私と母親を繋いだ、一冊のノート

木立 花音@書籍発売中

第1話

「今すぐというわけではないのですが、ゆくゆくは結婚も視野に入れて、お付き合いしていただけませんか?」


 デートが終わったあとの喫茶店で彼にこう言われたとき、正直、驚きよりも困惑のほうが勝っていたように思う。

 出会ってからまだ日は浅いけれど、当初から彼の優しさには気づいていた。何度かデートを重ねていくうちに、好きになってきている自分にも。一緒にいて息苦しさを感じることはないし、こういうのを、心地よい関係っていうのかもしれない。

 もし、私に運命の赤い糸を見る力があるとしたら、彼の小指と私の小指は、細くともしっかりとした糸で繋がっているのかもしれない。

 でも、ちょっと待って。私──葛見透子くずみとうこは、まだ十九歳なのだ。

 結婚を前提に、なんて、荷が勝ちすぎてやしないだろうか。


 結局、「返事は少し待ってください」と、返事をする時期すら曖昧にして、お茶を濁したままこの日は別れた。



 彼と出会ったのは、高校を卒業し、大学への入学準備とアパートへの引越しを終え、すっかり心が緩み自堕落に過ごしていた三月のある日だった。

 羽を伸ばしたというつもりはなかったが、ばっちりメイクをして、背伸びをした感のある短い丈のスカートがいたずらに目を引いたのか、私は痴漢に遭ってしまう。

 その日、中央線の電車の中はすし詰め状態で、お尻の辺りに何か触れたかな、という感触が最初にあって、それが人の手だと特定できずに戸惑っているうちに、やがてしっかりと触られた。

 怖い……。怖いのにまったく声がでない。

 唇をかんで俯いているとき、知り合いを装って私に声を掛け、痴漢を追い払ってくれたのが彼──秋葉悟あきばさとるさんだった。


 後日ちゃんと御礼がしたいので、という名目で連絡先を聞き出して、そこからなし崩し的に何度か会うことになった。

 最初のデートが映画館。その次がショッピング。彼の車で茅ヶ崎海岸までドライブに行ったりと、交際を重ねた。

 とは言え私たちは正式に恋人になったわけではなく、肉体関係はおろか、キスだって済ませていない。

 それなのに、結婚を前提にって、やっぱり少し重すぎないか?

 彼が真面目な性格であることは知っているので、それが嘘や冗談の類ではないことも理解している。どれだけ、本気かも伝わってくる。

 それだけに、無下に断るのは忍びない。

 いったいどうしたものか。

 そんな諸々が、目下私の悩みの種だった。



 季節は六月の半ば。大学が終わると、今日も私は電車に揺られて自宅アパートを目指していた。

 西八王子駅で下車し、駅を出てから空を見上げる。梅雨の合間に晴れ上がった空は、うっすらと雨の匂いをはらんで、じめっと肌にまとわりついた。


「そういえばもう、六月になるんだな」


 六月といえば、ジューンブライドか。

 古くからヨーロッパにある言い伝えのひとつで、六月に結婚式を挙げた花嫁は、一生涯にわたって幸せな結婚生活を送ることができるとかいうアレだ。

 私も六月に結婚式を挙げれば、幸せな未来が約束されるんだろうか……。

 いやいや、何を考えているんだ、とかぶりを振って妄想を追い出した。でも、もしかして、縁起の良さまでを計算に入れて、彼があんなお願いをしてきた、なんてことは。


「ま、考えすぎか」



 アパートの中に入ると、バッグを絨毯の上に放り出して、ワンピースの帯を緩めてベッドの上に寝転んだ。

 あーあ。こんな時お母さんが居れば、相談に乗ってくれるのにな。


 私の母は、私が小学校低学年のころに病気で亡くなった。体調不良をうったえ、病院を受診した時点で病巣はリンパ節にも転移しており、そこから入退院を繰り返すも結局一年後に帰らぬ人となった。

