機装獣神カルヴァエル-リスドラト戦記-

河藤十無

プロローグ・乾いた大地には乾いた夢を

 それがどれだけの重量があるものなのか。

 踏みつけられてみたい、とは露ほどにも思わないけれど、ともかく、ずしん、とお腹の下の方にまで響きそうな地鳴りと共に、彼は右の足を大地に下ろす。

 続いて搬台の上で体を起こして、人間で言うところのお尻のトコを軸に体を回すと、反対側の足も地面につけた。こちらは一歩目とは違って静かなものだけど、それはあくまでも最初の足に比べてのこと。どっちにしても人間基準ではお話にならないくらいの重さが、乾いた地表を押し潰す。

 まるで、目が覚めてこれからどうしようか?と考えるみたいに動きを一度止め、けれど彼はあたしや彼の中にいる少年、それからこの場で見上げるようにしている全ての人たちが願った通りに重心を前に移し、僅かに勢いをつけて、ギギギとかゴゴゴとかいう重っ苦しい音と供に二本足で立ち上がった。

 あたしの位置から見える彼の肩の辺りに陽があって、見事なくらいの逆光を背負った偉丈夫の姿。それは、二本の足で支えられた体と、そこに備わるやっぱり二本の腕。頭もある。サイズが段違いなだけで、人間とは多少バランスの異なる、巨人の大躯だ。

 そしてその体は、大きさに合わせてしつらえられた鎧のような装甲で覆われていた。ただし、人間用の鎧なんかとはその厚さも重さも大きさも、同じ比率にしたって随分と大きなものだ。だから、その下にあるだろう彼の本体-見たことはないけれど-からは二回りほどにも大柄にも思える。


 「……カルヴァエル、調子はどう?!」


 口の周りに両手で輪っかをつくって、その鎧姿の巨人の顔に向かって声を上げた。

 あたしの声が耳に届いているかどうかは分からない。でも、鼻と口のところが犬のように突き出た顔を丸ごと覆った兜頭。その奥にある両目は、あたしのことを見下ろしていた。おとぎ話でしか知らない竜にじっと見られたら、きっとこんな感じなんじゃないか、と思う。何も知らなかったら怖ろしさで震え上がったことだろう。


 「………」


 それでも、あたしを見つめる眼光に剣呑なものはなくて、それはむしろその偉容に似合わない、むしろ優しいとすら思える眼差しだ。そしてそれはきっと、あたしだけに向けられていた。

 それと共にうかがえる、彼の意思。その声なき声に、あたしは安堵する。


 「あは、問題なさそうでよかった!気をつけて行ってきてね!」

 「ああ!行ってくるよ!」


 一瞬、カルヴァエルが喋れるようになったのかと思った。それくらいタイミングとしてはピッタリだった。

 でもそうじゃない。獣神、と呼ばれていた存在である彼は、人間と会話をすることなんか出来ないんだから……基本的には。

 だから、あたしを見下ろすようにして声をかけてきたのは…。


 「ユズハ!帰ったら煮込んだ豆のピザリュゼッテカを食べたいから用意しておいてくれないかな!」

 「そんなもの現場で用意出来るわけないでしょバカ!」


 カルヴァエルの胸の装甲がガバッとひらいて中から顔を出していた男の子だ。

 日焼けした精悍な顔に似合わず、呑気なことを能天気な調子で言ってくれる。これから命のやりとりにすらなりえる場所へ赴こう、って風には全然見えないんだ。まあだからこそ、あたしだってこうして安心して見送ることが出来るんだけれどね。


 「なんだよケチ!」

 「ケチとかそーいう問題じゃない!……もー、乾酪と干し肉とパンでお弁当作ってあるでしょ!中に入れといたからそれで済ませなさいっ!」

 「え、本当かいっ?!……あった!ありがとうユズハ!行ってくる!!」


 一度中にもぐりこみ、包みに入った荷物を見つけるとまだ顔を出してそれを高く掲げていた。どうでもいいけど落ちないよう気をつけなさいよ!


 「今更ぼくがそんなドジ踏むわけないだろっ!じゃあな!」


 子供みたいに口を尖らせてあたしに大声で文句を言うと、ヴレスは引っ込んで、それに続くようにカルヴァエルの胸のところも閉まった。開いた時に比べると随分重々しい動きで、閉じきった時にゴスンとかいう感じの大きな音がした。


 「…まったく。お弁当一つで機嫌直るとかほんっとガキなんだから」


 ため息をつく。すると、苦労を背負い込むあたしを慰めるみたくカルヴァエルの全身は一度震え、そして下半身がゆっくりと動き出す。

 身を屈め搬台の上に置かれていた巨大な盾を拾い上げ、人間で言うと腰の辺りに固定された、これも巨大な鞘入りの剣の具合を確かめるように左手でぽんぽんと…ガンガンと叩くと、五階建てのビルくらいの高さの巨人は、一度地上に居並ぶあたしたちを睥睨し、それからその重さに相応しいゆっくりと、且つ確かな足取りで動き始めた。

