3 祓

「岩内トンネルは山々にさえぎられた県境を行き来しやすくするために高度成長期に作られたトンネルです。当時の技術の限界もあって崩落事故が発生、九人が死亡。三十人以上が怪我をしました」

「裏日本のから工事を急いだって事情もあるしね。まあ昔から出るって言われてたし」

「これに限らずトンネルって怪談が多い気がしますが、幽霊が出やすい条件ってあるんですか?」

「もちろんあるわ」

 沙綺羅さきらは奇妙な感じに微笑みながら、言った。

「象徴的に言えば、トンネルってをつなぐ性質を持っているの。『千と千尋の神隠し』でも異界への入り口になっていたでしょう。『犬鳴村』でも入り口はトンネルだった」

「巫女さんが――というか、仕事で霊に対峙する人がホラー映画見て楽しいですか」

「医者が医療ドラマを見るべきじゃない?」

 ふふん、と沙綺羅は笑った。

「表現には限界がある、映画で本当に死体を写すわけにはいかないもの。リアリティのある嘘をつかなきゃいけない。を知ってると、その苦心の跡に拍手したくなる。だから私はホラー映画で怖がりたいんじゃない。でも、好きだし楽しんでる」

「そんなもんですか」

「たぶん心霊オタクなんでしょう、私。トンネルに霊が出やすいかって話に戻ると――日本は地下水が豊富だから、穴掘ったら水が出るわ。湿気が高い、換気が悪くて空気が澱む、薄暗い。これでもかって条件だよね」

「そういえば、昔から幽霊は水気を好むっていいます」

「空気中に水分が多いと波動を通しやすくなるから」

「……? 波動、ですか」

「そこらへんはまた今度ね。仕事にかかりましょうか」

 沙綺羅はキャリーバッグを開け、中から円筒状のケースを取りだした。中に入っていたのは、弓。

 床に押し付けるようにして弦を張り、両端に小さな鈴をつける。

 バスがトンネルに突入した。


 中に侵入して三分もたないだろう。それは起こった。

「これは……?」

 異変を感じた明畠は思わずつぶやいた。

 空気ががらりと入れ替わったかのようだった。

 皮膚感覚では二度ほども低く感じる。なのに、背筋に冷たい汗が流れた。

 バツッと一瞬だけ車内の照明が途切れ――。

「うわぁ、なんだこれ!」

 前の席のカップルの若い男が、情けない声を出した。

 

 ぺたり。

 ぺたり。


 窓に手形が映る――疾走するバスの外側から。



「神を――降ろします」



 これが、よだれを垂らして爆睡していた女性と本当に同じ人物なのだろうか?

 明畠は後じさった。自然に気圧けおされたのか。

 視界に、不自然な人影が映った。あそこには誰も乗っていなかった。それは確実だ。

 泥にまみれた作業服姿の男性が座っていた。

 ただ――。

 

 ゆっくりと、ぎこちなく、振り返ろうとしている――。


「――皆花みなはなよりぞ木実このみとはる、我が身はすなわ六根清浄ろっこんしょうじょうなり――」


 びぃん。

 弓が鳴る。

 りん。

 同時に弓につけられた鈴が音を立てた。

 沙綺羅の腕が、足が、踊る。


「――天地あまつちの神と同根どうこんなるが故に万物の霊と同根どうこんなり――」


「――きわめきたなきもたまりなければきたなきはあらじ。内外うちと玉垣たまがき清浄きよくきよしもうす――」


 びぃんと弓が鳴る。鈴が鳴る。


 古めかしい祝詞ことばにもかかわらず、明畠は何故か、現代舞踏を連想した。周りの音がすべて弓鳴りと鈴鳴りに支配されている。

 作業服姿の霊はゆらりゆらりと揺れていたが、唐突に――出現したときと同様に――消えた。


「――ふぅ」

 沙綺羅の顔には尋常ではない汗が流れていた。肩で息をしている。

 荷物から一リットルの水のペットボトルを取り出すと、一粒の錠剤とともに直接ラッパ飲み。

「しばらくは霊も入ってこないと思う。周りの気も軽くなったでしょう?」

 そういえば、じんわりと冷たく湿った空気が通常に戻ったようだ。

「……凄い、です。とても――感動しました」

「まあそんなのはいいんだけどね。やっぱりちょっと変だなあ」

「え?」

 あんなにはっきりと心霊現象が起こるとは明畠は思っていなかった。

「ちゃんと霊がいたじゃないですか」

 沙綺羅は腕組みをして、言った。

「霊がいることはいるけど、低級ばっかりで大物がいないの。

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