 そんな母の形見の中で、私のお気に入りが古びた鏡台。右側に引き出しが三列ついた、木製の高さ一メートルほどのもの。

 この鏡台の前に座り、長い髪を結い上げている母の背中が、私は大好きだった。だから父親にも無理を言って、この鏡台をアパートの中に運び入れてもらった。

 使い勝手があまりよくないかな、とは正直思う。でも、この鏡台に座って毎日身だしなみを整えていると、今は亡き母親の存在を感じることができる。もう、写真を見ない限り、顔や声も上手く思い出せなくなってしまったけれども。


「古風な女。なんてね」鏡の中に映った自分の顔を見ながら一番上の引き出しを開け、驚きで声が漏れた。「あれ?」


 異変は、引き出しの中にあった。

 入っていたのは、なんの変哲もない青い表紙のノートが一冊。書店などで、見かけたことのないデザインだ。もちろん私が買ったものじゃないし、ぱっと見では使った形跡もなく、まるで新品のようだ。

 なにこれ? と思いながら表紙をめくってみると、最初のページに文字が書かれていた。それは、たったの一文。


『こんにちは』


「え?」


 これには驚きで声がもれた。

 そのまま全てのページをめくってみたが、残りは全て白紙だった。

 なんだろう。筆跡は、心なしか自分に似ているようにも思う。

 だが──こんなものを書いた記憶はもちろんない。結局、


『こんにちは。あなたは誰ですか?』


 と文字をしたため、ノートを引き出しの奥に戻した。

 ばかばかしい。続きなんて、書き込まれるはずもないのに。

 そう思っていた。


 ところが──。


 次の日、大学から帰って来て引き出しを開けると、『私は、あなたの母親です』とノートに文字が増えていたのだ。

 いやいやいや、あり得ない。なんなのこれ、気持ち悪い。

 悪い夢でも見ているのだろうか。でも、本当にお母さんだったとしたら? そこまで考えてからほっぺたをつねった。普通に痛い。

 自分でもどうかしてると思う。だが母親と過ごした日々の記憶を多く持っていない私にとって、これは到底看過できない出来事だった。沸々と湧き上がってくる奇妙な懐かしさで、胸の奥がじんわりと暖かくなる。


『あなたが本当のお母さんであるなら、証拠を見せてください。そうですね。お母さんの、名前と誕生日を書いてみて』


 勢いで書いた後で、ふと我に返った。

 バカげてる、と苦笑しながら、ノートを引き出しに戻した。


 本当にありえない話。答えられるかどうか以前に、返信なんてあるはずがないのだ。そう思っていた。ところが──。


『私の名前は、葛見早苗くずみさなえ。誕生日は四月二十日。得意料理はオムライス』

 

「嘘でしょ?」


 よもやよもやで、全て正解だった。これには言葉を失ってしまう。

 まさかとは思いたい。あまりにも非科学的だしいまだ半信半疑だ。でも、引き出しの中が、本当に過去の世界と繋がっているんじゃ? という気にすらなってくる。

 これが本当に母親からの返信だとしたら? ありえないと思いつつも、ここで終わらせてしまうのは勿体ないと同時に思った。ダメもとでいい。今の悩みを打ち明けてみよう。


『私はいま、とある人から結婚を前提に交際しませんか? と言われています。彼のことはとても好きなのですが、歳が七つも離れているうえ、私はまだ十九です。どうしたら、良いのでしょう? とても悩んでいます』


 返事、来るだろうか?

