第2話・生と死の狹間の益体無き邂逅

 ここ、どこ?


 辺りを見回す。


 ガーデン。


 …としか言いようのない場所だった。なんなの。


 そういえばあたし死んだんじゃなかったっけ?勘違いして、母さんを助けようと燃えさかる家に飛び込んで、それで母さんは実は外にいました、なんて間抜けの極みみたいな死に方だった。はず。

 しまったなあ…家族があたししかいないのに、母さんこれからどうするんだろ。我ながら親不孝もいいとこな死に方したものだ。

 まあでも、母さんまだ(比較的)若いし、美人だから誰かいいひと見つけて幸せになってください。もう会えることのない娘からの、切なるお願いです。

 と、両手を合わせて祈ったら、なんとなく気が晴れた。そして落ち着いたら周りを確認する余裕が生まれた。


 ガーデン。


 やっぱり、違いは無かった。中学の修学旅行だったかで行った、どこかの西洋風のお屋敷みたいなところで、あたしはその庭みたいな場所に、一人佇んでいる。

 あのー、あたし生粋の日本人なので、死後の世界っていうなら和風のお屋敷の方が合ってると思うんだけど。


 ぐー。


 お腹が鳴った。簡単に言うと、お腹が空いている、というサインだ。どゆこと。死んでもお腹が空くとか常識ってものがないのか、あたしの体は。


 まあ、なんだ。その「ガーデン」の一角に陣取るテーブルと、これまた英国式アフタヌーンティーのお作法に則ったと思われる、焼き菓子を満載したタワーに免じて勘弁してあげよう。


 さながら小春日和のようにうららかな日差しのもと、テーブルと二脚の椅子。他に誰かいるのかな、と思ったけれど、どうもそんな気配はない。ならいっか。

 あたしは椅子に腰を下ろすと、目の前に鎮座するマフィンだかスコーンだかを前にして舌なめずり。しかもジャムのポットまである。完璧な仕事だ。


 「……食べてもいい、ってことよね。いただきまーす」


 両手を合わせるのは英国式のお作法としてどーなの、と思わないでもないけれど、それはともかくイチゴと杏とブルーベリー?だかのジャムに加えて、二種類のクリームを焼き菓子に塗っては食べ、塗っては食べる。美味しい。けどお菓子ばかりで喉が渇いた。お茶は?お茶は無いの?紅茶とは言わない。この際緑茶でも結構。ううん、日本人としてはスコーンだろうがクッキーだろうが、お菓子に合うのは緑茶に決まってる。ええい、茶を寄越せ!……って、いきり立っていたら、テーブルの上にティーポットが現れていた。いつの間に。


 「………まー、いっか」


 どうせ死んだんだから、細かいことを気にしても仕方がない。お茶は残念ながら渋い日本茶ではなくて紅茶だったけれど(銘柄なんて上等な知識はあたしにはない)、それでも温かい飲み物はジャムやクリームで甘ったるくなった口の中をさっぱりさせるのには役立つのだから。

 とはいえ、適度に熱いお茶で喉の渇きを癒すのはやめておいた方がいいと思う。焦って飲んだら喉を火傷するかと思ったんだから……そういえばあたしって火事で死んだんだっけ。火傷とか今更だよねー…いやそれ以前にお腹が空いたとか美味しいお菓子を頂きました、とかツッコミ所が門前市を成すこの状況、どうすればいいんだろう。


 『気が済んだかい?』

 「え?」


 最初からずっと、あたし一人しかいないと思っていた空間に、他人の声がした。いや、正確には声がした、というよりいつも猫や犬の声を聞いているように、頭に直接届くみたいな具合だったんだけど。


 『目の前にあるものを、疑いもせず物怖じもせず口にする。健啖と言えば聞こえはいいけど、それってただ食い意地張ってるだけだよね』

 「あの、あたし死んだ身なので、食い意地とか言われても。それに生前はさほど食べる方でもなかったし」


 うちがびんぼーだったので、あんまりお腹いっぱい食べられませんでした、とは流石に言えない。言ったらバチがあたる。

 …………って、誰?


 『さっきから目の前にいるよ。ほら』

 「ほら、ってそんな舌出してハァハァされたって、どこからどう見ても立派な犬じゃない。ヨークシャーテリアだかドーベルマンだか知らないけど」


 全然違う犬種の名前を並べてしまったけれど、それは無理も無いことだ。だってあたしには、「犬!」としか認識出来ない存在が、目の前の椅子の上にお行儀良く腰掛けているだけなんだから。鎮座、と言ってもいいくらい。犬だけに。


