大学芋

増田朋美

大学芋

大学芋

梅雨の中休みという表現がぴったりな、おだやかに晴れた日であった。杉ちゃんを初めとして製鉄所の利用者たちは、かわるがわる、水穂さんの食事をさせたり、着物を着替えさせたり、憚りへ行くのを手伝ったり。いろんな世話をしていた。

杉ちゃんが水穂さんに、いつも通りにおやつを食べさせようと、一生懸命指示を出している時に、ガラガラと玄関の戸が開いた。

「お待ちどうさまです。井上介護用品店の井上淳子と申します。」

聞きなれない声が聞こえてきた。一体誰だと、杉ちゃんと利用者は顔を見合わせる。

「介護用品なんて、何を注文したんだろうか?」

「それに、私たち以外の誰が頼んだのかしら?」

二人は、同時にそういう事を言った。

「こんにちは。今日は、磯野水穂さんのための、喀痰吸引機を持ってまいりました。配達の指定日が今日になっておりましたので。よろしくお願いします。どちらに置きましょうか?」

玄関先から聞こえてくる声を聞くと、何だか世間をあまりよく知らない若い女性であるようであった。

とりあえず杉ちゃんと利用者は、彼女をお通しすることにして、

「おう、一寸今、手が離せないんだよ。上がってきてくれる?」

と、杉ちゃんがデカい声でいうと、女性は分かりました、お邪魔しますと言って、四畳半へやってきた。

「こんにちは。広いですね、この建物は。まるで旅館にいるようです。いやあ、水穂さんを見つけるのに、ずいぶん時間もかかりました。」

そういいながら、入ってくる女性に、

「一体何を持ってきた?一寸見せてみな?」

と、杉ちゃんがいうと、

「之です。」

女性は、もっていた箱を開けた。真新しい、最新型の、家庭用喀痰吸引機であった。

「はあ、こんなもの、誰が使うんかいな。」

杉ちゃんが聞くと、

「はい、私は、磯野水穂さんという方にお渡しするようにと、仰せつかっていますが。」

と女性は答えた。

「磯野水穂は、僕ですが。」

水穂さんが、布団に寝たまま細い声でいうと、女性は、数分間動作をとめてしまった。

「おいお前さん、どうしたんだよ。なにがあったか言ってみな?」

また杉ちゃんが口をはさんだ。

「思ったよりも、ずいぶん美しい方なんだなあと思いまして。」

と、彼女、井上淳子さんは言った。

「そんなことはどうでもいいんだ、一体誰がお前さんのところにこんな物体を持ってくるように命令したんだよ。」

杉ちゃんが言うと、

「それは、私には。」

と、井上さんは答える。

「何だ、口止めされているのか。口止め料は、いくらもらったんだよ。」

と、杉ちゃんは、彼女に詰め寄るように言うと、

「あたしが頼んだのよ。」

いきなり四畳半のふすまが開いて、小杉道子がやってきた。道子は、井上さんにここへ吸引機を届けることを指示したが、いつまでたっても、病院に戻ってこないから、追いかけて来させて貰ったと答えた。

「何だ、道子さんだったのか。悪いけどこんな最新式の飛び道具は要りませんよ。痰取り機はちゃんとありますからね。同じものを二つ持っておく必要は何もないんだよ。」

確かに杉ちゃんが痰取り機と言っている、喀痰吸引機は、ちゃんとあった。確かに、数年前に発売された物で、古い機種ではあるけれど、ちゃんとのどに詰まった吐瀉物は取ってくれる。それで良いと思っていた杉ちゃんたちは、新しい物を欲しいとは思っていなかったが、道子がどうやら勝手に持ってきたようである。

「余計な事しないでくれ。僕たちはちゃんとやっているから。だからやたら手を出さないで、貰いたいんだよ。」

杉ちゃんが言うと、

「そんなかっこつけたセリフを言える余裕なんてあるかしら?水穂さんの体をみれば分かるわよ。弱ってる、悪化してるって。碌な看病も何もしてないから、そういうことになるんでしょ。だから、私が手を出すしかないじゃないの。それで持ってきたのに、どうして私が事情聴取みたいに聞かれなきゃならないのかしら。」

道子は断定的に言った。

「へん。余分なことばかり言って。僕らの事なんて、何も知らない癖に。変なこと言わないで貰いたいよ。水穂さんには事情があるんだ、一方的に僕らのせいにするのはやめてもらえないか。僕らは僕らなりにちゃんとやってますから。」

