第4話・その名はカルヴァエル

 最初に聞こえた轟音は、大分遠くに思えた。響いてくるものが随分と間延びしたものだったからだ。


 「近い!カルヴァエル出せ!!」

 「まだ起きてねえんだよあの野郎ッ!!」

 「ヴレス乗れ!起こすのはやってみる!!」


 幾人かの怒号。その緊張感が伝播したように、見える範囲にいた全ての人が弾かれるように動き出した。


 「きみも安全な場所に隠れて!」

 「え?あ、あのあなたどうするつもりなの?!」

 「僕がカルヴァエルを動かすんだ!」


 駆け出しながら男の子は怒鳴った。かるばえる?乗る?もしかしてまだロボットが他にいて、この男の子がそれを動かすってこと?


 「……っ!」


 考えるより先に体が動いた。見たい。見てみたいっ!

 なんかいー感じにあたしをときめかせてくれた男の子が、ロボットにのって戦うとか、すんごい興味あるっ!


 「ごめん!外の方よろしく!!」

 「おう、任せとけ!…と言い切れないのが情けねえが…お、おい嬢ちゃん離れてろ!」

 「え?……ちょっ、きみ隠れてろって言っただろ!」


 駆け付けた場所はそう離れたところでもなかった。というか、最初にヒップアタックを食らったところだった。あ、そういえば上から落っこちてきたんだっけ……と、見上げてみたら……。


 「余裕はどれくらいある?!」

 「…さあな、コイツを見つけるまでどれくらいかかるのやら…祈るしかねえやな!」


 男の子は縄ばしごを伝って這い上る。

 その先にあるのは、鈍い鉛色の鎧に覆われた巨体。身動ぎもしない「彼」は、背を預けている崖と一体化しているようにも見えるけれど、間違い無く人の形を模した、巨人だった。さっき踏み潰されそうになった、象みたいな四本足じゃなく、誰もが憧憬し、その姿に託したくなるような、異形…ううん、勇姿だった。


 「離れて!」


 男の子は、直立する巨人の胴体にある、鎧がガバッと前に大きく開いた部分に入り込むと、そこにくくりつけられていた縄ばしごを外して放る。その時、まだ下でぼーっとしてたあたしに向かって注意を促したけれど、あたしはその声にも気付かず、巨人の偉容と、それに乗り込む男の子の姿に見入っていたものだから…。


 「あいたぁっ?!」


 …落っこちてきた縄ばしごが顔に当たって、また無様な声を上げてしまう。ああそっか、さっきはあそこから飛び降りてきたところにあたしがいて、下敷きになったんだ。納得。


 「嬢ちゃんいいから逃げやがれってんだ!」


 鼻の頭を押さえて涙顔にあたしの腕を、さっきも助けてくれたおじいさんが引っ張ってどかそうとする。ごめんなさい、でもあたしはこの子を見ていたいと思ってる。だから。


 「よく分かんないけどまだ動かないんでしょう、この子。だったら動き出すまで見ててもいいじゃない!」

 「…おまっ、なんちゅうか……クソ度胸のある娘っ子だなぁおい!まあいい、ションベンちびらない自信があんなら好きなだけそこにいろや!」


 さっき漏らすとこガマン出来たからきっと大丈夫!…なんて流石に言ったりはしなかったけど、小粋にサムズアップで応えると、おじいさんはあたしの心意気くらいは汲んでくれたのか、ニヤリとして巨人の足下で何か作業を開始する。チラと見ると、何をするのか迷いのない手付きで、巨人の足下から生えたケーブル?みたいなものを自分の胸元に下げた機械だかに挿して、あたしのよく分かんない言葉で機械に話しかけている。

 その様子はやっぱり必死だったから、あたしは邪魔にならないように一歩後ろに下がり、また巨人の姿を見上げてみた。

 その背丈…っていう表現が正しいかはともかく、頭のところはちょっとしたビルの高さくらい…学校の校舎よりも高そうには思える。こっちから見た限り、男の子の潜り込んだ操縦席…っていうんだろうか、そこは中の様子も見えなくは無い。

