第28話


 地面に転がる石を何気なく蹴飛ばしながら、俺は一人で帰路につく。とはいっても、今日は少しだけ寄り道しなければいけないわけだが。


 深冬先生がくれたメモを確認して、自分の向かっている先は正しいのかをチェックする。


 メモを受けとった時になんとなく察することが出来たが、どうやら、七森さんの家は昨日寄り道をした公園のすぐそばだった。


 だから、とりあえずはあの公園を目指してトボトボと歩く。静かなひとときはこれまで当たり前だったが、昨日の下校時を思い返すと静かすぎることを物足りないように感じている自分がいた。


「全く、七森さんと再会してからは自分らしくないことばかりをしている気がするな」


 公園までの道中に一人そんな思いにふけっていた。去年までの自分だったら絶対にしないようなことばかり行っている。自分の変化に驚かされてばかりだ。全ては七森さんのおかげでもある。


 そんなことを考えながら、公園までの道のりを歩くと子供達の楽しそうに遊ぶ声が聞こえてくる。横目で公園内の様子を覗くと今日も昨日と変わらず遊具は満員御礼という感じだ。だが、それ以上に子供達を夢中にさせているものがあった。


 それは公園の中を自由に泳ぐシャボン玉だ。透き通る美しい球体は風に流されては不規則に動き回り、辺りを漂う。それの発生源に目をやると昨日の少年が慣れた手つきでシャボン玉を作っている。


 昨日は涙を流しながら、苦戦した果てに成功を掴んだ少年は満面の笑みを浮かべて子供達の中心人物のように見えた。


「案外、シャボン玉も捨てたものじゃないのかもな……」


 俺は自分が夢を捨てたことの言い訳を言うときに、いつもシャボン玉と夢を並べる。だが、目の前に流れる光景にその考えは本当に正しいのか疑問を抱かされるようになっていた。


「まぁいいか……」


 深く考えたところで仕方が無い。子供達の方から視線を外して、俺は少しだけペースを上げて七森さんの家を目指した。



 ポツリポツリと住宅が建ち並ぶ光景に少しだけ驚いていた。


「こんなに家があったんだな。このあたり」


 俺は生まれてからずっとこの町で生活してきた。ド田舎で遊ぶ場所も十分ではないし、俺の家のご近所なんて歩いて五分の距離に存在している。そんなところだと認識していたが、少しだけ離れるとこんなにも民家があるのだから、驚いてしまった。


 表札を確認しながら、目的の家を探し出す。住所は分かっているのだから、それほど苦労せずに発見することが出来た。


 何の変哲も無い普通の二階建ての一軒家が目的地だったらしい。よく考えたら、生まれてこれまで、友達の家に訪れたことなんて無かった。ただ、インターホンのボタンを押すだけで事が済むのだが、手には汗が浮かび若干湿ってしまっている。


 少しの間だけ、インターホンのボタンに指を当てて停止してしまっていたが、意を決して力を込める。


 カチッという感触と共に音が鳴る。少しの間を置いて、扉の鍵が解錠される音が聞こえた。


「はーい!」


 扉を開けて出てきたのは七森さんのお母さんだった。スラっとしたスタイルに長い黒い髪。全体的な雰囲気はそっくりだ。


 俺はここに来るまで、重大なことに気が付いていなかったらしい。てっきり、夏花さんが出てくると思っていたのだ。具合が悪くて休んでいるのだから、少し考えれば分かることだったが、あまりにも、このような経験が少なかった所為で、親が出てきたときの対応を考えていなかった。


「あの、夏花さんはいますか? 俺は同じクラスの榊原です。先生からプリントを持って行くように言われてお届けに上がりました」


 ひとまず、平静を装い挨拶を交わすことには成功したと思う。少し早口になってしまった気もするが恐らくは伝わっているはずだからよしとしよう。


 俺が名乗ると驚いた表情を浮かべている七森さんのお母さんがいた。


「あら? もしかして、榊原秋博君かしら」


 そう言って俺のフルネームを言い当ててくる七森さんのお母さん。それに驚きを覚えながらも、こくりと頷き返した。それと同時に何故分かったのか尋ねていた。


「あはは、ごめんなさいね。いきなり名前を当てられてビックリしたでしょう? いつも夏花が学校の話をするときに出てくる人物だからね。覚えていたのよ。なんでも、テストで勝負するからってとても張り切っていたからね」