杉ちゃんの発言に、道子はさらに気に障って、何か口出ししたくなってしまうのであった。なぜか人には、人に言われるとそうかと納得できることもあるが、逆に余計に何か言いたくなってしまうこともあるという、おかしな性質があるらしい。どういうことなのか、よくわからないけど、人というのはそうなってしまうところがあるようなのだ。

「道子さんは、余計な事ばっかりして、本当に必要な物は、手に入らないと水穂さんに思わせるだけだ。そんな思い、させたくないね。僕は、水穂さんには手を出してほしくありません。お前さんの出す提案は、実現不可能な物ばかり。この痰取り機だって高いんだろ?そんな額水穂さんに払える分けないよな。さあ、帰った帰った。」

杉ちゃんに言われて、道子は嫌そうな顔をして次の言葉を考えていたのであるが、急に水穂さんがせき込み始めて、苦しそうな顔をしているので、

「ほら!使うときが来たじゃない!すぐに電源を入れて、吸引の準備して、急いで!」

といった。しかし、今回は水穂さんが、無事に吐瀉物を出してくれたので、大事にはならずに済んだ。

「大丈夫じゃないか。ヘんな機械を使わずに、自分の体で出させなきゃダメなんだ。できるだけ長くそうさせてやらなくちゃだめだよ。変な機械を使うのは、寝たきりになってからでいい。」

杉ちゃんに言われて、道子は力が抜けてしまった。

「悪いけど、この最新型の痰取り機は必要ありません。僕たちは、できるだけ自分でやらせてやりたいと思ってますからね。だから、これは悪いけど、返品してくれ。」

「でも、そのほうが、水穂さんだって、楽になれるわ。うまく吐き出せないと、気道からの出血は、窒息する危険性があるでしょ。そこから回避させてあげるのも、介護人の務めではないの?」

道子は、杉ちゃんの話しにすぐ反論した。

「まあねえ、医療関係者は、誰でもそういうけれどね、お前さん。薬の実験だって何回もやったけど、結局失敗に終わってる。其れって、楽にしてやっていることになるかな?次は、同じことを最新型の痰取り機を持ってきてやろうとしている。確かに、楽にしてやれるのかもしれないけどさ。水穂さんのような人は、そういうことはできないってことを、覚えておいてほしいな。」

「ちょっと待って。命だけは平等だと前に勤めていた病院で言われていたことがあるわ。どんな人でも、たとえ悪人でも、体を治してあげることが医者の務めだって、さんざん言われたわ。水穂さんだって、そういうことには当てはまると思うけど。どうなの?」

「ああー無理無理。それは絶対あり得ない。それは机の上で物事を考えている人たちがいうことだ。それに、人間ってのは、誰かよりましだと考えないと生きていけない動物だ。そういうのに犠牲になったのが同和地区じゃないの。お前さんだって、今の言葉を聞いたらぎょっとするだろう。まあ、それで正常だから、大丈夫だけどね。そうなるから、僕たちは、水穂さんをお前さんにあわせたくないわけ。分かる?」

道子がそういうと、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「ま、そういうことはね、知らぬが仏。知らないほうが、よほどいいってもんだ。お前さんだって、そういう言葉を聞けば、どんなに綺麗な奴であってもな、それが分かれば態度が変わって、今年は間が悪いとか、そういうセリフを言うんだな。まあ、それは、仕方ないことで、変えようとするなら、日本の歴史を変えなきゃいけませんからね。ま、命だけは平等だなんて、どうでもいいことで、とても無理なことだ。まあ、それで我慢しな。はははは。」

「つまり、水穂さんは、今まで差別的に扱われてきて、いじめられたり、変な屁理屈を押し付けられたりしてきたということでしょうか?」

不意に井上さんがそういうことを言った。

「まあ、平たく言えばそういうこった。でも、もう日本の歴史が関わる事だから、仕方ないことだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「それでも、個人的に考えれば、そういう事も気にしないでお付き合いができるのではないでしょうか?」

と井上さんが言いだした。

「お前さん何を言っているんだ?同和地区は、僕たちみたいな一般市民には解決できはしないんだよ。」

杉ちゃんがいうと、

「私、まだ、20代そこそこですけど、学校で習ったことがあったんです。今はみんな一緒の考えをする必要はない。いろんな人がいて、それでいい。自分個人の考えを大切にしていくように、と言われたんです。だから私は、たとえ水穂さんがそういうところから来たとしても、治療を受けるように勧めます。一般的にはそうかもしれないけど、個人的に気にしないで接すればいいんじゃないかな。私なら、そう思いますけど。」

