第3話・戦場に前線も後方も無い、って話
は…話が違うじゃないのあの犬っころぉぉぉぉぉっ!!
…と、文句をひとしきり叫んだ後、ようやく周囲の状況を確かめられる気分になった。
あれ、そういえばあのワンコ、自分のことは忘れてしまう、とか言ってなかったっけ。別にどうでもいいことだけど。
ともかく、そんな文句の一つも言いたくなる状況なワケだ、今のあたしの周りは。
最初、戦場?と思ったけれど、銃弾とか大砲とかミサイルが飛び交うような状態、ってわけじゃなくて、なんだか男の人の怒号とかが響き渡り、死ぬと生きるとかいう空気でピリピリというかビリビリしている空間、なのだった。
「オルクスのシルドラがやっと起動した!カルヴァエルはまだか?!」
「あの大食らいをアテにするなって言っただろうが!!ヴレス、もういいから降りてこっちを手伝え!!」
目の前で右往左往する大人たち。見たことの無い衣装をまとい、土埃の舞う中を怒鳴りながら往き来するところは、本気の本気でヤバい感じがする。
…で、そんな中であたしは何をしているんだろうか。
立ち上がってお尻のところを叩くと、そこを中心に砂埃が立って思わずむせ込んだ。随分と空気が乾いている上に、砂も随分目の細かいものみたいだ。砂漠、って感じの場所なのだろうか。
でもその割に気温は高くない。むしろ、カラッと晴れわたってちょうどいいくらい。野太い怒鳴り声と聞いたことの無いギィィィィとかゴォォォォって感じの音がやたらとお腹に響く以外は、気持ちの良い天気だとも言える。
っていうか、さっきからどっかんどっかん耳障りなんだけど、何の音なんだろう?
空気を読んでもろくなことにならなさそうだったので、戦場みたいなというか戦場そのもの…まあ行ったことはないんだけど…な様相を敢えて無視して、周囲を見回す。
男のひとが、数十人。なんだか重たいものを担いで駆け回ったり、やっぱり大声で怒鳴っている。
それにしても、さっきから途絶えないこの大きな音は何なんだろう。機械の音っぽいけど、そういう規則的っていうか人間の理性が生み出した音、っていうのともちょっと違うみたいだけど。
「テメェそんなとこで突っ立ってんじゃねえ!!」
って、ぼーっとしてたら突然大声をかけられた。というか叱りつけられた。突っ立ってるも何も所在が無いんだから仕方がな…。
「馬鹿野郎っ!」
「あいたぁっ?!」
何か言い返そうとしたら、石みたいな固いものをぶつけられた。幸い頭とか顔じゃなくて肩のところだったけど、ケガをしたらどーするのよっ!……あれ?
不意に、空が暗くなった。というか、日が陰った。別におかしいことでもないんだろうけど、なんだか不吉な予感にかられて空を見上げると、そこには天井があった。天井?いや頭の上にあって日を遮るものなんだから、天井でいいんだろうけど、天井っていうのは普通こっちに向かって迫ってきたりするものじゃ…。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ?!」
それが、あたしを踏みつけてくる巨大な足のようなものだと気付くより先に体が動いた。野生の勘、ってやつか生命の危機に際して発動する特殊な才能か。いや、冗談言ってる場合じゃなくって、飛び退いたその先で上下逆さまにひっくり返っていると、ついさっきまで自分のいた場所を、もう、「足!」って感じのぶっといナニカが踏みつけて、そして何ごとも無かったかのように「歩み去って」いった。
そう、文字通り、大きな足の動物だかに、あたしは踏み殺されるところだったのだ。
「あ、あわ、あわわわ……」
もう、危うく漏らすところだった。立派な乙女の危機だった。そして、ガクガク震えながら体を元の体勢に戻して見上げると、そこには象を二倍…いや、三倍くらいの大きさにした四足歩行の……機械?なんだろう…金属製の板だかに覆われたものが、ズシンズシンと地響きを立てるその度に地面についたお尻が跳ねる勢いで、歩いていく。
「な、な、なんなのよぉ、これぇ……」
思わずあたし、泣き言。さっき戦場だとかなんとか思ったけれど、これでハッキリ実感した。ここは戦場だ。でなければ、あんな無茶苦茶な暴力がまかり通るわけがない。
「そこの嬢ちゃん!そこはシルドラが通るからこっちに来い!」
呆然とそんなものを見送っていたら、さっきあたしを怒鳴った人が寄ってきて、引っ張り上げてくれた。あ、そうか。あたしこの人に助けられたのか。