 中はそれほど広くはないみたい。余裕たっぷりの座席に座る、っていうよりは、中腰よりやや立ち気味のシートに体を預けている、って具合だ。巨人の体はやや前傾してるから油断すると落ちてきそう。

 そして操縦席の男の子は、おじいさんと同じように、聴いたことの無い言葉で何か怒鳴っている。ヘッドホンとマイクが一体化したみたいな機械を頭につけて、そのマイクのところを指で持ち、何だかとても必死な顔だった。時折苛立たしげに、操縦席の中の、シートの横にある操縦桿?みたいなものをガチャガチャ動かしているのは、きっと心の声的には「動け!動け!」みたいな感じか。見たことはないけど、ロボットアニメの主人公みたいだ。

 そして、その巨人のご尊顔となると…。


 「見えねー…」


 まあ、そうだろうな、って。

 立ったままじーっとしているんだし、ほぼ足下にいるあたしの位置だと、張りだした胴体の胸部の影になってそこまで見えないのだった。


 「もう少し下がったら見えるかな…?」


 何だかさっきよりドタバタの度合いが激しくなって、ウロチョロしてたら跳ね飛ばされたりしそうだったけど、これだけの格好いいロボットなんだから、さぞかし顔も惚れ惚れするよーな格好良さなんだろうな、って興味が沸いて、少し場所を移そうと思った時だった。


 「カルヴァエルを見つけやがった!そっちに行くぞォォォォッ!!」

 「え?…な、なに?何が起こって……」


 そうだった。なんか「じゅうしん」ってのが襲ってきているんだった…っ!!

 慌てたあたしは、地響きみたいな大きい音がしてくる方角に目を向ける。そしたら。


 「──────────ッ!!」


 ……まだ、遠目と呼べなくも無い距離のあるところに、さっき見た「しるどら」をも凌駕するサイズの、狼のような動物が、そこにいて、表現しようのない類の咆吼をあげていた。

 動物?そんな常識も通じない大きさの動物なんかあり得ない、とか言ったって実際にいるんだからしょうがないじゃない。でも、これが、ここいる男の人たちが「じゅうしん」と呼んで怖れる存在なのは、一瞬で理解出来た。出来てしまった。

 そしてその恐ろしいものが顔と、視線を向けた先にいるのは……あたしっ?!ちょっ、待って待ってあたしまだ何も分からないし生まれたてのほやほやだっていうのにいきなり生命のピンチっ?!冗談じゃ無いわよっ!!


 「ねえっ!!なんかとんでもないものがこっち見てるんだけどどーするよのっ!!」


 だからみっともなくも、ロボットを動かそうと悪戦苦闘している二人に訴えかける他無くて、でも男の子はあたしの声が聞こえたのか聞こえなかったのかこっちを見向きもせず、で、おじいさんの方は顔を上げて「うるせぇっ!!」って怒鳴るばかり。ちょっとそーいう言い方無いんじゃないのっ。危険が危ないの知らせてるのにこんなことやってる場合じゃないでしょうっ?!いーから逃げるかこの動かないロボットで戦うかとかなんとかしてよっ!!


 「────ッッッ!!」


 また、背筋も凍り付くような恐ろしい叫び声。今度は気がついたのか、男の子は操縦席から身を乗り出してその声の主の姿を見て確認していた。そして、地上にいるあたしたちに呼びかける。


 「じいさん、その子連れてとにかく逃げろ!」

 「やかましいわ!目が覚めりゃああんな雑魚どうにでもなるだろうがッ!!」

 「そのアテが無いからこうして慌てているんだろっ!…ああもうっ、アノウェイの子ッ!そのじいさん連れて離れて!!」

 「ええっ、あたしぃっ?!」


 ちょっ、こんな状況でアテにされてどーすりゃいいのよ!!…って愚痴ってる場合じゃない。とにかく出来ることがあるならやるしか…って、ロボットの足下から動こうとしないおじいさんを羽交い締めにして、この場を離れようとする。


