第47話

 病院を出て近くのファミレスに足を向けていた。この辺りの地理には詳しくないから、黙って夏花のお母さんの後ろ姿を追っている。この間に自分がこれから夏花のお母さんに聞こうとしていることの解答がどんな内容であっても、取り乱さないように覚悟を決める。


「こんなところでごめんね。もっと言いものが食べられるところに連れてきてあげたかったんだけれど、病院の近くにはここぐらいしかないのよ。だからせめて、遠慮をしないで好きなだけ食べて頂戴」


 向かい合うようにしてソファーに座っている夏花のお母さんが笑顔でメニューを選ぶように進めてくれる。夏花のお母さんは対したことが無いなんて言ってくれているが、俺にとってはファミレスで食べるご飯も貴重な体験だ。母さんとはこうやって一緒にご飯を食べに出歩くこともあまりなかったから。


 昼下がりのファミレスは人が多くて、周りを慌ただしくウェイトレスが歩き回っている。メニュー表に目を通して無難にハンバーグをお願いした。


 夏花のお母さんは何故か俺がお願いしたライスを大盛りで注文をしている。どうやら俺が遠慮をしているように映ったらしい。


「男の子なんだから、沢山食べなさい。夏花もこのくらいは余裕で食べてるんだからね。年頃の男の子には足りないぐらいでしょう?」


 そう言って満面の笑みを浮かべるものだから、俺は断ることが出来ずに受け入れた。それにしても、夏花がそんなに食欲が旺盛だったなんて少し意外だ。まだまだ俺は夏花のことを何も分かっていないのだと更に知った。


 山盛りのライスと熱々のハンバーグが目の前に運ばれてきてから改めて思う。俺はきっと年頃の男の子のような食欲は持ち合わせていないのだろう。


「夏花はこのぐらいの量だったら、余裕で食べるってホントですか?」


 目の前にあるハンバーグを切り分けながら俺は夏花のお母さんに問いかけていた。


「あれ? 秋博君は知らなかったの?」


 夏花と学校で一緒に昼ご飯を食べたときは焼きそばパン一つしか食べている様子はなかった。だから、夏花の食欲は俺と同じくらいなんだろうと勝手に思っていた。


「あちゃ、私勝手に言っちゃったから、夏花に怒られちゃうかしら」


 小さく苦笑いを浮かべる夏花のお母さんに感謝の気持ちを伝える。夏花は俺のことを驚くほどに理解してくれている。なのに、俺は夏花のことを全然分かってあげることが出来ていない。こうやって、普段の夏花がどんな様子なのかを教えてくれることがありがたかった。


 そうこう話をしていると夏花のお母さんは真剣な顔に変わった。


「秋博君。一つだけ伝えておきたいことがあるの」


 その声音を聞くだけでこの話がお互いにとって明るい内容ではないことを一瞬にして理解することが出来た。


「何ですか……?」


 恐る恐る振りだした声はとても震えていたと思う。自分がどんな声で言葉を放っているのかをまともに理解出来ないぐらいに動揺をしている。


「夏花の病気のことなの。いつもは元気に明るい表情で頑張っているんだけどね。実は検査の結果があまり良くなかったの。だから、夏花とはできるだけ多くの時間を過ごしてほしいと思う」


 夏花のお母さんも頑張って声を振り絞っているのが伝わってくる。その言葉だけで何を意味しているのかを理解出来たはずなのに、俺はどうしても受け入れることが出来なかった。だから、勢いだけで言葉を選ぶこともしないで問いかける。


「嘘……。嘘ですよね!?今日も夏花はいつもと同じように元気でした。学校を休んだり、病院に入院している人とは思えないぐらいいつもと同じで……。俺……」


 言葉を続けることが出来なかったのは、気が付いてしまったから。俺の話を静かに聞いてくれていた夏花のお母さんが静かに涙を浮かべていたことに。


 受け入れたくない一心で俺は現実から目を背けようとしていた。夏花の様態に関しては、どこが悪いのかも理解出来ていない俺が、今一番この現実を受け入れたくないはずの相手に話す内容ではなかったことを口走ってしまったのだ。だから、言葉が出てこなくなって、俺は小さな声で謝罪を口にするのが精一杯の出来ることだった。