腕を取られて立ち上がったところで、「あり、ありがとうございました。助かりました」と丁寧にペコリ。
「おう、どこから紛れ込んだか知らねえが、危ねえことに違いはねえ。いいからこっちに来い」
「はっ、はい!」
流石にそこからは手を引っ張ってくれたりはしなかったけど、後についてこい、という意図は伝わったので素直に従う。そうしてその場を後にすると、やっぱりさっきと同じ場所を、二台目の四足方向の…あーもう、ロボットでいいやロボットで。それが通っていった。
「ここならとりあえず危険はねえから大人しくしてろ。怪我は?」
「あ、大丈夫です…あの、ここどこなんです?」
「なんだ、そんなことも知らねえのか。お前一体どこから来た…ああ、いい。今はそれどころじゃねえ。いいか?ここから動くんじゃねえぞ。フラフラしてたらまたさっきの通りだ。いいな?」
「は、はあ」
よほど頼りなく思えたんだろう、「大丈夫かねえ…」と頭を掻きながら、その人は離れていった。思い出したように何ごとか怒鳴っていたけど、また叱られるような真似をしてた人でもいたんだろうか。
ようやく落ち着いて観察すると、その背中からは頑固なおじいさん、って雰囲気が立ち上ってる。あたしは祖父母ってものの顔は知らないけれど、かろうじて記憶に残っている父親の顔が、今表現するなら「おじいさん」って感じだったことだけは覚えている。まあだからといって、今あたしを助けてくれたひとと被るようなところは全く無いんだけれど。
「シルドラあと一機!行けるか?!」
「もう少し待て!」
「急げ!!獣神は待っちゃくれねえぞ!!」
岩陰に背中を預けて喧噪を眺める。しるどら、っていうのはきっとさっき歩いていった機械のことなんだろう。兵器とかそういうものの扱いみたいだ。
あたしは、なるべく注意を引かないようにして会話とか指示とかを聞きながら状況把握に努めた。不思議と人の声とか物音がよく聞こえる。
そうしていると、なんとなく今の状況が理解出来た。
要するに「じゅうしん」っていう敵が襲ってきて迎え撃つってことと、そのために「しるどら」っていうロボットが必要で、今は戦う準備で大忙し、ってことのようだ。
「じゅうしん」がどんなものかは分からないけれど、あんな大きなロボットで戦わないといけないのなら、よほど大きな敵なんだろう…大きさもそう変わらないとしたら、凄く怖いと思うんだけど…。
「こいつで最後だ!出すぞーっ!!」
「ゴーマ!いいぞ!」
「おう!感謝する!!」
五台目の「しるどら」が立ち上がり、先に出撃していった四台の後を追う。
それが去ると、辺りは静かになる……かと思いきや、今まで準備をしていた沢山の人たちから、とても疲れたような気配と共に苛立ち混じりの怒り声が次々と湧き起こっていた。
その内容ときたら。
「よぉし、あとは役立たずのコイツだけだな!」
とか。
「おいヴレス!お前が乗ってたって何の役にも立たねえんだから降りて大人しくしてろ!!」
とか。
「動けば英雄、じっとしてればただの穀潰し、ってもんだなコイツはよぉ!!」
とか。
まー、言葉だけ聞けば罵詈雑言の嵐なんだけど、他の「しるどら」が全部出払っちゃった後で気が緩んだせいなのか、汚い言葉の中にもどこか「しょうがねえなあ」的な苦笑っぽいニュアンスが嗅ぎ取れて、そう悪い気分でもない。
…そういえば散々に言われてるのも「しるどら」と一緒でロボットなんだろうか?まだ見かけていないけど、どんな形をしているのかな。
あたしはそんな能天気な興味を抱いて、じっとしていろと言われたにも関わらず立ち上がると、そのロボットの姿を探しに歩き出した。ずっと地面の上に座っててお尻も痛くなってきたから、丁度良いタイミング、ってものだ。
しかし何て言うか。生まれ変わって人生やり直せますっ!……って送り込まれた先が、大きなロボットみたいなのが戦うとんでもない場所、っていうのはどういうことなんだろうか。こーいうのは何かを拗らせた男の子の方が向いているんじゃないの?なんであたしみたいな、何の取り柄もない日本の女の子が送り込まれたんだろう。今からでもやり直しを要求した方がいいんじゃないだろうか。あたしのためにも、あの捉えどころのないワンコのためにも。
……なんて、益体もないことを考えていた時だった。
「うわぁぁぁぁぁっ?!」
え、なに?