 「おっ、何しやがるこのガキ!」


 でも素直に言うことを聞いてくれるようには思えず、案の定結構な力で逆らってくる。


 「うるせーっ!あたしがガキならあんたは何なのこのクソジジイ!危ないの分かってるんだから逃げなさいよっ!!」

 「じいさん!こっちは何とかするから逃げてくれ!その子を巻き込みたくないっ!!」

 「……っ、わあったよ!ケガだけはすんじゃねえぞヴレス!」


 それでもなんとかしようと引きずっていこうとしたら、操縦席の所から男の子が加勢してくれてようやく言うことを聞いてくれた。っていうか、ヴレスって名前だったのか、彼。あ、そういえばあたしまだココに来てからまだ一度も名乗ってないな、とかほんっとーにどうでもいいことを考えながら、自発的に逃げ出し始めたおじいさんとロボットの前を離れる。

 けど、足音とも思えない地響き的な轟音と共に、「じゅうしん」は迫り来る。その向こうから叫び声やら悲鳴やらも聞こえてきたけど、そんなものが迫る脅威の足を止められるはずもなく、頭を低くして逃げていたあたしの後ろで、何か固いもの同士がぶつかり合うような大きな音が轟き響いた。


 「きゃんっ!」

 「ぐわっ?!」


 その勢いはあたしとおじいさんを転ばせるに十分で、揃って地面に転がったあたしたちは、同じように起き上がって、音のした方を見たんだけれど…。


 「……あ、ああ…」

 「ヴレスッ!!チクショウめ!」


 そこに見えたのは、巨大な狼が崖を背に立っていた巨人を潰そうとするかのように、後ろの崖にぶち当たったところ。

 巨人の胴体は狼の頭に激突され、崖のところはまるで巨人がめり込んだようになっている。え…じゃあ、じゃああの中にいた男の子は…ヴレスはっ?!


 「やめろォォォこのクソケダモノめがァッ!!」


 脱力し、腰からへたり込むあたしと違い、おじいさんは戦意を失わず狼に吼えかかっていた。けれどそんなものでは、何も出来ないあたしと同じことだ。それが分かっているのだろう、おじいさんはやがて足下の石を拾って投げていたけれど、それだって何の効果も無いことに変わりはない。


 狼は、一度では満足しなかったのか、また足を引いて勢いをつけて巨人にぶちかます。それはもう、相撲の力士のてっぽう、みたいな調子で、でも大きさも重さもそれとは比べものにならない勢いのそれは、二度、三度、と同じように繰り返され、その度に巨人の鎧は軋みをたてていた。

 マズい…ヤバい…このままだと、あの巨人が破壊されてしまう……それ以前に、中にいるヴレスが………あ、ああ……。


 「や、やめて……やめてやめてっ!やめて─────────っっっ!!」


 ついさっき会ったばかりの、ちょっとときめいてしまった男の子。

 それだけじゃない。右も左も分からない世界に降され、初めて抱いた不思議な憧憬。あの巨人にはそれがあって、それがどんなものかあたしはまだ知っていないっていうのに…っ。それが、それらが失われてしまう…。

 その恐怖で、あたしは叫んでいた。自分に力がないことが、どうにも悔しくなった。突然襲いかかって来た理不尽な暴力に対して何も抗えないことに、怒りしか沸かなかった。

 あたしは無力だ。失敗して死んでしまった身をやり直しさせてもらったけれど、ただそれだけだ。それだって自分の力で成し遂げたことじゃない。誰かの意図でそうなって、あたしはただ流されてここに来ただけだ。


 なんなの。なんだっての、あたしは。あたしに出来ることなんか、何一つ無いじゃないか。


 (………)


 暴虐なる狼は、二桁に及ぶ回数の体当たりを繰り返している。

 最初から動いてなどいなかったけれど、巨人はその度に、痙攣するように巨体を震わせ、それでもなんとか原型を保ったまま、されるがままにいる。


 「ド畜生めがーッ!」


 おじいさんは、とうとうたまらなくなって駆け出した。そのままじゃ暴れ狂う狼に踏みつけられるだけだろうに。あたしは止めようと手を伸ばし、でも足も腰もあたしの言うことを聞かなくって、何も出来なかった。今までと同じように。今の、他の物事へと同じように。そして、これからもあたしは何も出来ない…のだろうか。


 (………)


 狼は、一度大きく身を引き、助走をつける程の距離をとる。トドメだ。今度、勢いをつけてぶつけられたら、本当にヴレスと巨人は失われてしまう。あたしに、一瞬何かを見せてくれて、それが何だったのかを考える暇さえ与えずに、あたしの手の届かないところに行ってしまう。


 (………)


 まただ。またあたしは、何かをやろうとして、失敗してしまう。


 (………)


 いやだ。いやだいやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだそんなの絶対に…いやだぁっ!!