「こちらこそ、ごめんなさい。私は本当はね。秋博君はもう夏花と会うべきではないと思っていたの」


 俺が謝ると夏花のお母さんはハンカチで涙を拭いながら話を続けてくれている。その内容は思わず声を上げてしまいそうだったが、グッと堪えて話を聞くことに徹していた。


「秋博君が夏花と仲が良いのは凄く伝わってくるの。きっとあの子にとっても秋博君は大きな存在になってくれている。秋博君がいるから夏花は今も笑っていられるのよ。私達と居る時なんていつもつまらなそうな顔をしている。そんな夏花を笑顔に出来るのは秋博君だけだって、分かっている……」


 夏花のお母さんが言っていることを俄には信じられなかったけれど、今この話題の中で冗談を言ってくることなんてありえない。だから、真実なんだろうけれど、だとしたら、尚更、できる限り夏花の近くに居てあげることを選びたいと思っている。だから、何故夏花のお母さんがもう会わない方が良いなんて提案しようとしているのかが分からない。


「俺は……、夏花の笑顔が好きです。いつだってその笑顔が見られるだけで勇気をもらうことが出来ます。夏花は俺のことを誰よりも理解してくれている。そんな夏花に俺は何もしてあげることが出来ていないと思っていました……。そんな自分のことを何度も責め立ててきました。だけど、俺が夏花にしてあげることがあるとするなら、なんだって出来ると思う。夏花を笑顔に出来るというのなら、いつでも夏花の元に行って笑わせてみせます」


 夏花に出会って大きく変わることが出来たと思っている。絵を描くことだけではなく、高校生らしくいろんなことをしてみたいという気持ちを持つことが出来たのも、全て夏花のおかげだ。出来ることがあるのならば、全力で答えたいと思う。


 俺の言葉を聞いて夏花のお母さんは小さく息を吐いて何かを決め込んだ様子を見せた。


「うん。秋博君はそうやって言うと思っていたのよ……。だから、秋博君には伝えておくね」


 何を言うのだろうか。考えるまでもなく明るい話ではないことだけは分かっている。緊張と共に唾を飲み込んだ。


「夏花の様態はかなり良くない……。これまでも、何度か入院しているけれど、その中でも一番良くない。お医者さんからも覚悟を決める様に伝えられたわ」


 言葉の意味を飲み込むのに酷く時間が掛かる。まるで、世界をひっくり返されるような言葉が脳内で反芻する。


 分かってはいた。夏花のことでここに呼ばれていることから良い話ではないことを分かっていて、それを承知の上でここまで来たというのに、夏花のお母さんの目を見ることが出来ない。


「それでも、秋博君が夏花のことを思っていてくれるなら、また会いに来てあげてほしいと今は思っているの。夏花を笑顔に出来るのは秋博君だけだから……。夏花には最後の日まで笑顔でいてほしいから」


 その声には、娘の幸せを願う優しさが籠もっていた。娘を笑顔にすることが出来ない悔しさが詰まっていた。その声を聞いた俺はゆっくりと顔を上げて夏花のお母さんを捉える。


 流れている涙の理由は数え切れないほどに存在しているだろう。俺自身も彼女と過ごした時間は多くないにも関わらず、こんなにも辛くて悲しくて油断をすれば、一瞬で溜まった涙達は頬を伝って行ってしまう。


「お、俺はこれまで人間関係とか友達とか、ましてや、恋愛なんて自分には一切関係のないことだと思っていました。周りの人と話題を合わせる息苦しさや無理矢理笑顔を作って合わせることへのアホらしさがあったんです。そんな俺の人生は夏花によってひっくり返された。いや、夏花がひっくり返してくれた。夏花と話しているときは心の底から楽しいし、夏花と笑い合える日々は掛け替えのない日々だと思っています。俺にこの世界で生きる意味を教えてくれたのは夏花です。俺は最後の時まで夏花のそばに居たい!」


 俺は大きく変化したと光希は言っていた。自分でも薄らと感じ取ることが出来るほどに変化を遂げていたみたいだ。つまらなかった日常に色を加えてくれたのも、話をすることの意味を見出してくれたのも全ては夏花の存在があったからだろう。


 心の中で覚悟をしっかりと決める。夏花に迫る運命を受け入れて、夏花の前では絶対に悲しみを表に出さないようにしようと。


「秋博君……。ありがとう。きっと夏花も喜んでくれる」


 その声はとても喜びが含まれているものだった。これまでも何度か話をしているが今の声はこれまでに聞いた声の中でも最も明るいものだったように感じた。


 結局この日はその話を終えた後はお互い口を開けることはなく。静かに目の前に置かれている大盛りライスを食べることに徹した。


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