第二章 流されて織田家臣
あの、運命の出会いより多くの歳月が過ぎた。
時はまさに永禄10年。つまり西暦1567年。
場所は越前、朝倉義景が居城を構える一乗谷。その片隅の、とある小さな寺にて……
「のう十兵衛。義景殿は、上洛する意思など無いのではないか?」
十兵衛の胸板に、甘える様に頬を寄せつつ義昭は呟いた。
「畏れながら……大殿は、一向宗との戦も抱えておりますれば……」
「フフ、そちも律儀者よの。良い……わしには判るのじゃ。義景殿はわしを担いで上洛など、内心では御免被ると思っておるに相違無い」
「それは……」
「うむ。良い……それより今は……忘れさせてはくれぬか」
潤んだ瞳で、義昭は十兵衛を見つめる。
「は。ご命とあらば」
十兵衛は義昭に笑顔を返すと、そのまま抱いて身体を入れ替え、伸し掛かる。
「ああ、十兵衛……」
義昭はうっとりと十兵衛にしがみ付き、彼に溺れる。
何という事であろう。
明智十兵衛光秀、この日本全ての武家の頭領である公方、足利義昭すらその毒牙に掛けているではないか。
一体、何故こんな事になっているのか?
これを一々語れば枚挙に暇が無いので、ざっくり語るとしよう。
あの、出会ってはならなかった運命の出会いより九年程経った頃。
当時十兵衛が仕えていた斎藤家の当主、斎藤道三が嫡男義龍の謀反により討たれ、それに伴い十兵衛も斎藤家を追われた。
それから色々あった末、彼は越前朝倉家に仕え、更に何やかんやあった挙句朝倉を頼って逃げて来た将軍、足利義昭と深い仲になっていたのだ。
思った以上にざっくりとした説明になってしまったが、この辺を詳しく説明すると本当に大変な事になってしまうので、どうかご容赦願いたい。
という事で。
一戦を終え再び寝物語、ええと今で言うピロートークを再開した二人。無論、議題は義昭の本願である上洛であるのだが――
「公方様が、真にご上洛を望まれるのであるならば……頼るべきは朝倉では無しに」
「ふむ。朝倉では無とするなら、それはいずこ」
十兵衛は一息溜めた後、こう呟いた。
「公方様が頼られるは……織田家でございましょう」
そう。『あの』吉法師――信長の率いる織田家である。
この時代、既に信長を『大うつけ』などと呼ぶ者はどこにも居ない。
父信秀の死により家督を継いだ信長は、身内の争いに終始していた尾張を平定し、それどころか当時『東海一の弓取り』と称えられていた今川義元をも討ち取るという武勲を上げた。
そして遂に信長は、長年の宿敵であり義父の仇でもある斎藤義龍を降し、尾張に続き美濃を支配下に納めたのだ。
岐阜に拠点を移した彼は『天下布武』、すなわち『武力で天下を治めるよ』をスローガンとして掲げる程の、まさに今が旬のイケイケ状態。そんな織田家に、目聡い十兵衛は以前から注視していたのであった。
★
という事で、例によって何やかんやした挙句、十兵衛は今岐阜城に赴いている。その目的は無論愛する公方、足利義昭の上洛についてである。
「なるほどのう。確かに、愚鈍な義景では公方様を持て余すであろう」
謁見の間にて、今やひとかどの大名となった織田信長は楽しそうに頬を緩めつつ発した。もちろん、今となっては以前の様に傾いた格好などしていない。
「誠に遺憾ながら……斯様な状況にあっては、公方様も御心を安んじる事叶いませぬ。この上は、織田様にお縋りするより他無く……」
十兵衛は苦虫を噛む顔で頭を下げる。
いかに頼りないとは言え、朝倉家にはかつて拾ってもらった恩義もある。その恩ある当主をディスられ、それどころか肯定しなければならないのだ。こういう所は妙に律儀な彼には、中々に辛いものがある。
しかし愛する公方、足利義昭の為と思えばこそ、この様な真似もできるのであった。
そんな彼の想いが見えているのか、いないのか。信長はいっそ無邪気とすら言える笑顔で頷くと、手にした扇子でパシンと膝を叩き。
「良かろう。公方様には、『大船に乗ったつもりで当家に参られたし』と伝えよ」
朗々と言い放った。
もちろん、信長も単なる善意で足利義昭を助けようというのでは無い。
彼を奉って上洛を果たすという事が、どの様な意味と威力を持っているのか。 それを知らぬ大名など居ない。
であるにも拘らず、これまでどこの家も手を挙げなかったのは、単にそれを行う余裕が無かったからである。隣国との戦しかり、財政しかり。(ついでに言うと実際に上洛しようとした今川義元も信長にサクっと倒された)
だが、今川を跳ね除け斎藤を降し、徳川や浅井と同盟を結んだ織田家には、今やそれだけの力が有る。そして何より日和見主義の朝倉義景と違い、彼にはそれだけの能力と実行力が有る。
――やはり織田家を頼って正解だったか。それにしても、織田殿……拙者の事を覚えているであろうか。
大任を果たした十兵衛は、もうひとつの重大な懸念に胸を焦がす。
何といっても、彼はかつて信長の小姓をNTRした前科があるのだ。
彼が抱いたその小姓も後に元服し、幾多の戦で武功を挙げ、今では『槍の又左』の異名で恐れられる侍となっている。
その、かつての美少年を自分の槍でほにゃららしちゃった事について色々と思い出しつつ、信長の顔を伺うと……
「時に明智十兵衛。そのほう、以前わしと会った事が有るのう?」
――やっぱり覚えてたーっ!
脂汗を滴らせながら、十兵衛は再び頭を深く下げる。
「……覚えておられましたか」
「忘れようも無いわ。何と言っても犬千代がそちの『世話になった』からのう」
「い、いかにも」
焦る十兵衛に、信長は先程とは違う意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「のう十兵衛。あの時の事を覚えておるのなら、わしが何と言ったかも当然覚えておろう?」
「あの時、申されたお言葉と仰ると……」
「わしはそちに、『今日の所はその首を預け置く』と言った。それを返してもらおう」
――え!? 何だよそれ!
――あの時は許したのに、今になってどうしてそんな事言うんだよ!
……などという内心のざわめきを、流石に一切顔には出さず。
「それがしの首を、ご所望でござりますか」
十兵衛は努めて涼しい声で言った。
信長は、そんな十兵衛に悪童の様なうつけスマイルを返しつつ。
「うむ。明智十兵衛光秀、公方様をお連れせし後は、そのまま当家に仕えよ」
「なんと!?」
「どうせ此度の件で朝倉には居づらくなろう。もとより、そちについてはかつて
見よ。織田信長、かつて自分の小姓を寝取った十兵衛を自軍にスカウトしているではないか。
二十年前のあの日。十兵衛が、まだ吉法師と幼名を名乗っていた信長の本質を括目していた様に、彼もまた十兵衛の力量を幼き頃より見抜いていたのだ。まさに戦国の覇者、恐るべき眼力である。
こうして翌、永禄11年。織田家は将軍足利義昭を迎え入れ、それに伴い明智十兵衛光秀も朝倉を去り、織田家に仕える家臣となった。
あの、運命の出会いより実に二十年。遂にふたりの運命は強く、大きく交わり始めたのだった。
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