1章・ピネリュエスピカの旗騎士

第1話・神邑柚子葉の失敗

 誰に文句を言えるものでもないけど、とあたしはしゃがみ込んで、目の前でゴロゴロしてる虎毛に話しかける。


 「…やっぱりねー、父親の存在を出せない、っていうのはいろいろ不利に働くんだよね。このご時世はさー」


 そう愚痴りたくなる理由っていうのは、高校二年になって初めて受けた、進路相談、ってやつのおかげだ。

 あたしとしては就職でも進学でもA級就職とやらでもなんでも良いんだけど、まだ一人前じゃない立場では、どうしても大人の…もっと踏み込んで言ってしまえば、親の、後ろ盾ってのがあると無いとでは、世の中からの見られかた、というものに思っていたよりも差別があるらしいのだ。


 神邑柚子葉かみむらゆずは。あと半年ほどで十七歳。

 品行方正、と見做みなされるのは、グレてる暇なんかなかっただけだから。

 見た目が地味なのは、お洒落に費やすよーな元手が無いから。顔立ちやスタイルは悪くないらしいんだけど、それは母親からの遺伝のタマモノであって、あたしの努力の成果じゃない。

 肩の下まで伸ばしたものは、緑なす黒髪。もっともこれだって、手入れがメンドーで適当にしてたらこうなっただけ、って話だし。


 「…はあ、お前はいーよなー。あたしも来世はネコとかに生まれ変わって、呑気な生活したいわ」


 何度目になるか分からないため息と共に、虎毛に声をかけた。猫に何を言っているのかって?それは、あたしのこの益体もないし生産性もない上に、後ろ向きな感慨に、うらやましがられた立場としてどう意見するのか、興味があったからだ。

 そしたら。


 (お前はそういうけどな、こっちはこっちでいろいろたいへんなんだぞ)


 …だって。そんなこと言われなくたって分かってるわよ。あたしの苦労だって、あなたには分からないでしょーし。

 あたしとしてはさー、もうちょっとこう、お前も苦労してるんだなあ、みたいな、普段だったら「ネコに慰められるとか…」って落ち込むような優しい言葉をかけて欲しかっただけなんだけど。


 (……あほらし。じゃあな、またあした)


 「あ……もー、愛想無いなあ、相変わらず」


 虎毛は、あたしの愚痴にも倍するようなかったるさを背中から立ち上らせながら、茂みの奥に潜っていってしまった。

 その向こうの塀には、ちょうど猫が出入りするのに丁度良いサイズの穴が空いているから、もう一回り近所を一周して家に帰る、ってとこなんだろう。猫でも人間でも、帰る場所があるっていうのはいいことだと思う。


 「……さて、そろそろ教室も空いただろうし。あたしも帰るとしよーか」


 別にイジメを受けてるってわけじゃないけれど、あの教室のなんか「せーしゅんをおーかしてますっ!」…って雰囲気はなんとなく馴染めないのだ。単にあたしが捻くれてるだけだとは思うから、特に彼ら彼女らに含むトコは無いんだけど。


 「あれ?ゆーじーまだ帰ってなかったん?」

 「誰がゆーじーだ。あたしは柚子葉だ、ってんでしょーが」


 帰り支度のために教室に戻ると、数少ない会話が成立するクラスメイトである、開田麻子が失礼なことを言ってくる。こいつは何度言ってもあたしの名前をてきとーに言う不届き者なのだが、まあ気易いことが悪いこととも思わないので、あたしの機嫌が悪い時でもない限りはそこんとこに目くじらを立てるつもりはない。