 人間基準でも動きにくいんじゃないだろうか、って具合の鎧各部は、カルヴァエルの動きに従って当然あっちこっちがぶつかっているけれど、カルヴァエルもその中で操縦しているヴレスも気にしないみたいで、ガシンガシン音を立てながら次第に歩む速度を上げていく。

 ここまでカルヴァエルを運んできた搬台の周りには、あたしを始めとして彼を動かすために必要な人たちや、搬台を引く四足歩行の機獣が沢山いたから、そこを離れれば足下に気をつける必要もないわけだ。

 だから、目的地に向けて歩き始めたカルヴァエルは、随伴する僚友をも置いていこうとする勢いにまで増速し、後に続く他の機獣を駆る騎士たちから文句が上がるのだ。

 でも仕方がない。戦いに向いた二足歩行の機獣はカルヴァエルしかいないのだから。ヴレスに悪気は無いし、何だかんだいって戦いの帰趨を制するカルヴァエルのことは皆が頼りにしている。

 あたしのやるべきことは…みんなのためにカルヴァエルと話をし、彼が力を十全に発揮出来るようにする。あとは精々、ヴレスが調子に乗ってしまわないよう、あの子の手綱を握ることくらい。かな。


 「行ってしまわれましたね」


 ド派手な土煙を上げて遠ざかる、カルヴァエルを先頭とした五騎を見送ると、移動の準備をしていた中から、力仕事を任されていない数少ない女の子が声をかけてきた。


 「ユズハ様。皆は無事に戻ってこられるのでしょうか…?」


 不安なんだろう。心細さを隠さない小さな声。

 まあ、あたしだって不安が全く無いと言えば嘘になる。だけど、そうと告げたところで結果が変わるわけじゃない。

 あたしたちは、自分に出来ることをやって、みんなを送り出して、そして帰ってくる場所を守ることしか出来ないんだ。

 ピネリュエスピカを守るために戦いにいったヴレスたちを信じて待つしかない。

 だから。


 「大丈夫、だよ。今まで一度だって帰ってこなかったことはないでしょ?」


 振り返り、あたしより少し背の低い少女に向き合う言う。そんなあたしの何の根拠も無い物言いに、アスハウェルはユーモアを覚えたのかクスリと笑って、少し顔色を改めていた。


 「大体ね、アスはあたしよりヴレスとの付き合い長いんだから。あなたが信じなかったら誰が信じるっての。あたしはさ」


 そんなところがとても可愛くて、あたしは歩を進め、アスハウェルの目の前に立つと、その少しカールした黒髪を梳くように頭を撫でた。そうされるのがこの子はとても好きだったから、アスは目を細めて気持ちよさそうにしている。


 「信じてる。あたしたちの仕事がみんなの役に立って、獣騎士たちが、みんなを苦しめる獣神を退治して帰ってくるって。アスは?どう思う?」

 「わたくしは……はい、ヴレス様の従者を仰せつかって以降、あの方を疑ったことはありません。ですから、わたくしもユズハ様と同じ気持ちです」


 また随分と信じられたものよね、あいつも。あたしが言ったのは、自分たちの仕事を信じろ、ってことなんだけど。

 でもまあ、不安は解けたみたいだったからあたしは何も言い返さず、ニッコリと笑ってアスの手を引き、撤収の準備をする中に向かう。

 機獣が動き始めた以上、ここが獣神たちに襲われたら防ぐ術は無い。だから、戦いに行ったみんなの帰る場所を守るのは自分たちのすべきことだ。


 「行こ。そして帰って来たら、食べたいって行ってたものを準備しておいて驚かせてやろ?」

 「…はい!」


 ヴルスが出発際に言っていたことが聞こえていたのだろう。アスは一瞬何のことかと思って小首を傾げたものの、すぐにあたしの言いたいことを理解して、こちらは満面の笑みになった。

 …あたしはこの笑顔を守ることなんか出来ないけれど、みんなを守るために戦う獣騎士たちの助けになることは出来る。 

 「環の外の世界」に生まれ、何不自由なく…でも無かったけれど、ともかく何の因果かこんなところに引きずり込まれたあたしでも、自分にしか出来ないことがあった。 

 それをすることで、あたしを受け入れてくれた人たちが笑顔になれる。それはとてもやりがいのあることだと思う。

 だから、立って走って手を動かし、言葉を使って繋ぐ。そうすることで、この渇いた世界に何かを見せてやることができるんだと、思う……何かって。あたしの意地とか、負けてたまるかっていう、自分にしか分からないものだろうけど……生きていることを誇れるようになる、そんなものを。


 一度立ち止まり、振り返ると五騎の機獣が駆けていった先を見た。

 人型のカルヴァエルはもちろん、四足歩行のシルドラの四騎も、人間からみたら猛烈なスピードで今も走っていることだろう。乾期の真昼の日差しに霞むような土煙が、次第に遠ざかっていく。


