第43話

 タクシーが走り出して数分が経った頃。俺の隣に座っている夏花さんのお母さんはぽつりと話を始めた。


「夏花はね。元々体が強いわけじゃないのよ。むしろね、周りの子達と比べると弱い。小学校の転校もそっちの方が専門の病院が近くにあるからだったの」


 静かな声で話す内容は知らないことばかりだった。小学生の頃の夏花さんは運動神経も抜群で、体の弱さなど感じることはないくらいだった。


 そして、転校の理由も親の仕事の関係だと聞いていた。


「あの頃の夏花さんは親の都合って言っていたんですが……」

「それはそうよ。秋博君に話をしたら、病気のことを意識してしまうでしょう? 最後まで普段と同じように接してほしかったから、秘密にしていたんだと思うわよ」


 確かに転校という言葉だけでもあの頃の俺はかなりの動揺があった。それに加えて病気というキーワードが出てきたら、もうどうなっていたかは想像することは出来ない。


 だとしたら、夏花さんは俺よりも俺のことを理解してくれていたのかもしれない。


「でもね、夏花がどうしても高校はこっちの学校に行きたいって言ったのよ。私達は最初猛反対したの」


 俺が聞く前に聞こうとしたことの回答は得られた。夏花さんがこっちの学校に来るということはリスクを背負うと言うことだ。この辺にある病院は都会に比べると設備が揃っているとは思えない。だとしたら、今はもうその病気は落ち着いたのかとも考えられた。


 というのは都合の良い解釈で、今現在病院に向かっている事実が俺に現実を突きつけてくる。重くなっている車内の空気。夏花さんのお母さんは一度言葉を句切って、話をするべきか迷っているような素振りを見せたが、すぐに息を吸い込んで話を始める。


「私達ね。怒られちゃったの。夏花に」


 正直怒っている姿が想像出来なかった。いつも落ち着いて周りに溶け込んでいるのだから。


 でも、小学校の時に一度だけ怒ったところを目撃されたと聞いた。その時ですら、周りは鬼の様とたとえていたのだから、今の夏花さんが怒ったら相当恐ろしいのだと思う。


「夏花さんが怒るなんて想像も出来ませんね」

「そうでしょう。私達もその時が初めてだったから、ビックリしちゃった」


 クスクスと笑う姿は少し夏花さんに似ているように感じる。親子なのだから当然かもしれないが、一瞬そこに夏花さんの像が浮かび、隣に座っていると考えると急激に緊張感が湧き上がってきたような気がする。


 俺の心情など気が付かないままに話は進んでいく。


「夏花が言ったの。『私の夢を叶えるために戻りたい。それを諦めて、生きることに意味は無い。自分の人生だから』って、声は必死に訴えかけながら、涙を浮かべていた。そんなことを言われたら、私達は止めることは出来なかった。例え、リスクが大きくなるとしてもね」


 夏花さんのお母さんはただ前を向いて話をしていた。自分たちの選択は果たして正しかったのかを噛みしめるかのような声に俺は何も言うことはできない。


 少しの間、社内は静寂に包まれる。そんな中、先程の話の中で一つだけ気になっていることがあった。それを聞こうにも、お互いが作り出した静寂を引き裂くタイミングを見つけられずにいた。


 だがチャンスはすぐに訪れる。


「もう少しで病院に着くわ」


 夏花さんのお母さんが先に話を始めてくれた。今このチャンスを逃してしまえば、二度とチャンスはやって来ないだろう。


「ところで……。夏花さんが叶えたかった夢ってなんですか? わざわざこっちに戻ってこないと叶えられないようなことなんですか?」


 夢を叶えるためにこちらに帰ってきたということが引っかかっていた。誰もが夢を叶えたいと思うものだ。都会に行かないと叶わない夢があることは理解出来るが、その逆というのはあまり聞いたことが無いし、見当も付かない。


「夏花の夢? それは……。私は知っているけれど、教えることは出来ないかな」


 意地悪そうな笑みを浮かべる夏花さんのお母さんにそれ以上何かを問いかけることはなかった。


 質問の答えは貰うことは出来ないままにタクシーは目的地に到着したようだ。


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