第27話


 何も変わらない教室。唯一違うとしたら最近俺の隣にやってきた同級生が欠席していることだろうか。



 これまでいつも一人で過ごしていたが、隣に来た七森さんは昼食や休み時間のちょっとした時間に俺に他愛もない質問を飛ばしてくれていた。自分から話を振ることは苦手だが、質問にならば相当難しいことでない限り答えられる。


 俺があまり世間話に着いていけないものだから、ときには『好きなテレビの話』だとか『最近の女子高生の間で流行っている動画』など、いろいろな情報を俺に与えてくれていた。


 お昼時に教室に残っている人は多くない。だが、俺はその場所の常連客として君臨している。周りの生徒からは少し可哀想な人を見る目で見られているが、今更その視線を気にすることはない。


 静かな昼食時には購買で買ったチョココロネを味わっていた。疲れた脳には甘いものが必須で昼ご飯は菓子パンを食べていることが多い。


 そんな至福の時を過ごしていると、一人の人物が表れて、阻害されてしまった。ヒールの響く音が聞こえていて、近くにいることは気が付いていたが、まさか俺の元にやって来るとは思ってもいなかった。


「榊原君。お昼ご飯はしっかり食べないと成長が出来ないですよ」


 俺がチョココロネをいつも食べているからといって、わざわざ、注意しに来たのだろうか?いや、そんなはずがない。きっともっと面倒なことを伝えに来たに違いない。


「いいんですよ。これを食べないと午後の授業に支障が出るんです。ところで、こんなところで深冬先生はどうしたんですか?」


 机の前で俺に話し掛けてきた深冬先生に雑に対応していると、目を細めてとても恐い顔をして俺を見ていた。


「私の受け持つ教室に居たらおかしいかしら?まぁ、今日は一つお願いがあってきたのよ」


 もう断ることが出来ないような空気が現れている。鋭い眼光に俺は屈してしまっていた。


「それは俺に拒否権はありますか?出来れば、お断りをしたいところなんですけど……」


 極めて低い姿勢で深冬先生に問いかけてみるが、俺のことを見つめたまま冷たい笑みを零している。どうやら、俺にはまた拒否権がないお願いらしい。


「まだ、聞かないうちから断るのは、どうかと思うけれど。そんなに難しいことじゃないから」


 そう言いながら、いつの間にやら取り出したクリップで留められた紙の束を机の上にのせてくる。どうやら、数学の過去問がまとめられているようだ。テスト期間は終わったはずだ。もう必要の無い紙のようにも思える。


「過去問ですか?俺にくれるんですか?生憎俺は全て保管してあるので、お願いに対する見返りにはなりませんよ」

「何を言っているの?なぜ、榊原君に見返りを与えなきゃいけないのかしら」


 眉をひそめて俺に冷たい言葉を向けてくる。これがゲームとかなら、イベントに突入して、CGイラストの回収が出来そうな雰囲気だと思うのだが、どうやら、現実はどこまでも厳しい。


「じゃあ、これをどうしろって言うんですか?」


 こんな必要の無い紙を俺に渡してどうしろというのか。まさか捨ててこいとか言われるのだろうか。だとしたら、教育委員会に言いつけてやる。


「察しが悪いわね」


 一つため息を零してなんだか呆れた顔をしている。なぜ、依頼されている俺がこんなにも冷たい言葉を浴びなくてはいけないのかが、理解出来なかった。大体、俺に察しが悪いなんて注文を付けてくるのは間違えだ。


「はい。俺は人付き合いとか苦手なので、そのような能力は持ち合わせていませんので、他の人を当たってもらえますか?」


 この態度が先生に向けるものとしては正しくないことを理解しながらも、紙を押し返すようにして深冬先生に返す。


「そうですね。私が言いすぎました。ごめんなさい」


 やけにあっさりと謝罪を告げた深冬先生は同時に頭も下げていた。


 その光景にプリントを押し返していた腕の力が脱力して、パサリと机の上に紙が広がる。


「おい。深冬先生が謝っているぞ。しかも頭まで下げている。明日は槍が降るのか!? 」

「マジ!? 何があったんだよ。ありえねぇだろ。あいつ誰だっけ。……榊原だっけか。何者だよ」

「深冬先生の弱みでも握っているんじゃないか? 地味で影が薄いフリして実は鬼畜な奴とかよくあるだろう」


 俺以外にも少なからず残っている生徒は存在している。そいつらは、深冬先生が俺のところに来たことに関しては無関心だったにも関わらず、頭を下げる様子を見た瞬間に声を上げて騒ぎ出した。


 どうやら、俺のイメージが悪化しているらしいことは理解が出来る。大体、なんだよ『影が薄いフリして実は鬼畜』って不名誉すぎるイメージが張られようとしているんだが……。


 俺自身も深冬先生が頭を下げた瞬間は驚いて、世界の終わりでも訪れたのかと思ってしまった。俺達の担任は完璧な人だ。何をやらせても基本的にミスをすることはない。それ故に、謝ったりするところを見たことのある生徒はいない。もしかしたら、先生でも多くは無いのではないだろうか?