 来るわけがない、と思う自分と、返信を期待している自分が内面でせめぎあっていた。複雑な心境を抱えたまま、私はノートを引き出しの一番奥に仕舞った。



「ねえ、透子さん?」

「あ、はい。なんでしょう?」


 喧騒が満ちている店内でもよく通る彼の声で、私は我に返った。

 自分が思う以上に、長い時間呆けていたらしい。私のぶんのディナーはほぼ手付かずなのに対して、彼の前にある皿は半分ほど片付いている。


「ごめんなさい。ちょっと考え事してた」

「最近、なんとなく、心ここにあらずって感じだね」


 心配そうな顔で、彼がこちらをのぞきこんでいた。

 

「そうでしょうか」


 なんて、誤魔化して笑って見せたけど、間違いなく私の心はここにない。

 ほんの僅か会話が途切れると、思考はすぐノートに書かれていた文字──いや、それは言い訳みたいなもんか。彼との今後のことに集約されてしまうのだから。

 午後七時。カップルの姿がそこかしこで見られる都内高級レストランの店内に目を配り、私は呟いた。なるべく気のない風に聞こえるよう、意図的に声のトーンを落として。


「私ね。お母さんが死んでしまっていないの」


 彼が息を呑む音が聞こえた。

 どうしてこんな話題を振ってしまったんだろう、と即座に後悔した。

 自分の辛い境遇や胸のうちを明かすことで、彼の同情を誘おうというのか。悲劇のヒロインにでも、なるつもりなのか。

 けれど、そんな私の葛藤を他所に、「うん。それで?」と彼は続きを促した。


 人間とは、なんとも現金なものである。一旦心のタガが外れると、するすると私の口から母親の思い出話が紡がれた。

 私の五歳の誕生日。父親の仕事が急に入ったことで動物園に行けなくなったことに憤慨し、母親を大層困らせたこと。

 小学校入学後、クラスのみんなが持っていた人形が欲しいとダダをこね、せっかく買ってもらったのに、ひと月ほどで飽きて部屋の隅に放り出してしまったこと。

 クラスに上手く馴染めず学校が嫌いだった私。頭が痛いと仮病をつかって、学校を休んだこと。その日、学校に電話をかける母親の声が、酷く困った様子に聞こえたこと。

 病院のベッドの上で弱っていく母親の姿を見ているのが辛くて、お見舞いに行ったにも関わらず、すぐ病室を飛び出してしまったこと。

 思い返せば思い返すほど、ろくな思い出話がなくて、こうして困らせてばかりだから母親は病気になったんだろう、という気にすらなってくる。

 引っ込み思案で。そのくせ見栄っ張りで。こんな娘に、母親はほとほと手を焼いていたのだろう。

 そこに思い至った瞬間、視界が強く滲んだ。


「ごめんなさい。こんな話をするつもりも、泣くつもりもなかったんだけど」


 目元を拭いながらそれだけを搾り出すように言うと、いつの間にか隣にやって来ていた彼が、私の頭を優しく撫でた。


「後悔しているの?」


 ただ、シンプルに、彼はそう私に訊ねた。


「お母さんを困らせたこと、後悔してる?」

「うん」

「お母さんのこと、好き?」

「大好き。あのころも、今も変わることなく、ずっと大好き」

「じゃあ、大丈夫だよ。天国のお母さんは、君を生んだことも、自分の人生も、なにひとつ後悔なんてしていないと思うから」

「うん」


 もう一度頷いたその時。大切な人の胸に顔を埋めて眠るときの、あの健やかな心地よさがふわりと胸をよぎった。無性に、人肌が恋しくなってくる。


「秋葉さん。私の部屋、来ますか?」


 ごく自然に、そんな言葉が私の口からもれていた。彼は驚いた顔で数回瞳を瞬かせたのち、「いいのかい?」とだけ確認をした。



 ──雨音が遠く聞こえる。


 不意に目が覚めた。微睡みのなかに、半分意識を置いたまま視線を配ると、部屋の中はまだ真っ暗だ。夜半過ぎから降りだした雨が、今もまだ、アパートの屋根を叩き続けていた。

