第40話



 その日は文句の付けようのないほどの晴天だった。目覚まし時計が機能するよりも早く目が覚めた俺はカーテンを勢いよく開けてそんなことを思っていた。


 気持ちが高ぶって早く目が覚めてしまうなんていつ以来のことだろうか?


 小学生の時には、運動会とかの前の日には寝付けなかったり、早く目が覚めてしまうなんてよくあった気もする。そんな珍しいことが起きたのは今日この後の予定が原因だ。


「さて、準備でもするか」


 ボサボサの髪を整えるのにも時間が掛かりそうだし、早く起きてしまった分少し気合いを入れて準備することにした。


 休日の早朝だ。母さんはまだ起きてくるような時間ではない。むしろ、まだ帰ってきてから、さほど時間は経っていないだろう。そんな母を起こさないように、極力気配を消して歩く。


 一頻りの準備を先に済ませてから、適当に朝食の準備を始める。コーヒーとこんがりと焼いた食パン。それらを持って食卓に座る。適当に流して置いたテレビからは今日の天気について解説するお天気キャスターが映っていた。

 どうやら今日は一日中、こんな天気が続くらしい。


 一人で静かに朝食を食べているとリビングに母さんが姿を現した。


「ごめん。起こしちゃった?」


 朝の挨拶をすることよりも先に謝罪の言葉が現れる。極力静かにして音を立てないようにしていたつもりだったが、起こしてしまったらしい。


「おはよう。秋博。別に朝なんだから起きるのは普通のことでしょう?だから、謝る必要なんて無いよ。そんなことより……」


 母さんは不気味に言葉を選んでいる。その表情はどこか嬉しそうなものだ。


「今日はデートにでも行くのかい?」


 何を言い出すのかと思えば、また突飛なことを言い出した。俺が誰かとデートするなんてことあるはずないだろう。俺は変な勘違いを避けるためにこれからの予定を説明した。


 デートなんて大層なものではなく。文化祭の打ち上げだということを。


「秋博。あなたは本気でそう思っているの? お母さん、少し心配になってきちゃった」


 俺のことを哀れな物を見る目で見つめてくる。視線が痛いと感じながらも何故こんなことを言われなければいけないのかは理解することが出来なかった。


「まぁ、息子の青春に口出ししようとは思わないから、好きなようにやりなさい。その髪型は良い感じだと思うよ」


 なんだか諦めた様子の母さんだったが、最後はしっかりとした表情でセットした髪型を褒めてくれた。別に特に嬉しいわけでは無いが、結構な時間を掛けてセットしたものなので、嫌な思いもしない。


「誰とどこに行くかなんて聞かないけれど、折角なんだから思いっきり楽しんできなさい。これは餞別」


 そっと机の上に置かれた一万円札。


 決してうちの家庭は裕福ではない。むしろ、父親がいない分、母さんが一人で生活費をまかなってくれている。だから、俺はお小遣いとかは要求しないし、どうしても欲しいものがあったときはバイトに励んで自分で稼いできた。


「母さん。別に気にしなくて良いよ。ちょっと遊びに行くだけだから、そんなお金は掛からないと思うし」


 だから、俺は母さんが机に置いた一万円札を返そうとした。


「秋博。光希君と出かけると言うなら、私だって、一万円も渡したりはしないよ。何が起こるか分からないから、困ったときのための保険。使わないなら別に無理して使う必要も無い。でも、もしもの時のことを考えて、これを持って行きなさい」


 母さんは少し厳しめの声で、言い聞かせるようにしてくる。ここまで言われては受け取らないというわけにも行かないので、感謝してお小遣いを受け取っておいた


「ありがとう。大切に使うよ」

「そうして頂戴。私はまだ眠たいからもう一眠りしてくるね」


 どうやら、眠たいところをわざわざ起きてきてくれたらしい母さんはゆっくりと寝室に戻っていく。俺は時計に目をやって、少し早いけれど、約束の場所に向かうことにした



  

 人混みは凄く嫌いだ。行き交う人々は自由に会話を繰り広げて、賑わっている。自分に向けられているわけではないが視線も多くて気が滅入る。


 予定していた時間よりも早く到着した俺は七森さんがやって来るのをただ待っていた。駅に集合することに決まっていたから、人波に目を凝らしながら、七森さんの姿を探す。


 スマートフォンの時計はいつの間にか約束の時間を30分も過ぎている。この時はまだ準備に時間が掛かっているのだろうとしか思わなかったから、何も感じることはなく。スマートフォンをしまって再び人波を見つめる。


「何かあったのかな?」


 ぽつりと言葉が零れる。あれから2時間が経過していた。俺と同じように約束の待ち合わせをしている人々がいたのだが、その人達はもう待ち人と合流しているようだ。


 俺だけだろう。朝早くからこの場所で待ち。もうすぐお昼を迎えようとしているのは……。


 さすがに何の連絡も無く2時間も遅れるようなことはないだろうと思う。だとしたら、俺が約束の日を間違えたのだろうか?


 この時、七森さんにメッセージを送った。


『今日は約束の日だよね?』


 確認をするためのメッセージ。俺が間違っていてくれればどれだけ良かっただろうか。約束の日を間違えて3時間以上も来るはずのない人を待っていたなんて笑い話だ。


 そんな不安は解消されることはなかった。先程送ったメッセージに既読は付くことはなく。モヤモヤとした時間を過ごすことになってしまっていた。


 結局。12時を過ぎたところで、俺は約束の場所を後にする。自分は何をしているのだろうか。休みの日の半日を何もしないでただ人波を見つめているだけで終わらせてしまうなんて……。


 七森さんが約束を破るとは思えないけれど、何も連絡が来ないのもおかしい。怒りなんて沸いてくることはないが、自分は何をしているのだろうかという自問自答だけが残っていた。


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