「深冬先生。わざとやりましたね? 」


 驚いたのは一瞬だ。次の瞬間、いや、クラスメイトの声を聞いた瞬間にこれが罠であることに気が付いた。だが、時はすでに遅し。もう術中にはまっているのだから、抜け出すには深冬先生の言うことを黙って聞くに限る。


「わかりました! 降参です。お願いは聞くので、後でしっかりと誤解を解いてきてください」


 俺のこの言葉を待っていたかのように、頭を上げた深冬先生は満足げな表情で机の上に広がっているプリントに指を指しながら続けた。


「このプリントを七森さんのお家に届けてほしいのだけれど」

「へ? 」


 素っ頓狂な声が自分の口から飛び出してしまっていた。


 わざわざ俺にお願いする必要もないだろう。もっと、適任な人選があるはずだ。俺は目を細めて深冬先生を睨む。


「そんなに見つめられても困るのだけれど?」


 ダメだ。俺からの小さな攻撃など深冬先生には効果が無いみたい。俺の抗議の視線を好意の視線と勘違いされる程度には。


「それは、女子にお願いした方が良い内容じゃないですか?いきなり、男子が家に来たら気分良くないかもしれないですし」


 俺にしては理に適った言い訳を思いついたと心の中で自分を褒めてやっていると、その言葉は想定の範囲内だという余裕な表情のまま口を開いた。


「そうね。全く知らない人がやってきたら、少し考えてしまうかもしれないわね。ましてや、年頃の男の子が来た日には、人選をした人の正気を疑うかも……」

「でしょう!」




 完全に会話の流れが俺の方に傾いていると確信して、深冬先生の意見に勢いを付けて肯定する。内心はもう勝利に浮かれていた。そして、勝利の期待は一瞬で打ち砕かれることになる。


「でも、榊原君は昨日七森さんと一緒に下校していきましたよね?恐らくは、このクラスで一番七森さんと仲が良いと思うのだけれど」

「そ、それは……。罰ゲー……。いや、まぁ、昨日は一緒に帰りましたけど」

「罰?」

「何でも無いです」


 危なかった。危うく、七森さんが罰ゲームで俺と下校させられたと勘違いされるところであった。


 七森さんが俺に罰ゲームとして一緒に下校するようお願いした。なんて、説明したところで、信じてくれるのは光希ぐらいなものだろう。


 口が滑りかけて、慌てて止めたから、恐らくは聞こえてはいないだろう。深冬先生は俺の言動に首を傾げていたけれど、深く追求してくることはなかった。


「分かりましたと言いたいところなのですが、残念ながら、俺は七森さんの家の住所を知らないのでいけませんよ」


 家が俺のうちと近いことぐらいしか分からない。連絡先も知らない。だから、こればかりは諦めるしかない。


「ええ、安心して、ちゃんと、住所は教えるから大丈夫よ」


 そう言って、スーツの胸元のポケットから一枚のメモ紙を取り出して、俺に手渡してくれた。そこには堅苦しい文字で住所が記載されている。


「分かりましたけど、これをなぜ七森さんに?わざわざ、風邪を引いている人に持って行く必要はありますか?」


 数学のテストの過去問なんて、七森さんに必要ないと思うのだけれど。


 俺の質問には深冬先生も同じことを思っていたようで深く頷いていた。


「それは、私だってそう思いますけど、彼女からのお願いだからね。なんでも、数学だけは絶対に一位でいたいらしいわよ?できるだけ早くほしいって昨日言われたの。もし、今日を逃すと週を跨いでしまうから、榊原君にお願いしようと考えました」


 話を聞く限り、どうやらこのプリントは数学の一位の座を俺に譲らないための武器になるらしい。ということは、同時に次回のテストでも勝負を仕掛けられることを意味している。まぁ、恐らく七森さんはこの先も百点を連発するだろうから、俺の勝ち筋はもうないに等しい。


「分かりましたよ……。放課後に届けておきます」


 もう潔く受け入れてさっさと誤解を解いて貰わなければいけない。じゃないと俺に対する変なイメージが校内に拡散してしまう。


 プリントを受け取って鞄の中にしまう。そこまでを確認した深冬先生は「じゃあ、よろしくね」と一言だけ残して俺の前から去って行く。その足が向かう先は俺達の一部始終を見て変に勘ぐっていた生徒達の元だ。


 俺はそっちから目を背けて見ないふりをすることに決めていた。食べている途中だったチョココロネを口に放り込んで、外を眺める。照りつける太陽が外の暖かさを彷彿とさせる。その一方で、俺の居る教室の温度はガクッと下がっているように感じた。


「何でも首を突っ込もうとするから痛い目を見るんだ」


 あえて確認したりはしないが、叱られているのであろうクラスメイトに心の中で言葉を贈る。そんなこんなで、静かでひんやりとした昼休みは幕を閉じた。




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