All nighter's blues pt.1



     ◇



「あっのヒゲメガネ……」


 中間試験まで後7日となった日の放課後。教室の机で試験範囲の課題にとりかかるギャルは忌々しそうに唸った。


 ちなみに、ヒゲメガネとは数学を担当しているハロルド教師のことである。いや確かに、ヒゲだしメガネなんだけどさ。言い方ってもんがあるでしょ、もうちょっと。


「手伝おっか?」


「んー……いい。今回こそジルには頼らない」


 ギャルは勉強が苦手なくせに、極力人には頼らないという謎に殊勝なポリシーがあった。……まぁ、大抵は直前になって泣きついてくるんだけど。


「そっか。頑張れ」


「うーん」


 そういって机に向かい直すギャルであったが、ものの数分もしないうちに「ぬあー! 休憩!」と叫んで机に突っ伏し始めてしまった。


 我が級友よ、そこら辺はまだ簡単だし、数学は魔術でも使うから真面目にやっといたほうがいいぞ……。


「さすが、筆記の鬼は余裕が違うわね」


 数ヶ月先の授業でギャルが絶望しないか心の片隅で案じていると、前の空席にシャロンが座ってきた。数少ない、私が名前を憶えているクラスメイトだ。


「それ……私のこと?」


「他に誰がいんのよ」


「私、陰でそんな風に呼ばれてたのか……」


「いや、たった今私が適当につけた」


「……なにそれ」


 しかしまぁ……シャロンがそう呼称してくる意味もわかる。


 自分で言うのもおこがましいけれど、しかし謙遜するのもそれはそれで角が立つ程度に、私は筆記試験の成績がいい。


 王室に居た頃に受けていた教育の質が良かったことは言うに及ばず、孤児院の頃も片手間にわんぱくなガキどものおもりをしながら、もう片手では勉強していたわけで、今のところ学院の授業内容に理解できない点はそうそう無い。


 ただし、実戦の魔術の成績はひどいものだから、総合成績で見ると上の下くらいに落ち着いている。要は、頭でっかちのガリ勉女、てところだろうか……あれ? これ普通に悪口だったんじゃない?


「ま、そんなことよりさ」


「そんなことって……いや。まぁいいよ、うん……それで?」


 不承不承に言葉を呑む私を見て、シャロンは口端を緩めてクールに笑うと次の言葉を紡いだ。


「ジルさぁ、リオン君と喧嘩でもしてる?」


「……ほ?」


 予想外の話題に、思わずリオンの席の方を見る。話題の彼は、放課後の喧騒の中、クラスの最後列にある座席で顔中に皺を寄せて手元の教科書と睨めっこしていた。


 それにしても……喧嘩? 


 そりゃあ、常日頃どんぱちはしてるけど、それは私が一方的に襲われているだけだから、喧嘩とはほど遠い。


「別に、そういうワケでもないのね」


「ぜんぜん。てか、けんかするほど仲良くないし」


「はいはい、言っときなさいって。……なんかさ、今日……お昼だったかな。リオン君に勉強教えて欲しいって頼まれてさ」


「うん、それで?」


「で、言ってやったの。『ジルに教えてもらいなよ』って」


「なぜそうなる」


「……え? だめだった?」


 そこでキョトンとするなキョトンと。どう考えてもおかしいでしょ。


「さも当たり前みたいな顔でぜんぶ私に押し付けるのはどーかと思うんだけど」


「だって、ジルはリオン君のお世話係でしょ?」


「…………。それもまた、シャロンが今この瞬間に決めたの?」


「まさか、暗黙の了解ってやつよ。リオン君、他の人にも聞いて回ってるみたい。噂になってるわよ?」


 私の精一杯の非難の目なんて涼しい顔で流して、シャロンは続ける。


「私がジルの話したら、『今回はジル・ソーリスの手を借りるわけにはいかなくてな。しかし、皆そろって彼女の名を出してくるのは何故だ……?』ですって。彼もなかなか唐変木よね」


