第42話

 きっと迷惑に思われるのだろうと感じながらも足を動かす。「今ならまだ引き返せるのではないだろうか」と考えている内にあっという間に七森さんの家の前に到着していた。


「ここで引き返したら、光希に何を言われるか分からないからな」


 少しの時間だけインターホンを押すことを躊躇していたが、勢いに任せてそのボタンを押した。カチッという感覚の後に響く音。前回訪れたときであれば、すぐに七森さんのお母さんが返事をしてくれたのだが今日は違った。


 数分間待ってはみたが一向に返事が返ってくることはなく。留守にしていることが分かった。


「居ないなら、仕方が無いか……」


 自分に言い聞かせるようにして、俺はそそくさと家に帰ろうと振り返った。


 その時、俺の名前を呼ぶ一人の人物がいた。


「榊原君?」


 俺のことを呼んだのは夏花さんのお母さんだった。どこかから丁度帰ってきたようで声を掛けてくれた。


「はい、今日、夏花さんが体調を崩したって聞いたので、その……」

「心配してお見舞いに来てくれたのね」


 なんて伝えたら良いのか、一瞬の躊躇の間に夏花さんのお母さんは小さく微笑みを浮かべて全てを悟っていてくれた。


「はい……。でも、留守のようだったので、帰ろうかなと思っていたところでした」

「私、凄く良いタイミングで帰ってきたみたいね。とは言っても、またすぐに出なきゃいけないのよ」


 夏花さんのお母さんは少しだけ急いだ様子を見せていたので、俺はこれ以上は邪魔をしないようにするべきだと察した。


「お急ぎのところすみません。じゃあ、失礼します」


 そう言って、その場を後にしようと一歩を踏み出そうとしたとき、俺のことを夏花さんのお母さんは引き留めた。


「榊原君。よかったら、夏花のお見舞いに来てくれないかしら?」


 俺はその言葉にピタリと身体を停止させた。一歩を踏み出した歩は元に戻り、夏花さんのお母さんの表情を伺う。


 目に写された表情は暗く曇りが指しているように感じさせられた。前回にあったときにも一瞬だけ写された表情。それは果たして何を物語っているのかを全く理解出来ていなかった。


「もちろんです。でも、お急ぎのようですが良いんですか?」

「それはね、向こうにタクシーを待たせているからなのよ。榊原君も少し待ってて、今すぐに荷物を持ってくるから」


 話の中身を理解出来ないまま駆け足で家の中に入っていた夏花さんのお母さんの後ろ姿を眺めていた。


「お待たせ。榊原君。それじゃあ、行こうか」


 戻ってくるまでに要して時間はほんの数分のことだった。俺に声を掛けてくれた夏花さんのお母さんは大きな鞄を手に持っている。


「行くって、どこに行くんですか?」


 てっきり、お家に居ると思っていた俺は現状をすぐに理解することが出来ていなかった。


 俺の質問に対して、夏花さんのお母さんは少し驚いたような表情をみせる。


「夏花はね。今病院に入院しているのよ。学校の先生は言っていなかった?」


 入院という言葉が何度も心で鳴り響く、その言葉を聞いただけで自分の心拍数が急激に上昇したことが分かる。


 深冬先生から聞かされたのは、七森さんが当分お休みをするという情報だけだった。


「夏花さん、そんなに体調が悪いのですか」


 俺の問いかけに夏花さんのお母さんは表情を暗くした様に見える。


「夏花は言っていなかったのね……。ここで話すと時間が掛かるから、タクシーに乗ってから話をするわ」


 そう言ってくれた声はもの凄く重たい雰囲気を孕んでいた。これまでの自分だったら確実に話を聞くことは無く逃げ出していただろう。


 人のことに深入りするわけにはいかない。などと理由を並べる方が辛くも苦しくもないからだ。でも、今は違う。


 知らないうちに周りだけが進む怖さを俺は知っている。小学生の頃の自分が経験したあの痛みをもう二度と味わいたくはない。


 だから、夏花さんのお母さんに付いていくのだった。


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