第41話

  

 約束のない日の活動は何も普段と変わることはない。課題をこなして、本を読む。それだけで、俺の週末は幕を閉じた。


 月曜日というのは、やはり憂鬱だ。多くの人はこの意見に賛同してくれるのではないだろうか。


 去年までであれば、月曜日だろうと変わりは無く憂鬱に感じたことはなかった。それは恐らく、人との関わりを最小限にしていたからだろう。


 今日をこんなにも憂鬱に感じているのは、土曜日の出来事が理由だ。結局俺が送ったメッセージには、既読が付くことはなくこの日を迎えてしまったのだ。


 重く引きずった気持ちに鞭を打って今日もいつもと同じように学校へ向かっている。


 一人の教室で数学の問題を解いていく。それくらいしかやることがないからだ。文化祭も終了したため、七森さんが早くに登校してくることもないだろう。


 教室の喧噪が少しずつ耳に入ってくる時間帯に突入していた。いまだに七森さんは姿を現してはいない。その代わりに元気な光希の声が聞こえて俺は顔を上げた。


「おはよう。光希。今日も元気だな」

「おう!秋博は今日も真面目に勉強か?」


 いつもと変わらない他愛のない会話を繰り広げているということは、もうそのくらいの時間と言うことだ。だが、俺の隣の席には誰も現れては居ない。


「あれ?まだ来てないのか?お前の大好きな夏花さん」


 満面の憎たらしい笑みを浮かべる光希に俺は机の上に置いてあった消しゴムをぶつけていた。言い返してしまえば、相手の思うつぼだから、あえて何も言わないで小さな反抗をしたのだ。


「全く……。冗談だよ。大切な消しゴムをぶつけてくるんじゃねえよ」


 床に落ちた消しゴムを机の上に戻してくれる光希。この消しゴムにそんなに強い思い入れを持った覚えはないのだが、なぜ光希はそんなことを言ってきたのだろうか?


「別に……」

「俺があげた消しゴムだ。大切に扱えよな!」


 言われたことでようやく思い出した。これは、去年の最後のテストが終わった後にノートのお礼として貰ったものだ。光希には悪いが正直全く覚えていなかった。


 当の本人はあまり気にしていないようで言うことだけ言うと自分の席に急いで座る。廊下から聞こえる足音が原因だろう。


「みんな。おはよう」


 いつもと同じく凜とした深冬先生の声が教室内に響き渡る。この声が発せられる前に席に着いていない生徒は後ほど想像するのも恐ろしい説教が待っている。


 俺の隣は未だ空席。七森さんが遅刻することなんて想像するのは難しいがそれ以外には理由が思いつかなかった。


 何事もないようないつもと同じようなひんやりとした声音の深冬先生は七森さんが席にいないことを気にしている様子はなく。いつも通りに朝のホームルームが始まる。


 光希や俺、もちろん、他の生徒が一人でも遅刻をしていたら、すごく恐い表情をするのにも関わらず、今日はそんな様子は一切感じられない。


 ぽっかりと空いた隣の席の違和感を拭いきれないままにホームルームは流れ去っていく。


 全ての連絡を終えた後のことだった。深冬先生は落ち着いた声で七森さんの話題を出した。


「七森さんですが、体調不良により、当分は学校をお休みすることになりました。体調が回復するのをみんなで待ちましょう」


 機嫌が悪くなかった理由がすぐに明らかになった。まさか、体調不良だったなんて、想像もしていなかった。


 先週は体調の悪さも感じることないくらい元気だったと思うが、土曜日の約束にも姿を見せなかったし、メッセージの返信が無いことを考えると、腑に落ちた気がした。


 それだけ告げると深冬先生は早速授業に移っていく。俺は何とも言いがたい不安な気持ちを巡らせながら、教科書を開いた。



 一日というのは、長いようで短い。あまり集中出来ない間に時間だけが過ぎて、全ての授業が終了していた。


「秋博さ。おまえ、今日一日様子が変だぞ?お前も調子が悪いのか?それなら、早く帰って休んだ方が良いぞ」


 帰り際にそんなことを言ってきたのは光希だ。別に具合が悪いとか、そんなことはないのだが、確かに今日は何にも手に付かない感じだった。普段は当たり障りのないように生きるために授業中に話を聞き逃すことなんて無かったのに、今日は名前を呼ばれていることにも反応出来ず、怒られてしまった。


「別に体調が悪いわけじゃないよ。ちょっと考え事をしていただけだから、心配しなくて良いよ」

「お前さ。そんなわかりやすい奴だったか?もっと寡黙で何を考えているのかが分からなくて不思議な奴だと思っていたけどさ」


 光希はそこまで言うと言葉を探すように考えた様子を浮かべている。


「何だよ。そんなに変わったことなんて無いだろう」


 自分で言うのもなんだけれど、俺は周りから注目されないよう当たり障りのないように生きている。光希には分かりやすいとか言われるが他の生徒からしてみれば、いつもと変わらずにクラスメイトAぐらいにしか映ってはいないだろう。


「はぁ、お前さ、今日一日の自分の行動を振り返ってから、そういうことを言ってくれないか?じゃ、聞くけど、明日までに提出する課題の科目は?」


 突然の質問に俺は驚くが課題を忘れるような目立つことはしたくないからしっかりと確認はしている……。はずだった。


「あったか?」

「あるよ。大物の数学がさ」


 光希の真面目な声に俺は驚かされる。


「自分でもやっと気が付いたか?今日のお前は明らかに変なんだよ。ついでに言えば昼飯も食ってないだろ。周りの奴等もさすがに心配そうな顔をしていたぞ」

「そんな……」


 自分のことは自分が一番理解しているなんて言葉も聞いたことがある。俺も今日までその言葉を疑うことはなかったけれど、丸っきり自分のことを理解していないなんて初めてだった。


「とりあえず、俺から言えることは一つだ。さっさと会いに行け。迷惑だとかを考えるのはやめろ」


 光希が俺にこんなにも真剣に命令してきたことなんて一度も無い。俺はすぐ行動を起こさない言い訳を並べてしまう。今だって光希に言われることが無ければ、迷惑を掛けるの一言で諦めていただろう。


「もう昔のような子供じゃないんだ。自分の気持ちとしっかり向き合って、お前が後悔をしない選択をしろ」

「分かった……」


 自分の席からゆっくりと立ち上がる。光希は俺の返事を聞いてから、安心したような表情を浮かべて、鞄を肩に担いでいた。


「じゃ、俺は部活に行くからさ。秋博も頑張れよ。あ、それとこれは餞別だ」


 その声に合わせて俺に何かを放り投げてくるから、慌ててそれをキャッチする。自分の手の中にあったのは、購買の名物商品である焼きそばパンだ。


「腹が減っては戦はできぬって言うだろ。上手くはないけれど、腹の足しにはなるから、栄養を補給してからいけよ」


 もう部活の集合時間のぎりぎりだったのだろう。その言葉を投げるようにして、光希は廊下を駆けていく。


「ありがとうな」


 本人には絶対に届かないだろうけれど、俺はぽつりと小さく呟いて教室を後にする。


 歩きながら光希に渡された焼きそばパンに口を付ける。やはり、お世辞にも美味しいとは言えないその味とあぶらに塗れた食感に包まれながら、俺は七森さんの家に向けて歩を進めていた。


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