第37話
想像以上に疲れていたらしくて、七森さんに休むように声をかけられてすぐに眠りに落ちていた。教室のざわつきは心地よいBGMになっている。
頬を突く感触が眠っている俺の意識を現実に引き戻そうとしてくる。優しく頬に触れる感触はすぐには消えてなくならない。まだ眠っていたいという強い欲求はあったが体を起こす。
体を起こしてあたりを確認しようとしたら、今度は冷たくて硬い感触に襲われた。
「うわああああああ!!!」
あまりにも突然の出来事に俺は自分でも信じられないぐらいの声を上げてしまう。教室では目立たない行動を心がけているのに、ありえないことをしてしまっていた。
「え? そんなに驚かないでよ! 私のほうがびっくりしちゃったよ」
振り返ると缶コーヒーを持っている七森さんが立っている。その表情は少し不機嫌なもので怒っているようだった。
眠気なんてどこかに吹き飛んでしまうほど俺は驚いていたようだ。
「ご、ごめん。普段こんなことされることがないからびっくりして声を上げちゃった。起こしてくれてありがとうな」
これまで、俺に話しかけてくる生徒なんて、光希しかいなかったから、こんなことをされる経験などあるわけがない。今振り返ると相当夢のようなシチェーションだった。
「ふふ、こちらこそごめんね。まさかそんなに驚くとは思っていなかったの。お詫びと言っては何だけど、このコーヒーを飲んで目を覚ましてよ」
ピタリと頬に当ててたコーヒーを手渡してくれた。きっと、俺の眠気覚ましのために買ってきてくれたのだろう。俺は七森さんにお礼を言いながらプルタブに指を引っ掛けて缶に口をつけていた。
普段はブラックなんて飲まないけれど、というか、飲めないけれど、七森さんからもらったものだから、普通に口をつけていた。滅茶苦茶苦い。吹き出してしまうかと思うほどに苦い。
「もしかして、秋博君はブラックコーヒーを飲めなかったかな?」
「べ、別に……。苦手ではないよ……」
少し俺のことを小馬鹿にしているかのような表情を浮かべている。これはメチャクチャ恥ずかしいけれど、とりあえずはこの缶コーヒーを全て飲み干すことに全力を尽くした。
苦味が口の中を駆け巡り、吹き出しそうになるのを気合でこらえて、一気にコーヒーを飲み干した。
「ふぅ……。ありがとう。おかげで目が冷めたよ」
よく考えると周りのことを一切気にしないで、七森さんと話し込んでいたが、もう周りの目が存在していた。
周りからの視線が突き刺さる。主に男子生徒が羨ましがっているようなものばかりだが、それは俺が萎縮するには十分すぎるものだった。
慌てて立ち上がってしまったから、とりあえず落ち着くために椅子に座る。俺の様子を見ていた七森さんもそれに合わせて椅子に座っていた。
「なんだか、目立っちゃったね!」
全ては策の中にあったかのような幼げな笑みを浮かべる七森さん。目立つのは好きじゃないことは知っているはずだ。これが光希がやったことだったら、おそらく少し怒っていただろう。だけど、七森さんの表情を見ていたら、怒りとか恥ずかしさはどうでもよく感じてしまう。
そんな一騒動はありながらも、今日も教室内の雰囲気は変わらないで文化祭モードだ。授業も文化祭の準備にあてられたりする。そうして、一時間目には早速俺の描いたポスターがお披露目された。
「それじゃあ、このポスターを校内に張っていきましょう!」
クラスメイトはその声に賛成して、各々動き出した。クラスをまとめ上げているのはもちろん七森さんだ。
おかげさまで俺の描いたポスターはクラスメイト達にしっかりと受け入れられていたようで安心した。中にはこのポスターを誰が描いたのかという話題で盛り上がっているグループも存在している。
七森さんは俺が絵を描いていることを周りには言わないでいてくれた。必要以上に目立つことを嫌う俺の気持ちを理解してくれてのことだ。作者を探すクラスメイトの様子を見ているとなんだか少し面白い。
クラスメイトの後ろ姿をただ見送っていた。特に役割のない俺は自分の席でただボーッとして過ごしている。