方向で言えば間違い無く上だった。なんだか頼りのない、素っ頓狂な声が響く。そういえばこの場のおじさんたちの、野太い声と違ってなんとも涼やかな響きではあるけれど……上?
「むぎゅっ?!」
見上げた途端、なんだかごついお尻に襲われた。いやごついというか、間違い無く男のものなんだけど、やや細身で重くはなくて。だってそうでなければ、下敷きになったあたしは潰されていただろうし。
「……っ、てててて……あ、ああごめん、踏んづけてしまったね……」
「………」
いくらあたしがぼーっとしてたからって、顔にヒップアタックをまともに喰らうとは不甲斐ない。しかも男の固いお尻とか乙女の顔をなんだと思っているのか、こいつは。
落下してきた男に跳ね飛ばされて地面に転がっていたあたしは、どんな酷い言葉で文句を言ってやろうかとむしろ舌なめずりして起き上がった。
「ごめん、怪我しなかったかい?」
「したわよ心の傷ってものを負ったわよどーしてくれるのこの深いふかぁい傷を……?」
「……え?な、なんだい。僕の顔に何か…?」
「……………………」
…うあ、あたしとしたことが、一瞬見とれてしまった。鼻を押さえて体を起こしたあたしに手を差しのべていた、男の子に。
なんていうか、薄褐色の髪と健康に日焼けした肌に細面。目尻は少しきつめに切れ上がり、けど瞳は大きいから鋭さよりも精悍さを思わせる。
鼻は日本人基準なら随分高く、けど筋が通ってて突き出た、という印象はない。薄い唇は見ようによっては酷薄な印象も受けるけど、引き絞ったところなんか意志の強さを思わせるから、マイナスポイントなんかじゃない。
まあつまるところ、あたし的にはけっこーイケてる顔立ちだったわけだ。
で、そんな男の子が手を貸してくれるっていうなら、異世界に紛れ込んだ少女としてはのっかるしかないじゃないかっっっ!!
「……あ、ありがと。うん、けが…ケガはないから大丈夫」
ちょっとばかり演技。よろめいてみせると、男の子は慌てて支えてくれる。うーん、役得役得。なんてね。
「……本当にごめん。下を見ないで降りてしまったから」
「大丈夫。あは、そんなに気にしなくてもいいよ」
男の子は恐縮がって、少ししょんぼりしてる。そこで気に病まれるのも本意じゃないから、あたしは後ろにステップして、どこもケガしてないよ、と主張するようにその場で一回転してみせた。
…今思ったんだけど、あたしどんな格好してるんだろう。ドレスだったりするわけはないだろうけど、あまりにもみすぼらしい格好だったらみっともないし。
そう思って見下ろすと、埃っぽい白がメインで、今の空のように鮮やかな青がアクセントに施されたワンピース姿だった。スカートの下はズボンを穿いているみたいだけれど、似たような色の丈の短い上着と合わせて、なかなかに悪くない。体のあちこちにベルトのようなものがぶら下がっているのは、お洒落なのか実用的なのか、ちょっと判別の難しいところだ。
そんな感じに、かっこいい男の子を前にした少女としては当たり前の振る舞いをしていると、件の男の子はあたしの顔をじっと見て少し気遣わしげな顔になっていた。あれ、なんかヘンなことしたんだろうか。
「…アノウェイ族の子だね。あまりこの辺じゃ見かけないけど、どこから来たんだい?」
あのうぇい?ナニソレ。あたしは産まれも育ちも純日本製なんだけど。あ、そういえばこういう時なんて答えればいいのかレクチャーしてもらってなかったなあ。まさか異世界で火事で死んで転生してきました、なんて言えるわけないだろうし。
仕方ないので、ちょっと困った風に微笑んで、逆に尋ねてみる。我ながら悪い女だなー。
「……えーと、難しいこと分からなくて。あのうぇい?っていうものなの?」
「そうだよ。ほら、耳のところ」
「耳?」
言われて自分の顔の横に両手を当てる。そこにあったのは……もふもふだった。いや何これ。慌てて手をあっちこっちにやってみると次第に全貌が理解出来てくる……本来、小さな耳のあるはずだった場所には、短い毛に覆われた生温かいモノが生えていた。いや、生えていた、としか言い様が無い。なんだこれ。なんだこれーーーーーーっ?!
