8 蹂躙

蹂躙


 時間が止まったような沈黙の中、飯島が動いた。

「うおおおおぉぉっっ!!」

 手加減なしで放ったストレート。少女の顔面を叩く。

 コンクリの壁を殴ったような衝撃が拳に返る。痛みに顔をしかめた。

 ウェイト差を考えれば、数メートルは吹っ飛んでいるはず。

 なのに。

 少女は位置を少しも変えず、ぐにゃりと首だけ回して飯島を見た。

 恍惚にも似た表情を浮かべて。

「遊びましょう、ね?」

 ――なんだ、こいつは。

 背中に氷柱つららを刺されたようだ。全く理解できない、もの。

 とにかく逃げようとするが、足がの伸びた黒髪にからめとられている。思わずバランスを崩し、尻餅をついた。

 少女が飯島の口に手をかける。あごを大きく広げた。

 

 ずるり。


 少女の頭が、上半身が――飯島の潜り込む。喉が異様に膨れる。

 見ている側にとっても悪夢でしかない光景。

 長く伸びた少女の黒髪さえ吸い込まれてしまうと、飯島は動かなくなった。


「――飯島?」

 宝田が声をかけた。

 ぴくり、と指が動いた。緩慢かんまんに――まるで体に慣れていないかのようにゆっくりと上半身を持ち上げる。

 まるでゾンビ映画みてえだ、と宝田は思った。

 立ち上がった飯島は焦点の合わない眼をさまよわせ、兄貴、兄貴と呟いている。

「大丈夫か? あれはどこに行った?」

「とっても気持ちいいよ、兄貴。あいつは俺の中にいる。俺は何もしていない――身体を動かしてるのはあいつなんだ」

「……憑りつかれたか」

「兄貴、

 飯島は折り畳みフォールディングナイフの刃をパチンと跳ね上げた。

 宝田に襲い掛かる。しかしそれはフェイク。

 防御されることを前提に放ったミドルキックで反動をつけ、まったく別の方向にいたミチルの白い喉に――

 凶器の刃が翻った。

「あ……あ」

 血潮が飛び散る。

 飯島は覆いかぶさるように――倒れるミチルの裂かれた喉に喰らいついた。顔の下半分を真っ赤に濡らし、獲物をしとめた野生の豹の如く笑う。


「飯島あぁっ!!」

 宝田の怒号が響いた。

 飯島の顔を殴り飛ばす。手加減などなしだ。ミチルを残して飯島が後ろに吹っ飛んだ。シャブ中が暴れるのと同じだ。中途半端な制裁など意味がない。

「ミチル……ミチルっ」

 タケシがミチルのもとに駆け寄る。


 どすっ、と鈍い音がした。


「なんでだよ……」


 タケシの腹に、飯島のナイフが刺さっていた。

 刺したのは



「遊びましょう、タケシ」



 ミチルはナイフを自らの、すでに傷がぽっかりと開いている喉もとに当てた。

 まさか。

 刃を動かす。


 誰もが見ている光景を信じられなかった。それ程に凄惨な――。


 ミチルはというのか。

 

 神経か筋肉か、ぶちぶちという音がする。

 ミチルの身体が倒れ、ごろん、と首が


 そうして――。


 断面も鮮やかな首から、まだ血が流れ続けるそこから、ぬっと青白い人形のような腕が出た。

 が、あの恐るべき少女が、ミチルの生首を押しのけながら姿を現す。


「化け物……」

 宝田が言った。少女は、

「そうよ、あたしは化け物。だから何?」



「てめえは糞だ」

 少女はおかしそうに、笑った。



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