 「……あたしをここにいさせてくれて、ありがとう」


 そんな身勝手な礼を聞かされて、彼は一体どんな顔をするだろうか。真意を問い質そうとするか、それとも何を世迷い言でも言ってるのかと本気で心配するのだろうか。


 「ユズハ様?」


 手を引いていたあたしが立ち止まったことを怪訝に思ったんだろう。アスは、隣のあたしのすぐ傍で「どうしました?」とこちらを見上げてた。

 そんなアスに、この世界で決めた覚悟を話すことなんか出来ないから、なんでもない、って繋いだ反対側の手で頭を撫でてあげた…ら今度は、子供扱いしないでください、とぶんむくれされてしまったのだった。むー、扱いのむつかしい子だ。


 でも、お陰で気は晴れた。振り返ってうじうじしてるのは、あたしには似合わない。

 ついさっき、ヴルスに湿っぽい感謝を述べようとしてたことなんかすっかり無かったことにして、アスの手を離すと先に立って搬台のもとへ向かう。


 「ユズハ!撤収するぞ!」


 エムヤじーさんが、牽引用の機獣を搬台と繋ぐ作業をしながら声をかけてきた。

 戦闘用の機獣と違って動きは鈍重だけど、その分力強いのがこのバイネスル型の特徴だ。とはいっても、あたしの力がなかなか徹らない子なので、あまり近付くことはなく、扱いはもっぱらカルヴァエル以外の機獣と一緒に、じーさんたちが受け持っている。

 だからカルヴァエルが出撃している間、あたしは何もすることがない…なんてことが許されるわけもなくて、要約すると「出発するから遊んでないで手伝え!」…というお小言に元気よく「はーい!」と返事をして、小走りに駆け出した。


 「アス、手伝って!」


 もちろん、道連れを伴うのを忘れずに、だ。

 アスも、頼られて嬉しいのだろう、あたしほどではないにしても「はい!」と闊達な返事と共に、並んで搬台の上に上がる。

 じーさんがアスの腕を引っ張り上げるのを見て、ふともう一度振り返る。

 瑞々しさの乏しい大地に、もう帰ることの無いだろう故郷の影は見てとれなかった。



 日本。

 何もかもあるけれど、あたしにとっては何も与えられなかった場所。

 生まれ育ったその地を、自分の意志に因らずして引き離され、でもおかしなことに今の方が、生きているという実感はある。

 もちろんそこには苦しみとか苦労とかはあるけれど、それでも、いつかこの土地であたしが死ぬ時が来るまで、後悔の無いように生きていこうと強く思い直し、いい加減業を煮やしたエムヤじーさんの怒鳴り声にせき立てられて、みんなが帰る場所を守る仕事を再開したのだった。




   ~~~~~~~~~~~~~~




 ………神々をほふり、その意味で世界が独り立ちして以降。

 縛り、使役し、人びとが見識と歴史で世界の新たなる道を切り拓くことを厳しくいましめていた神々が去りし後、人とそこに連なる亜人たちは、いまだ自らの運命をその手に握ることが出来ずにいた。


 ……獣神じゅうしん

 今は亡き旧支配者が残した道具でもあったそれらは、神々の健在した御代みよと変わらず、主にまつろわぬ不逞ふていの生き物たちを責め苛み、かつての神々の尖兵としていまだ人びとを苦しめる。

 それは神々の教えに基づき、かつて強いられていた役割を人と世界が放棄することで生じる譴責けんせき。獣神は神代と変わらず、神々の怒りを、既に去った主の遺志の如く注ぎ続ける。

 そうして、地上に住まうあらゆる生物を凌駕する巨体と、そこから生み出される抗い難き大きな力の前に、人も亜人たちも、神々の時代とさして変わらぬ苦しみを受ける時代が続いていた。


 時は定かならぬが、その災厄が如き暴虐を前に、ひとは光明を見出す。

 獣神と神々の繋がりし証しを見つけ、知恵を重ね、その末に主たる神々を差し置き獣神を使役する術を奪うことを可能とした。

 ひとは、獣神を用いて災いたる獣神を討つべく、その手立てを得たのである。

 即ち、獣神の内にある内殻に触れ神の意志を伝える器官を換えることで、獣神を人の操る「機獣きじゅう」と成さしめたのだった。


 機獣は、人が駆る。

 獣神に備わる、神の意志を伝達する器官に換えて、人が乗り、内殻に人の意思を伝える「機関」を装着することで、それを可能にする。

 機獣には駆る者の意志を伝えることで、それを思うままに操ることが出来るようになった。それを可能にする、限られた戦士のことを、今は「獣騎士」と呼ぶ。




 後に、リスドラト新世紀と呼ばれることになるこの時代。

 混迷の晴れる兆しのまだ見えぬ中、人と亜人はたくましく、且つ危うく、世界の中で生き抜いていた。

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