 で、今機嫌が悪いかどーかってーと、すこぶるつきで悪いのだから、彼女には運の無いことだと思うのだ。


 「ご機嫌ななめだね。進路相談が思わしくなかったかい?あ、でもゆーじー別に成績が悪いわけでもないじゃん」

 「…まあね。問題は、成績じゃなくてあたしの手の届かない所にあってね。ま、それでイライラしてたってわけ。悪いね、八つ当たりしたみたいで」

 「いーよ、別に。愚痴を聞くのも友だちの役割さ」


 さらっとそういうことを言う。…失敗したな。猫じゃなくてこいつに話せばよかった。

 後悔先に立たず。ま、多少は苛立ちも紛れたことだし。

 あたしは机の中から教科書やノートを引き出して鞄に詰め込み、まだ何か用事でも残っていそうな麻子に「また明日ねー」と手を振って、教室を後にした。別に急いで帰る理由があるわけでもないし、でもまあいいか。今日は母親もずっと家にいるはずだし、たまにはさっさと帰ってたまの家族の団らん、ってやつをサービスしてやるか、とそんなことでは喜びそうにない母の顔を思い浮かべた。相変わらず、浮き世離れしたふわふわした顔だった。


 あたしの母親、神邑千世かみむらちよはとある資産家と結婚してあたしを産んだ…のなら割と幸せな話だったんだろうけど、実際は老齢のその資産家の、妾みたいな立場だった。いわゆる二号さん、ってやつだ。

 そして話が面倒なことに、あたしがまだ幼少の頃に父親はあっさりと死んでしまい、後には、認知はされたけど他の遺族にはガン無視された子供とその母親、というものが残っただけだった。

 当然のことながら遺産相続だのなんだのという面倒な話になって、母親ではなくあたし名義で、残された遺産に比べれば些細な、けど母親が働いて子供一人を育てるには割と不自由ない金額が相続され、母はシングルマザーとして娘を育てて今に至る、というわけだ。

 母親自身は、というとねー…まああんまり嬉しい扱いはされなかったんだろうけど、どーにも呑気というか能天気というか、そーいう他人の悪意には鈍感な人だったから、苦労を苦労とも思わず割かし飄々と子育ての真似事らしきことは、してくれたわけだ。

 多少表現が辛辣なのは、母親が至らない分子供のあたしがしっかりしてしまったからで、まあ悪意とまではいかないまでも、もう少ししっかりしてくれよ、と頭を抱える存在なのではある。あたしにとって、母親っていうのは。

 それで子供の進路にまで影響与えてしまっているんだから、ホントどこぞの金持ちなんかじゃなく、要領は悪くてもいいから誠実で子供が嫌いじゃない男と一緒になってくれてたらなあ、とは思うわけなのだ。


 そんなことを考えつつ、玄関までやってきた時だった。


 『二年三組、神邑さん。二年三組の神邑柚子葉さん。大至急教務員室に来てください』


 …なんだろ?校内放送で呼び出しされるほど悪いことをした覚えは無いんだけれど。

 無視しよーかとも思ったけれど、進路にも関わるのでこれ以上悪い評判を残すわけにもいかない。大人しく引き返して教務員室に向かい、気乗りしないのがバレバレな態度で、多分この学校に入ってから初めて教務員室に入ると。


 「ああ、神邑。早く家に帰りなさい」


 と、担任の武藤センセイにいきなり言われ、「なにゆってんの?」って顔になるあたし。ちょっと、どーいうことですか。これから帰ろうとしてた時に呼びつけられて、はよ帰れ、って。言われなくても帰りますって…。


 「家が火事になっているらしい。車を出すから、ついて来なさい」


 ………は?


 言われた内容に現実味が無くて、我ながら締まりの無い顔になるあたしだった。




 「ここでいいです!ありがとうございましたっ!!」

 「おっ、おい?!」


 家に近付くと野次馬の列に妨げられて車が動けなくなったので、あたしは先生に礼を告げて車を飛び出した。

 黒煙の上がる場所は間違い無く我が家の方角。消防車が見えてくる頃になると、押しのけないと通れなくもなる。


 「どいて!家が火事なんですっ!!……いいからどいてってゆってんでしょっ?!」


 もう殴りつけんばかりの勢いで、鬱陶しい野次馬を押しのける。こいつらひとの不幸がそんなに楽しいのかっ!!