 『全然上手くはないよ。それにしても、君には僕が犬に見えるんだね』

 「出来れば猫の方が良かったけどね。あたし、どちらかというと猫派だから」

 『君の好き嫌いはどうでもいいとして…さて、君には僕の声が聞こえるわけだけれど』


 あれ。普通に喋っているんじゃなかったの、この子。

 相変わらず目で見た感じ…えーと、説明がめんどいけど、目で見たことになってる感じでは犬のままで、あたしはいつも通り、動物と会話している感覚のままでいる。

 …そう、あたしは動物と会話らしいことが出来るんだ。




 『にゃーにゃーおなかすいたってー』


 それは小さかった頃の、あたしの口癖みたいなものだったらしく、近所の野良猫を見て、あたしは母さんによくそう言っていたそうだ。

 就学前の幼児が猫を見てそんなことを言っていれば、大人たちは微笑ましく思って「そうだねー」などと言ってくれたものだろう。

 でもあたしには本当に、猫や犬、それだけじゃなくて自分で目にした動物が何を考えているのか、人間に向かって何を訴えかけているのかが分かってしまっていたんだ。そしてそれだけじゃなく、あたしの話したことが動物に伝わっていることも分かり、それがもとで牧場を一つ潰しかけたこともある。簡単に言ってしまえば、小学校の遠足に行った時に呑気に草を食んでいた牛に、邪気も何も無く「もうすぐお肉になっちゃうんだよね」って伝えてしまったわけだ。

 そうしたら、牧場中の牛が大暴れしてその後牧場は牛を宥め抑えるのに数ヶ月かかった上に、大人しくなった牛もしばらく乳を出さなくなったとかで……乳牛がお肉にされるわけじゃないのに、当時小学校低学年だったあたしにそんなことが分かるわけもなく、とにかくそれ以後、あたしの通っていた小学校はその牧場への出入りが禁止されたという結末になったのだった。

 それからはあたしも動物と会話出来る、なんてことをひけらかすこともなくなったとはいえ、身の回りにいた動物と話をしているトコは見られるのは中学、高校にもなると敬遠されてしまう要因にはなったから、びんぼーな暮らしとも相まって、友だちってものに恵まれない学生生活を送ることになったのだと思う。

 ……うん、自分が大分ひねた性格をしていることも、理由の一つなんだろうけど。


 『その力だよ。君は、環の内に入る資格がある』

 「はい?」


 と、物思いに耽っていたら、まるで考えを読まれたようなことを言われた。わのうち?何のことだろう。


 『その世界は、異能を持つ者を必要としている。だから君は環の内の世界に招聘される身となった』

 「あの、意味がよく分かんないんだけど」

 『君にとっても悪い話ではないよ?死した身をやり直すことが出来るんだから』

 「……意味が分かんない」


 思わず口ごもる。だって、死んだことをやりなおせる?そんなことを死んだ直後に言われて、僅かでも期待しないわけがないじゃない。

 でも常識的にそんなことあるわけがない、ってすぐに冷静になるあたし。

 あ、もしかして、あたしの体って実はまだ生きてて、昏睡状態みたいな感じになってて、これって夢みてるみたいな、そんな感じ?


 『残念ながらそれは無いよ。生ある者が僕と対面することは出来ない。君は間違い無く死んだ』

 「……そ、そう。それはまあ…残念だけど……あ、そうだ。あたしが死んだ後に家族がどうしてるかとかって分かる?」


 心残りみたいに、母さんがどうしているかだけでも分かれば踏ん切りがつくんじゃないか、って思って尋ねてみた。


 『それも残念ながら、だね。生者の世界のことは僕には分からない』

 「そう……」


 相対するワンコは、幾分気の毒そうに言った。ように思えた。


 『そういうわけだから、君にはこれから選択肢が与えられる。環の内の世界の招聘を受け、彼の地でやり直すことと、このまま死を受け入れること、だ。どうする?』


 ……どうする、とか言われてもねー…。

 正直なところ、別にこのまま死んじゃってもいいかな、とは思うんだ。改めて死ぬほどの苦しみが待ってます、ってことなら話は別だけど、この調子ならテレビが消えるみたいにプツンと終えられそうだし。

 それにやり直す、とか言われても、それって要するに生まれ変わるってことでしょ?生まれ変わった先が今までの人生よりマシとは限らないんだし、そんな分の悪い賭けをするつもりは、あたしには無いわよ。