「あっ、あのちょっ、ちょっと……鏡っ、鏡ないっ?!」
「鏡?こんなところに鏡とか言われても…ああ、こっちなら分かるかな」
「え、え?あの……ちょっと?」
男の子はあたしの手をとって…ああうん、少しは照れるとかしやがれ。一人だけどきどきしてるのがバカみたいじゃない。いいけど。
「これなら分かるかな。ほら」
「う、うん。ありがと………ぉっ?!」
鏡でなくて、何に使うのかはよく分からないけどぴかぴかに磨かれた鉄板のようなものの前に連れてこられた。平面じゃなくてところどころヘコんだりしてるから、ちゃんとした形とかは分からないけど、確かに鏡の代わりくらいにはなりそうだ。
そして、そこにあったあたしの顔貌ときたら。
…まず、手で触って分かった通り、耳は鹿のものに色が似た毛に覆われて長いものだった。立てれば頭頂部の高さにまで届きそうな長さで、あたしの表情の変化に合わせてぴこぴこ動いてる。なんなの。これ自分で動かしてるの…?
それから、髪。元々それほど長くもなかった黒髪はどこへやら。肩のところから体の前にまわってきているそれは、胸の下まで届いていた。まあ長さはいいとして、問題は色だ。これがもお、他人のものだったら羨むくらいの見事な金髪ストレート。ちょ、ま……あの、別に思い入れとかあったわけじゃないけど、長く親しんだ黒い髪は、どこいった。
トドメは、顔だ。もともと美人には入ると思っていた顔だったけど、今はこお、どう見ても…その、なんだ、絵に描いたよーな小顔の美少女なんだが……これがあたし?………とか冗談こいてる場合じゃねえっ!
「これどういうことよ────っ!!」
うがー、と地団駄踏んでいると、男の子はどう思ったのだろうか、背中をぽんぽんと叩いて慰めてくれる。
「何があったか知らないけど、落ち着いた方がいいんじゃないかな」
慰め……ているのか、なんなのか。よく分かんなかったけど振り返って我ながらどんよりした顔を向ける。あ、やば、ちょっと顔が近かった…おや?
「っ?!……う、うん。ちょっと近いから離れてくれるかな…っ?!」
男の子の顔は少し赤くなって、ついでにびっくりしたように二、三歩飛び退いていた。なるほど。この顔はこの世界基準でもキレイな方に入るのか。儲けた儲けた……と言っていいものなのか。自前の顔にはそれなりに愛着はあったんだなあ、あたし。と、今日何度目かの落ち込み。
「……ふう。アノウェイ族といえば美貌で有名な種族だし。いろいろ気をつけた方がいいよ」
そんな照れた顔で美貌とか言われると、それほど悪い気はしない。うーん、まあいいか。顔が良くて損することは無いだろうし。
でも、こんな風に丸ごと顔も作り替えられてしまうと、改めて「転生したんだなあ」って実感が沸いてくる。良い方にも、悪い方にも。
例えば、今更気がついたんだけど、言葉が普通に通じてる。転生先で基本的なことには不自由しないように、って話だったからこれは納得する。
でも、アノウェイ…族、だっけ?そんな、現地でも何か謂われとか含むとことかありそうな立場になってしまうと、また何だか複雑な気分なのだ。そりゃあまあ、美少女に転生しましたー!とか能天気に喜ぶことも出来るけど。
「……あのさ、一つ聞きたいんだけど」
とかいろいろ考えながら手櫛で髪を梳かしていたら、男の子は何ごとか言い出しにくいことを切り出そうとしている。
聞きたいことはこっちにもあるけれど、まあ聞かれたことに答えるのは吝かじゃない。なんでも聞いてみたまえ、ってな風に首を傾げて問いを待つ。美少女だけに許された仕草だ。なんちて。
「……もしかしてと思ったんだけど、きみ、環の外の民なのかい?」
わのそと…?環の外?なんか似たような言い回しを聞いたことがあるよーなないよーな……あ、そういえば、と思い出した時だった。
「敵襲!敵襲!」
…って大声が響くのと、何か重いものが地面に着地するような轟音が聞こえたのが、ほぼ同時だった。
「獣神?!まさかこんな近くに…ッ!!」
それを受けて、男の子が漏らした言葉は、間違い無くあたしを戦慄させるもの、だったのだ。
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