井上さんは、若い女性らしくそういうことを言った。

「まあ、そうだけど、、、。言ってみればお前さんの頭は空っぽなんだな。まだ、20代そこそこ。まだまだ空っぽだ。まあそれを恥ずかしく思う必要は全くないよ。気にしないでお前さんの人生を謳歌してね。」

杉ちゃんはまたそういうことを言うが、

「杉ちゃん、それは一寸かわいそうですよ。井上さんは、本気でそう思ってくれたんだし。」

と、利用者が杉ちゃんをとめた。

「まあね、そんな水の泡に成っちまうような思いは持っててもしょうがないと思うけど。ま、そのうち分かるときがくるさ。」

杉ちゃんは開き直って、口笛をひとつ吹いた。

「水穂さん、本当にこの喀痰吸引機を買えないほど、お金がないのですか?」

水穂さんは、井上さんの話しに黙って頷いた。杉ちゃんがだから無理だと言いかけたが、

「はい、ございません。少なくとも、五六万はしてしまうでしょうし。そんな大金、、、。」

と、水穂さんは言うが、

「分かりました。じゃあ、私が支払いますから。私の少ない給料でも、分割で払えば、なんとかなる金額です。ただ、水穂さんは、高齢者ではないので、どうしても定価で購入しなければなりませんけど。でも、水穂さんにはどうしても必要な事ですから、できないのならできる人が代理ですればいいんですよね。」

と、井上さんは強く言った。

「はあ、お前さんも変わっているな。回復する見込みのない病人の世話をする道具を、大金払って買うんだからな。」

と、杉ちゃんが言ったが、

「いいえ、だって、必要な事じゃないですか。あたしは、余命数日とされた人でも、人らしく最期を迎えるのは、必要だと思います。だから、痰取り機というか、吸引機は持っていても良いと思うんです。」

井上さんは意思を曲げなかった。

「そうだけどね、返済の途中で逝ったらどうするつもり?」

「大丈夫です。私は、介護関係の仕事をしていますから、そうなった場合でも、道具をお渡しする相手はすぐにできると思います。」

「はあ、、、。日本人とは思えない意思の強さだな。お前さん、日本より、西洋にいった方が生活できると思うよ。」

「私は、今いる場所とか、そういうことは、気にしません。ただ、水穂さんに、ずっと生きてて欲しいから、そういうんです。だって、誰でも、いなくなった方がいい人間なんていないと思うんですよね。私、学校でそう教わって、それを生かしたいから、この仕事についたわけですし。」

という井上さんは、もしかしたら、ミッションスクールのようなそういうところに行ったのかもしれなかった。そういう宗教的な教育を受けていて、なおかつそれを真実だと受け取れる感受性があれば、

福祉の仕事は鬼に金棒という人間ができるかもしれない。

「そうかそうか。わかったわかった。お前さんの意志の強さに負けだ。今回はお前さんに軍配が上がるだろう。じゃあ、お前さんのいう通り、痰取り機の値段、全額払ってくれ。」

杉ちゃんが、一寸苦笑いしていった。

「分かりました。よろしくお願いします。」

と、井上さんはきっぱりと言った。

「私、こう見えても、介護福祉士の資格も持ってますし、時々、水穂さんの様子も見に来ますから。よろしくお願いします。」

何だかまた違う展開が始まるのかなと、杉ちゃんたちは小さなため息をついた。水穂さんだけが、苦しそうに肩で息をしていた。

その日は、道子も仕事がまだあるからと言って帰っていったし、井上さんも、喀痰吸引機の箱を四畳半に置いてかえって行った。とりあえず、杉ちゃん一行だけが、またいつも通りにおやつを食べろと催促するが、水穂さんは何も食べなかった。

その翌日。

「水穂さん具合いかがですか?」

と、言いながら、井上さんが入ってきた。

「今日は、大学芋を作ってきました。水穂さんがサツマイモが大好きなのは、道子先生から聞きました。幾ら食べ物を食べないといっても、好きな物であれば、食べられるでしょう?さあ、頑張って食べましょうね。」

張り切った顔をして、井上さんは、水穂さんの枕元に座って、持っていたプラスチックの箱を開けた。中にはおいしそうな大学芋。手作りだろうか、規格品にはない、不揃いなところがあった。