 「……目を覚ませ──────────っっっ!!」


 (……ああ)


 あたしの吼えるような叫びに、何かが、耳元で応えてくれた気がした。ものすごく、優しくて温かい声で、だった。

 その瞬間、繰り返されてきた破壊音に、更に倍する大きさの音が響く。狼が、最期の一撃を、巨人の身動きとれないその体に叩き付けた、その音だった。

 そして、その場の空間全域に轟いた衝突音が鳴り止んだ。後には、人びとの悲鳴や怒鳴り声もなく、咳き一つさえ耳に痛く思えるほどの静寂が残る。

 巨人は更に崖に深く埋まり、ここから狼の体の向こうに見えるのは、右と左の腕のみ。足は地面から離れ、宙に浮いているのだろうか。


 「…………」


 喉が鳴る。固唾を呑んで、何が起こったのかを見定める。


 …なんだろう。絶望しか目に入らない光景のはずなのに。


 あたしの、この胸に去来する、歓喜にも似たざわめきの、その正体は。


 その場にいた誰も彼もが、一言も発することが出来ない中、最初に動いたのは、崖に巨体をめり込ませていた狼だった。

 成したことに満足したかのようにゆっくりと身を引き、狼はガラガラと崩れ落ちる岩の中、相変わらず地響きを立てながら、一歩、二歩、三歩と後ろに後ずさる。

 次第に見えてくる、暴虐に晒されていた巨人の姿。それは、破壊され尽くした無残な姿……ではない。

 まだ健在だ、とも言い切れない傷だらけになった、ところどころにヒビすら入っている鎧だけれど、鈍い銀色の輝きは失われずにいて、そこに力が残っているならば、すぐにでも動き出しそうだった。

 そして。


 「……カルヴァエル」


 誰かの呟き。

 そう。その名はカルヴァエル。

 あたしの叫びに応えた、人の手により作り替えられし獣神。人を、あたしたちをその力で強く導く、正しき名前だ。


 「うんっ!!目を覚ましたなら、声に応えてっ!!」


 立ち上がって怒鳴ったあたしを見て、何人かのひとが怪訝な顔をしていた。気でも触れたかと心配してか、そうでなければいつの間にか紛れ込んでいた美少女の姿に見とれていたのだろう。きっと。明日からあたしは聖女の名にし負う存在になるのだ……言っておいてなんだけど、それはちょっと困る。目立つの嫌いだし。


 『ォォォォォォォォンンン────……』

 「きゃっ?!」


 なんてアホなことを考えていたら、鋭く力強い咆吼。驚いた。でも怖くはない。だって、それを聞いてあたしの胸は、こんなにも強く高鳴っているんだから。どきどき、って。これから、とんでもないことが始まるんだから、って。


 「…カルヴァエル」


 その雄叫びに驚いて耳を塞いだ格好のまま、初めて彼の名前を呼んだ。呟くように、けれど確かに。ずっと前から知っていたように、懐かしく思いながら。

 覚えてしまえば、もう怖れることはない。

 目を覚ましたあなたは、何にも負けないんだから。


 『ウォォォォォォォンンン!!』


 再びの吼え声。お腹の底にジンジンと響いて、温かくなる。

 今まで死んだように身動きしなかったカルヴァエルが、確かに、ゆっくりと動き出す。

 埋まった体を起こし。腕を振るい。足を地につけ。

 そして、怖じ気づいたように後ずさる狼の前に、立ちはだかる。

 そのいさおしき姿は、絶望的な光景に打ちひしがれていた人びとの眼に光を取り戻す。

 大丈夫だよ。

 だから、あなたの相棒と共に。


 『……こぉん…畜生ぉぉぉぉぉぉ!!』


 ……あたしたちの前に、力と道を示して!!

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