一面において彼等は理想的な主従関係だったかも知れない。
信長の、他に類を見ない先進的な思考を十兵衛はしっかりと理解し、それを実践する能力も持っていた。
また信長も、十兵衛ならばと思えばこそ彼に難事を託し、成し遂げた暁には法外とも言える褒賞で報いた。
同様の素質を持った木下藤吉郎、つまり羽柴秀吉と彼が家中で異例の出世を果たしたのは、ある意味必然ですらあった。
しかし――
時が経ち、織田家の力がどんどん増していく程に、ふたりの間には徐々にすれ違いが生じ始めていた。
それは、あるいは肥大していく信長の支配欲が引き起こしたものなのかも知れない。
それとも、日々エスカレートしていく無茶振りに対する恨みだったのかもしれない。
いずれにしろ、少しずつ狂い始めた歯車。それを決定的な物にしてしまったのは……例によって一人の美童であった。
★
天正5年、すなわち西暦1577年。その春先の出来事である。
今や十兵衛の居城となった坂本城に、見目麗しいひとりの美童が現れた。
のちに絵本太閤記にて『元来聡明英知の美童』と書き記される程の、それは道行く誰もが見振り返るレベルの、超絶的美少年。その名を森蘭丸と云った。
衆道に興味の無い者ですら思わず見惚れてしまう程美しい彼に、もちろん十兵衛が目を付けていない筈が無い。
もとより蘭丸は、織田家臣森可成の嫡男である。かつて浅井朝倉両家と勇敢に戦い、そして散った彼の忘れ形見である彼を、十兵衛は幼い頃より知っていた。 そして可成の菩提寺に程近いこの坂本で、彼は何かにつけて蘭丸に目を掛けていたのだった。
そう。この恐るべき衆道モンスター明智十兵衛、まだ幼い内から蘭丸を手なずけ、育った所を美味しく頂いちゃおうという魂胆だったのである。
しかし勿論、そんなに上手く事が進む筈も無く。
「お蘭よ。改まった格好をして、今日は一体どうしたのじゃ?」
正装で城に現れた蘭丸に、十兵衛は訝しげに声を掛ける。
そんな彼に、蘭丸は鈴の音の如き美しい声で応えた。
「この度、『信長様の近衆として仕えよ』との命を受けました。つきましては坂本を去る前に、大恩ある十兵衛様にご挨拶をと思い、まかり越しましてございます」
「なん……じゃと……」
彼から突き付けられた言葉に、十兵衛は思わず膝から崩れ落ちた。
――またか! またしても大殿は、わしが目を付けた美童をかすめ取るのか! これで一体何人目か!
それ以降、何を話したのか十兵衛は一切覚えていない。只々、愛する美童を奪われる悲しさと悔しさに身を焦がしていた。
やがて歩み去る蘭丸の背中を見つめつつ。
「大殿よ……」
我知らず、彼は呟いていた。
そして思い起こす。
もう、遥か昔。小牧山で出会った時の事。
月日が流れ、岐阜にて再開した時の事。
家臣として仕えた日々の事。
目を付けた美童を奪われ続けた事。
考える程に、その思念は一つの想いに収束していく。
――大殿。いやさ、織田信長!
十兵衛の瞳に、今まで無かった妖しげな光が灯り始めた。
そう。
この時を境に、彼は主君に対する認識を変えたのだ。
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