 『生まれ変わる、というのとは少し違うかな。今の知識と能力を持ったまま、彼の地で生きるに適した肉体を得て降臨する。そんな感じだよ』

 「……それって都合良すぎない?」

 『その才と異能をもって招聘される身だ。それくらいのズルはしても構わないんじゃないかな』


 ワンコの口振りに不誠実なところは無さそうに思う。だから、もう少し突っ込んだことを聞いてみる。


 「記憶とか性格は今のまま?」

 『そうだね』

 「性別や年齢も?」

 『彼の地で君の能力に差し障りの無いよう、作り替えられるはずだ』

 「そこは平和で安心して暮らせる世界?」

 『異能が必要とされる地だよ。そんなわけあると思うかい?』


 無いでしょうね。まあ少なくとも、日本みたいな場所ではなさそうだ。


 「なんかとんでもない地獄的な世界じゃないでしょーね。油断したら即死亡、みたいなところで生き延びる自信はないわよ」

 『……注文が多いね。まあ、基本的に生きていけるだけの資質は持たされるよ。それをどう活用するかは、君次第だけれどね』

 「ふーん……」


 いろいろ考えてみる。

 それであたしは。


 「……やっぱやめとく。大人しく死ぬことにするわね」


 申し出を受けないことにした。

 だって、いくらやり直しが出来るっていっても、これまでの人生にそれほど不満があったわけじゃないし。喜ばしいことに満ち溢れていた、ってわけでもないけど。

 だから、こんな話を受けちゃったら、今までの自分にとても不誠実な感じがする。母さんはあたしが死んできっと悲しむだろうし、幾人かはいた友だちも、しばらくの間は偲んでくれそうだし。

 そんな、数少ない繋がりに対して申し訳ないって思うじゃない。あなたが惜しんでくれたあたしっていう存在は、今はどこか知らないところでヨロシクやってます、なんてのはさ。


 「だから、いいよ。もうここで止めておくことにす……な、なに?」


 大人しく理知的な振る舞いだったワンコが、にわかに怒りだしていた。ように思えた。


 『……潔いことだとは思うけれどね。なかなか、そうもいかないんだよ』

 「あたしに選ばせてくれるんじゃなかったっけ?」

 『それは演出というものだね。誰しも、死から逃れてやり直せると知ったら飛びつくものだと思うのだけれど。あるいはその振る舞いも、君自身の異能と関わりがあるのかもしれないな』

 「褒められてる…わけじゃなさそうね」

 『褒めてはいないね。感心はしているけれど』


 伝わってくるニュアンスからは、感心してるというよりは呆れてる、って風に捉えられる。

 それにしても、選ばせてくれるっていうから選んだら、選んで欲しい選択と違うからやっぱやめ、って随分な話だと思う。

 そりゃあね、あたしだって喜んでここで死んでやります、ってわけじゃない。幸せでないにしても、選択したことを公開しない程度に無事な人生をやり直せる保証があるなら、言われた通りしても構わないとは思うんだよね。


 『どうする?もう選ばせるつもりはないけれど』


 ワンコは、怒りこそしてないけれど容赦するつもりもなさそうだった。もー、本気出して襲いかかって来たりしたらどうしよう。いや、もう死んでいるんだから関係無いか。


 『………』


 じっと見つめ合うあたしたち。見つめ合う、っていうか睨み合う、って感じだけど。

 でも、ワンコがあたしの表情を伺う様子からは、そこそこ必死な雰囲気が漂ってくる。このコなりに真剣になる理由はあるんだろう。あたしにとってそれが良いことか悪いことかは別として。


 『……』


 ……しかたない。妥協するかあ。お菓子をご馳走になった礼くらいはしないといけないかも、だしね。

 お腹は空くんだから、疲労感くらい覚えても不思議は無いな、と肩を落とす。いつの間にか立ち上がっていたみたいなので、ため息と共に腰を下ろし、提案した。


 「一つだけ約束してくれるのなら、あなたの言うことをきいてもいいよ」

 『本当かい?それなら多少の無理は聞くけれど』

 「うん。母さんに伝えて欲しい。柚子葉は、どこか遠いところでそれなりに元気にやってます、って。それだけでいいから」

 『…………生者の世界に力は及ばせない、と言ったはずなんだけどね』

 「あたしだって無理強いされるんだもの。それくらいはなんとかして。約束が無理なら努力目標でもいい。別に出来なかったとしても怒ったりしないから」

 『…分かった。それで手を打とう。じゃあ早速、いいかい?』


 まあ、こんなところか。いろいろ知っておいた方がいいことはあると思うけど、向かった先ですぐに不自由に直面するようなことは無いだろう。多分。


 「おっけー。何をやらされるか分からないのが不安だけど、どうせ教えてくれないんでしょ?」

 『そういう決まりだからね』


 決まりかあ。ならしょうがない。

 諦めのよさはあたしの美点の一つだ。こんなとんでもないところで発揮していいものかどうかはともかく、うだうだ考えたって始まらない。


 『じゃあ、送るよ。僕のことはもう思い出せないようになるだろうけど、なるべく達者でやって欲しい』

 「はいはい。あなたもあたしとの約束は忘れないでね」

 『約束じゃあないんだけどね』


 話が違うなあ、と愚痴った瞬間、体と意識が丸ごと一緒になって、足下の方にすっ飛んでいった。煙にまかれて意識を失った時に比べれば、まだ悪い気分じゃなかったと思う。




 そして、あたしが降り立った場所は、戦場だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る