 何時だろう。枕元からスマホを手繰り寄せて見ると、午前三時だった。

 もぞもぞと布団から這い出すと、上半身はキャミソール。下半身は下着だけというあられもない姿なのに気が付き少し驚く。

 そっか、あのあと部屋に彼を招いて、着の身着のままベッドの上に倒れ込んだのだった。

 部屋に男の人を招いたことも、肉体関係を持ったことも、もちろん初めてだったけれど、怖いとかそういう、ネガティブな感情を抱くことはなかった。

 私の身体に触れてくる彼の手つきは、腫れ物にでも触れるかのようにぎこちなかったけれど、私が嫌がっていないか。痛がっていないか。探り探りの触れ方の中に、慈しみの念を感じていたから。

 でも──どうして最後までしてくれなかったんだろう。

 中途半端に終わりを告げた、昨夜の情事に思いを巡らせる。

 私の覚悟は出来ていた。彼が自分を求めていることもわかってた。それなのに、最後の一線を超えることはなかった。「泊まっていけば?」という呼びかけにも答えることなく、私の体に毛布を掛けると、彼は「ごめん」と謝罪の言葉を残して部屋を出て行った。


「あそこで謝られるの、なんか辛い」


 私の方から誘っておいて、これはちょっとあんまりな結末じゃないのか。もしかして、そこまで私のこと好きじゃないのかな。

 でもそれだったら、『結婚を前提に』なんて言うはずがないじゃないか。

 彼に対する期待と、自分に対する失望とがない交ぜで、頭の中はもうぐちゃぐちゃで、とてもじゃないけど眠れそうにない。

 部屋の明かりを灯すと、鏡台の引き出しを開けてみた。

 ベッドの上に腰掛けて、ノートのページをめくり息を呑んだ。薄っすら予測はしていたけれど、


「やっぱり、返事来てる」


『側にいるとドキドキする。ちゃんと顔が見れない。もっと知りたい、知って欲しいと思う。一人になると、彼のことばかり考えてしまう。彼のことを思ったとき、当て嵌まる項目、この中に何個ある?』


 なにそれ。占いかなにか? と思いながらも、真面目に考えてみる。


『ん……。全部当て嵌まりますかね。それと、昨日あんな質問をした後で恐縮なのですが、今日、彼と肉体関係を持ってしまいました。とは言っても、最後までしたわけではなくて、というか、して貰えなかったというか。これはどうなんでしょう? 女性としての魅力が足りていないのかな、と、少しだけ凹んでいます』


 ふう。なに書いてるんだろ、私。

 唐突に冷静になると、ノートを引き出しの中に片付けて、乾いた喉を潤してから布団の中にもぐり込んだ。


 それからも、『彼女』とのやり取りは毎日続いた。


『彼と関係を持ったことを、後悔してる?』

『後悔は、していません。でも、こんなことを言うのは恥ずかしいんですが、最後までしてくれなかったのは、なんでなんだろうって、そればかり気になってしまって』


『それはね。彼があなたのことを大切に思っているからよ。大切にしていなかったらさ、最初に誘われた日に手を出していると思わない? そうしなかったというのは、彼がそれだけあなたとの関係を大切にしたいと考えているからよ』

『そうなんですかね……。いえ、なんかでも、わかる気がします。じゃあ、どうしたらいいんでしょう。その、彼との交際のこと』


『シンプルな質問をするね。彼のこと好き?』


 ここで一度手が止まってしまった。好き、なんだと思うんだけど、なんとなくまだ、踏ん切りのつかない気持ちが残っている。


『はい。好き、なんだと思います』


『相変わらず煮え切らないのね笑。この間した質問あったでしょ? 何個当て嵌まるかって奴。あれ、好きの定義って奴なの。全部当て嵌まったんでしょ? じゃあやっぱりあなたは彼のこと、ちゃんと好きだよ。ならさ、向き合わないと。彼とも。自分の心とも』


 自分の心と向き合う、か。

 目からうろこが落ちる思いだった。思えば私は、彼の対応だとか気持ちだとか年齢差だとか、無関係なことばかり気にしていて、自分の気持ちとちゃんと向き合ってこなかったように思う。