「秋博君のおかげで全てが上手く行ったよ。ありがとうね」
隣の椅子に座って小さく息をこぼす七森さんの登場に声をかけられるまで全く気が付かなかった。
別に褒められるようなことはしていない。クラスメイト全員が何かしらの役割を持っているのに、俺だけ何もしていなかったことが異常なんだ。
そんな捻くれたことを頭の中で考えたのは、恥ずかしさをごまかすための苦し紛れの行動に過ぎなかった。
「文化祭が終わったらさ。2人で打ち上げでもしようよ!」
七森さんは手を叩いて突然そんな提案をしてきた。俺の脳内は軽いパニック状態に陥っている。文化祭になんてこれまでろくに参加していないものだから、打ち上げになんて誘われたことはない。
だから、まずは打ち上げとは何かを理解する必要があった。
「う、打ち上げってなにをするんだ? 正直良くわからない」
至って真剣な声で七森さんに尋ねると小さく吹き出すようにして笑われる。相当面白かったのか、俺の質問の回答が来るまでには結構な時間を要した。
「うふふ、ごめんね。ツボに入っちゃって、そうそう、打ち上げは普通みんなでカラオケとかに行って盛り上がる。お疲れ様会みたいなものだよ。でも、秋博くんは大勢の人が集まるところが苦手だろうから、よかったら二人で、小さくだけれど打ち上げができたらいいなと思って……。嫌だった……?」
「やろう! 打ち上げ」
七森さんの言葉を遮るようにして打ち上げの提案を受け入れる。ここまで、俺のことを気遣った提案をしてくれているのに、断るはずがなかったし、打ち上げというものも経験してみたかったから。
俺の食い気味な反応に少し驚いた様子だ。それもそうだろう。普段の俺の態度を見ているとこの行動は相当に異色のものなのだから、というか、自分でも少し驚いているぐらいなのだから。
「ところで、二人で打ち上げって具体的には何をするんだ? 俺、歌を歌うのは得意ではないけれど……」
「安心して、私に任せて、ちょうど行ってみたかったところがあるんだ。きっと、静かで涼しいところだから、秋博君も気に入ってくれると思うよ。だから、当日まで楽しみにしていてほしいな」
嬉しそうにキラキラと光りを反射する瞳でそんなふうに言われたら、もちろん、受け入れるに決まっているじゃないか。七森さんがどこに行こうとしているのか、すごく気になりはしたけれど、きっとそこも含めてなにかサプライズ的なことを考えているのだろうと判断して、それ以上は深く追求はしなかった。
「わかった。打ち上げ楽しみに待っているからさ。日程が決まったらメッセージを送って。俺は基本的にいつでも大丈夫だから、七森さんの都合のいい日をセッティングして」
自分で言ったが、基本的にいつでもいいって、傍から見たら結構悲しいことを言っているなと思う。事実だから、これ以上言い換えることもできないけれど。
俺の言葉を聞くと七森さんは力強くうなずいていた。なんにしてもとりあえずは学園祭を成功させることが優先事項だ。俺には特にもう役割はないが、七森さんはそうもいかないらしい。先程勢いよく教室を出ていった生徒が何名か戻ってきていた。
七森さんに用事があるのだろう。恐らくは、ポスターをどこに貼ればいいかわからなくて戻ってきたとかだ。
「七森さん。少し相談があるんだけれどいいかな?」
一人の女子が声をかけて、それに答えて二人は別の場所に向かっていったようだ。七森さんが教室から出ていくと質問の順番を待っていたのであろう、他の生徒も一緒に姿を消した。
一人の教室。ポツリと残された俺は机に突っ伏して再び眠りの世界に戻ることにした。静かな教室は少し前の俺にとってはあたり前のことだったのに、なぜだろうか、今は少し何かが足りないような気持ちの悪い感覚がある。
自分はもう変わることはないと思っていたけれど、存外そんなこともないのかもしれない。そんな事を考え終わったとき俺は睡魔に飲み込まれて眠りに落ちていったのだった。
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