 その言葉に色々な意味で驚かされてしまう。普段学校では俺のことを榊原君と呼んでくるはずなのに、お母さんは俺の下の名前まで覚えてくれていたこと。そもそも家で話す話題に俺の名前が挙がっていることに凄く驚かされた。


「そうだったんですね。夏花さんの具合はどうですか?」


 これ以上この話題を続けているわけにも行かないので方向性を変えてみた。


 その言葉を投げかけたとき、一瞬だけ七森さんのお母さんの表情に影が差したような気がしたが、すぐに優しく微笑んでくれた。


「ああ、ちょっと風邪気味で、旦那が心配だからって一応病院に連れて行ったわ。本人は大丈夫だと言い張っていたけれど、半ば強制的に連れて行かれたの」


 小さく笑って伝えてくれるが、俺からすると病院に行くなんて一大事だ。あの小学校5年生の時以来病院にお世話になった覚えはない。


 そんな思いが表情に出ていたのだろうか。七森さんのお母さんは両手をブンブンと振リながら続けた。


「ああ、でも、きっとちょっとテスト前に気合いを入れすぎたことが原因だから、来週にはちゃんと学校にも行くと思うから、そんなに心配はしないで」


 七森さんは今回のテストをそこまで本気で取り組んでいた。勝利して俺と一緒に下校するという権利を勝ち取るためにそこまでしていたのだ。なんだか申し訳なくなる。


「はい。このプリントを渡しておいて貰っても良いですか?夏花さんは見れば分かると思います」


 そう言いながらプリントの束を手渡すとしっかりと受け取ってくれた。


 そこでなぜか俺の脳裏に光希の声が再生される。


『秋博。折角再会出来たんだからさ。もっと、大切にした方が良いよ。また、あの時みたいに突然いなくなるみたいなことがあったら、どうするんだ?小学生の頃とは違って、もう人との接し方も多少は理解してるんだろう?ちゃんと悔いを残さないようにしないと、奇跡は二回も訪れないからな』


 俺は何も出来ていない。あの頃とは違って、少しは周りを見ることが出来るようになったつもりでいた。それなのに俺は見逃していた。七森さんが体調を崩すほど無理をしていたことも、しっかりと俺のことを気に掛けてくれていたことも。


 そんな自分が憎らしい。もっと勇気を持っていれば、今回のテストも勝負ではなく。協力が出来たはずだ。一緒に帰るのも、ご褒美ではなく日常になっていた可能性もあったかもしれないのに。


 全てにおいて出遅れている俺の行動。時間はどうあがいてもまき戻ることはない。だから、出遅れた分は俺からの行動で取り返すしかないのだ。


「ありがとうね。秋博君。これ確かに夏花に渡しておくわ」


 その声は俺の耳を通り抜けていきそうだった。今俺にできることを考えていたからだ。


 もうアスファルトを夕陽が照らす時間。まだ、七森さんは帰ってこないみたいだから、悔しいが俺に出来ることは何もない。俺が得意なことといえば数学ぐらいなのだから……。


「数学……? 」


 俺はぽつりと呟いていた。思考の中で何かのパズルがピタリとはまったような強い感覚があった。なぜ、俺はこんなことにも気がつけなかったのだろうか。俺にだってできることがあるじゃないか。


 それに気がついたとき。体は勝手に動いていた。自分の鞄からペンと適当な紙切れを取り出す。


 突然の奇行に七森さんのお母さんも若干を驚いていたような気もするけれど、この際、周りからの視線など気にしている場合ではなかった。


「ど、どうしたの?」


 その声が聞こえたときには丁度紙に用件を書き終えたところだった。ペンを再び鞄にしまいメモを小さく折り畳んで、これも七森さんのお母さんに渡す。


「すみません。このメモも夏花さんに渡しておいてもらえませんか? 」


 俺のお願いに全てを察したかのような表情を浮かべてメモを受け取ってくれる。


「分かったわ。必ず渡すから安心してね。それから、夏花はしっかりしているように見えて、たまに抜けていることもあるから、よろしくね」

「は、はい! 」


 俺は今自分に出来ることをしたつもりだ。しっかりと挨拶を返して七森さんの家を後にすることにした。


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