 「神邑ですっ!うちの母は無事ですかっ?!」

 「ああ、家族の…ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 消防の人に止められて、火事の炎が熱く感じるところからは先に進めなくなる。母さんは…母さんは逃げたんでしょうねっ?!


 「今住人の無事を確認しているところだから……神邑さん?いたか?!」


 はやく、はやく…消防隊の人は確認が済んだっていうリストみたいなものを見て、あたしの母さんがいるかどうかを調べていたけれど……その結果に、あたしの目の前は真っ暗になる。


 「……いない。どこか外出でもしているんじゃないか?」

 「今日は一日家にいるはずなんですっ!……じゃ、じゃあまだ中に……ええいっ!!」

 「あっ!」


 あたしは制服姿のまま、抱きとめていた腕を強引に振り払って飛び出した。もちろん捕まえてくる手なんか無視する。

 築三十年を越えた古いアパート。うちの他には三家族くらいしか住んでいない。その一階の、一番手前の部屋…母さん、無事でいて!

 こんな小娘が飛び込んだからってどうにかなるものじゃない、なんてことは分かりきっている。でも、母さんがこの中にまだいるのかと思うとじっとしてなんかいられなかった。

 待ちなさい、とかいう怒鳴り声を聞こえないふりして、火勢に相対する。流石に怖じ気づく。でも……女手一つであたしを育ててくれた母さんのことを思い出すと、そんな怖れはどこかへ行ってしまった。

 放水されていた水がちょうどいい具合に頭の上から降り注ぐ。これなら少しくらいは平気かも…ってところまで思ったのは、ほんの一瞬の間のことだったんだろう。でなければ、完全装備の消防隊の人に捕まっていただろうから。

 ちらと後ろを見る。案の定、必死の形相で追いかけてくる銀色の人がいた。ごめんなさい。どーしよーもないくらいテキトーでだらしないひとだけど、あたしにとっては大事な母親なんです。

 ええい、女は度胸っ!…と、一歩目を踏み出したら後は平気だった。見慣れた通り道も、今は真っ黒な煙でどうなっているのかもよく分かんない。気休め程度にあたしはハンカチで口元を覆い、煙に巻かれて涙目になるのも構わず部屋の扉に飛び込んだ。


 「かあふぁんっ?!」


 そこは、もう地獄のような有様だった。

 見慣れた部屋の、慣れ親しんだ空間はとっくに姿を変えて、あたしと母さんの暮らした場所なんかじゃなくなっていた。

 それでも探さないと…と、涙が次から次へとぽろぽろこぼれてくるのも構わず辺りを見回したけれど、母さんらしい姿はなく、どうしようかと途方にくれた時だった。


 『柚子葉っ!!』


 え?……母さんの、声?

 でもこれは部屋の中からじゃなくて……外から?どういう…。

 遠くなりかけた頭を振って、必死に部屋を出る。ダメだこれ。煙吸っちゃってぼーっとして……。


 「ゆずはぁっ?!」


 今度はさっきより近くから聞こえた。ふらつきながら外の向かうと、煙の切れた明るみに、探していた母さんの姿が……なんなのもう、どっか行ってたの?……それならいなくて当然だし、でも……無事で、よかった……うん。

 あたしの方は……なんだか無事で済まなそうな気がする。朦朧とする頭で、どうにか体を前に運ぼうとするけどそれもかなわず、膝をついて這うような格好になってしまう。

 熱い。手が、足が。背中が、顔が。どこもかしこも、熱い。これは火傷したかもなあ……と呑気に思ったところで、見えたのは、滅茶苦茶な顔で泣いていた母さんと、それを必死で止める消防隊の人。……あは、お願いします…母さん、けっこーむちゃするから、こっちにこないように、おさえといて……ください……ね。


 ………そこで、あたしの記憶は途切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る