「さあどうぞ。大学芋は、おいしいですよ。」

と彼女は、割り箸を大学芋に刺し、水穂さんの口もとにもっていく。

「どうそ。」

そういわれて水穂さんは、何とか大学芋を口にした。もしこれをほかの人が見ていたら、どんな顔をするのだろうか。

「はい、もう一つ食べましょう。」

水穂さんは、もう一つ、大学芋を口にした。

「じゃあ、もう一ついけるかな?道子先生は、食欲が極端に落ちていて、大変だって言ってましたけど

、今の調子だと、食べられそうね。」

「いえ、もう結構です。」

と、水穂さんは言った。

「なんで?食べないと力がつきませんよ。」

井上さんは、そういうが、

「もう食欲がないので、、、。」

と水穂さんは言った。

「でも、嫌だと思っても、からだの為を思って食べましょう。心が、もういいと思っていたとしても、体がまだ食べ物を欲しがっている状態はよくある事です。それは、下手をしたら、拒食症とかそういうものにつながります。そうならないためにも、食べるようにしましょう。」

井上さんがそういうと、がらっとふすまが音を立ててなった。誰かと思ったら杉ちゃんだった。

「よ、又おせっかいに来たのか。お前さんの話した言葉は全部聞かせてもらったよ。僕、一度聞いたことはなかなか忘れない性分なのでな。お前さんは、なんでそういう説明ができるんだ?なんで心の事と、体の事をそうやっていえるんだ?」

杉ちゃんの一言に、井上さんは、小さくなった。

「いいんだよ気にしないで。僕は別にお前さんの事責めてるわけじゃないの。ただ、お前さんが斬新な考え方をするから、その理由を知りたいの。」

杉ちゃんの口の聞き方は、一見すると、やくざがしゃべっている見たいだったから、彼女はさらに小さくなった。

「お前さん、一体何処の何ものなんだ?商売は何をやっているんだ?」

杉ちゃんが聞くと彼女は、

「ええ、あたしは、今は仕事してなくて、父が経営している介護用品店を手伝っているだけで。」

と、答えた。

「前は介護施設で働いたときもあったんですけど、仕事が思っていたところと全然違うのでやめて、それで、今仕事してなくて。」

「なるほどね。それで、そういう専門用語とか知っているのかと思ったよ。」

彼女の答えに杉ちゃんはそう応答した。

「それで、道子先生とはどういう経緯で知り合ったんだ?」

「ええ、道子先生が父の店にたまたま介護用品を買いに来られてから、私たち、仲良くなりました。道子先生は、年も近いし、お医者さんであっても、気取ったところもないし、すぐに仲良くなれました。私も、もう少し楽になれたら、介護士として、道子先生の病院で働かせて欲しいとか、そういう事も言っていたんです。」

道子がよくやりそうな手だった。そういうところに一寸道子の職権乱用のような気がしないわけでもないが。

「それで、お前さんは、道子さんの甘い言葉にだまされて、水穂さんにちょっかいを出してきたわけね。」

と、杉ちゃんは大きなため息をついた。

「まあね、きっとお前さんも居場所が欲しくてそうやったんだろうが、残念ながら、水穂さんにはもう時間もないんだ。それをして、仕事復帰の足掛かりにしたかったら、もっと別の奴に手をだせばよかったな。」

「でも、私、水穂さんの世話ができてよかったと思っています。」

井上淳子は小さいがきっぱりした声で言った。

「だって、私、水穂さんが好きですもの。単に容姿が綺麗だとかそういうことではありません。昨日の話しが本当なら、本当に辛い思いをしてきたんでしょうし、そこから耐えられるということが、すごいなと思ったんです。私のほうは、前の職場、やめてしまいましたし。全然、世のなかに耐えられない人間で、全然だめですよね。だから、すごいなと思った。私は、水穂さんの事を尊敬しています。」

「ちょっと相手が違うんじゃないの?尊敬という言葉は、偉い奴にいうもんだぜ。相手をよくみて言葉を使いなよ。まあ、水穂さんが悪いわけじゃないけど、、、。」

と杉ちゃんがいうと、

「井上さん、ありがとうございます。お気持ちだけ貰っておきます。まさしく杉ちゃんのいう通りですし、それ以外何もありません。だから、どうか尊敬という気持ちは持たないでください。それだけは、あなたの立場までおかしくなるといけないので。」

と、水穂さんは言った。その言葉に隠されている内容が、井上さんに理解してもらえるかどうか心配だったが、井上さんは、こう話をつづけた。

「もう一度、大学芋食べて貰えますか?水穂さんのためではなく、私のためにです。」



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大学芋 増田朋美 @masubuchi4996

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