 あー……なるほど。


 私がリオンの面倒見るのを断ったから、それで喧嘩中なのかと勘ぐったのね……。なんだか頭が痛くなってきた。


「え、あたし、そんなこと聞かれてないんだけど……」


  話の内容が聞こえたのか、隣でぶっ倒れていたギャルが突然蘇生して声を上げる。


「そりゃリオン君だって頼る人くらい選ぶでしょ」


「えっまってひどくない!? ……まーでも、勉強みてあげるんなら、やっぱジルが適任だよねえ」


「貴女までそんなことを言うのですね……」


「ハイハイ嘘泣きしないのー……って、ちょ、そんな睨むことないじゃん! ホラ、仲良しかどうかは置いといてさ、成績いいし、それこそあたしに構ってられるほどの人って、ジルしかいないわけだし?」


「…………」


 起き抜けのギャルが、なかなか痛いところをついてくる。ギャルのくせに。


「そそ。逆にさ、喧嘩も何もしてないなら、なんでジルは断ったワケ?」


「それは……」


 2人の言及に図らずも言葉に詰まる。


 そりゃそうだ。この2人に私とリオンの関係をどう説明すればいい。大真面目に話したところでイタい確定だし、いっそ嫌いだからなんてうそぶいたところで火に油だろう。


「えーっとね……」


「いいんじゃないかな? 俺からも是非お願いしたいくらいだよ、ミス・ソーリス」


「……はい?」


 私が答えあぐねていると、急に頭上からデューイ教師の声が降ってきた。


「うわ、びっくりしたー。先生かー」


「ていうか、センセ、私らの話聞いてたんですか?」


「あー……まぁ、テスト前だし、様子でも見ようかと思ったら……ちょうどいたもんでな」


「なんかそれ、ちょっと変態っぽくない?」


「え、マジで? いや……でもそうか、俺ももう若くねぇもんな……。そこら辺は気を付けないとまじーか……」


「マジにしないでくださいよ! うわやば、ちょっとウケる」


「いやいや、俺にとっちゃあんま笑えないからねそれ……」


 シャロンとギャルがデューイ教師をからかってワイワイしているのを横目に、私は1人戦慄していた。


 なんか、ちゃっかりデューイ教師もこの話に乗っかってきてない? どうしよ、今のうちに帰ろうかな……。


「あー、待つんだミス・ソーリス」


 そろりそろりとカバンに手を掛けようとしていた私に、すかさず待ったがかかった。


「なんでしょう、デューイ教師……」


「真面目な話、ちょっと考えといてくんないかな。彼もここでの生活に相当苦労しているみたいだし、なにより、人に教えるってのは案外難しいもんで、また違った勉強になる。丁度いい退屈しのぎになるだろ、君にしてみれば」


「ははは……あいにくと私も、そこまで余裕がですね……」


「何言ってんだか……。こんな代物をしれっと安定させるだけの知識と技術を持ってる16歳なんて見たことないぞ、俺は。少なくとも、向こう1年間の学習範囲なら余裕なはずだろ」 


 曖昧に愛想笑いを浮かべていたら、デューイ教師は呆れた様子で私の額を指の背でコツンと叩いた。


「……え? あれ?」


 否。デューイ教師は、私の額を叩いたように見えて、私には触れていなかったのだ。


 以前にもお話したかもしれないが、私の『まゆ』は、私にとって有害な刺激を弾くように、ある程度の閾値が設定されている。軽微な身体的接触なんかをいちいち吸収していては、私の体はみるみるうちによわよわになっていくことは目に見えているためである。


 それを、いとも容易く認識さみられた。これまで生徒はもちろん、教師にもバレたことなんてなかった。結構うまいこと隠せてる自信作だったんだけど……。ひょっとして、デューイ教師……なんかすごい人だったりするのか。教授マギストリらしいし。


 戸惑う私に、ちょっとだけ得意げな笑みを見せると、デューイ教師はポンポンと私の肩を優しく叩いた。


「ま、無理にとは言わねーからさ。頭の片隅には置いといてくれな」


「むむ……はい。善処します……」


 ギャルとシャロンが、私とデューイ教師のやり取りに『?』みたいな表情を浮かべる横で、私はなんだか色々と白旗をあげたい気持ちになっていた。


「あー、センセ? 今のはフツーに変態っぽかったよ」


「……………………まじ?」


 シャロンよ。世の中には、自明であっても言わないほうがいいことってのがあるんだぞ。

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