 ベッドの上に仰向けになって寝転がると、瞼を閉じて彼の姿を思い浮かべてみる。出会いから今日までの日々が、鮮明に蘇ってくる。彼はいつも私に気遣ってばかりで、時々困ったような笑みを浮かべていたように思う。

 全ては、私の反応が煮え切らないからだ。

 それなのに、自分の対応の悪さを棚に上げて、彼にばかり奉仕することを求めてきた。

 そうか、昔となんにも変わっていないんだ、私は。引っ込み思案で、臆病な癖に、身勝手でワガママで。

 彼の声。笑顔。デートの待ち合わせ場所に、必ず私より先に現れる律儀さ。彼の存在全てを、愛おしく感じた。

 彼と一緒にいると楽しい。彼の一挙一動が気になって、色々知りたいと思う。私のこと、もっと知って欲しいと思う。

 そうだよ、私は。


 ──彼のことが好き。


「よし」


『決めました。私、彼と付き合ってみます。それからどうなるのか、まだわかりませんが、まずは自分の気持ちと向き合ってみるよ。お母さん』


 最後の一文は、悩んだ末に消した。

 この日を最後に、『彼女』とのやり取りは途絶えた。



 ──あれから五年。


「ごめん、遅くなった。で、あれ? 子どもは?」


 スーツ姿のままバタバタと病室に駆け込んできた彼に、思わず苦い笑みが漏れてしまう。


「大丈夫。ちゃんと健康に生まれたから。3200グラムの男の子。今は保育器の中に入っているから、ここでは見られないけどね」


 ベッドの上に横になったまま、「良かった~」と安堵のため息をついた悟さんを見つめた。


「いや、でも、母子ともに健康でよかったよ。ほんとにごめんな。仕事が無ければ、出産に立会いたいと思っていたんだけどね。どうしても折り合いがつかなくて」

「ううん。本当に大丈夫だから」


 手紙による彼女とのやり取りが途絶えてからすぐ、私は悟さんに交際OKの返事をした。そこから交際は順調に進み、三年後の六月に私達は結婚。さらに二年後の今日、待望の第一子を授かったのだ。あの時、縁起を担いで六月に告白したの? と訊ねると、寡黙な彼は無言で頷いた。そっかー。

 こうして思い返すと、悩んでいた日々がばからしいとすら思えてくる。

 成人式の席で婚約したことを友人らに告げた時も、「ちょっと早すぎるんじゃないの?」と周りから心配された結婚だったが、私には、躊躇う気持ちは微塵もなかった。

 私を優しく支えてくれる、彼が何時でも側にいるから。それと――。


 ありがとね、お母さん。


 感謝の言葉を口にしてみると、もう、おぼろげにしか思い出せない記憶の中の母が、こちらを見て微笑んだ気がした。



 それからさらに二年が過ぎた。

 長男は無事すくすくと成長し、私は先日、二人目の子どもを身ごもった。


「今度は女の子がいいね」と笑う悟さんに、「そんな都合よくいかないわよ」と私は笑って返している。


 また、お産の準備を始めなくちゃな、と二歳の息子をおんぶして買い物をした帰り道。立ち寄った近所の書店で、私は一冊のノートを目にする。

 それは、あの日引き出しに入っていたノートと本当にそっくりで、懐かしい感覚が蘇ってくると、まるで引き寄せられるようにレジに持って行った。

 なぜだろう、どうしても今、買わなければならないという気がしていた。


 自宅に戻ると、息子を寝かしつけた後で、新居に運び入れていた形見の鏡台に腰かけてみる。

 この引き出しの中が、過去の世界にいたお母さんと繋がっていたんだよなあ。

 でも、あれは本当にお母さんだったんだろうか? 今思い出しても、本当に不思議な出来事だった。あの時お母さんに背を押されたから、今の生活があるような気すらする。


 私は思いついたように、ノートに文字を書き入れると、引き出しの中に仕舞っておいた。

 バカげてる、なんて思いながら、ね。


 ノートの一ページめに書いた文字。それは──。


『こんにちは』



 ~END~

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