第25話


 結局、寄り道は決行されている。俺の心配は杞憂に終わったらしい。七森さんの向かう先はどうやら、俺の家と同じ方向に位置しているらしい。


「どこに向かっているんだ?」


 この辺りは殆ど俺達が遊べるような場所は存在していない。七森さんがここを引っ越す前から大きく変わったりはしていないから、知らないはずはないけれど。


「私が昔よく行っていた場所だよ。秋博君は誘っても来てくれなかったけどね」


 俺が隣に追いついたところでチラリとこちらを見て苦笑いを零す。でも、その表情は落ち込んだりしているものではなく。俺に対しての小さな攻撃のようなものだった。


 あの頃の俺は絵を描くことしか頭になかったから、本当に誘いを断っていたのだろう。今思えば自分の行動がいかに極端かというのが分かる。「今以上に人付き合いというものが皆無だったから」なんて言い訳することも出来ないので、だだ、頭を下げることしか出来ない。


「ふふ、そんな真剣に謝らないでよ。私は秋博君があの後、絵を描いていたことを知っているから、何とも思っていないよ。自分の生活ややりたいことをちゃんと理解して優先出来ることは大切なことだよ。私には出来ないことだから、凄く尊敬しているんだよ」


 もしかしたら、それが七森さんを傷つけていたかもしれないと思って、一瞬にして不安感が溢れていたが、どうやら、そこまで気にしているわけではないようで安心した。詰まっていた息をゆっくりと吐き出す。


「あの頃の俺は、なんて言うんだろうか、前しか見えていなかったから。絵を描ければ、それだけで生きていけると思っていた。だから、人付き合いが壊滅的だった。まぁ、今も大差ないかもしれないけれど……」


 俺達の会話はこういう内容しかない。もっと軽い気持ちで話せる内容があれば良いのだが、あいにく俺は世間の話題に疎いものだから、話せることがない。こんなことなら、光希が話しているくだらない話に少しか耳を貸しておけば良かったと後悔していた。


 すると、突然辺りが少しだけ騒がしくなったように感じた。アスファルトのきらめきを追いながら歩いていた俺はその音の方へ顔を向ける。


「ここが寄り道したかった場所だよ。秋博君の家の近くにある公園だね。来たことはある?」


 人口は少ないど田舎だとしても、小さな公園の一カ所や二カ所は存在している。俺は利用する機会が残念ながら無かったが、近くにあるということを母さんから教えられていたことを今になって思い出した。


 子供達が少ない遊具を奪い合いながら遊んでいる様子が伝わってくる。ブランコだとか滑り台だとかで遊んでいるみたいで、見ている分には微笑ましい光景だ。


 自分が小学生の時にあの輪の中にいたと考えてたら、背筋も凍ってしまいそうだが。


「いいや、小学生の俺には絶対に入ることができない場所だったと思う。ベンチで座って絵を描くくらいしかないからな。わざわざ、人が多いこっち側には来たことがなかった。昔はよく河川敷に行っていて、一人で絵を描いていたよ」


 子供達しかいない空間に入っていくのは少し抵抗を感じたけれど、何にも気にしていない様子の七森さんは普通に歩いて行く。その後に続くように、初めて公園というフィールドに足を踏み入れた。


「遊具はあいていないみたいだね。仕方が無いから、あそこのベンチでゆっくりしようよ」


 数種類の遊具と申し訳程度に設置されたベンチしかない小さな公園。それでも、子供達にとっては自由に遊ぶことの出来る楽園のような場所。そこに現れた俺達が彼らを邪魔して良いはずがない。七森さんは遊具があいていないことを本気で落ち込んでいたが、俺は内心ホッとしていた。


 さすがに、制服姿で遊具を使用して動き回られると、近くで見ている俺の目のやり場に困ってしまう。ジャングルジムとかを楽しそうに遊ぶ姿は、運動が好きなことも合わせて、想像することは容易だ。


「俺は運動が得意じゃないから、遊具があいていなくて安心したよ。ここでも、七森さんに悲惨な姿を晒さなくてすんだ」


 ベンチに並んで腰を下ろす。二人が座ることを想定して作られているのか。丁度よい距離感で座ることが出来た。子供の楽しそうに遊ぶ姿を眺めながら、お互いに言葉を交わすことなく、時の流れるのを感じている。


 俺はどうにもこの静寂が得意ではないみたいだ。昔であれば、気まずいなんて感情を抱いたことすらなかったのに、今は隣に座る七森さんが両手の指で手持ち無沙汰を表していることに気が付いてしまう。


 落ち着き無く両手の指を絡ませている七森さんに俺は一番気になっていたことを問いかける。


「寄り道にここを選んだのには理由があるの?」


 七森さんはピタリと指を動かすのをやめる。


「最近運動していないから、ちょっとだけ体を動かそうかなと思ったの。後は、秋博君はここに来たことがないだろうから、連れてきてあげようと思ったからかな」

「へぇ、七森さんは昔は運動で右に出る人は居ないくらい凄かったから、なにかしら続けているのかと思っていた」

「秋博君が絵を描いていないように、私もあの頃とは色々変わっちゃったみたい」


 自分の手を見つめながら話す声は酷く弱々しい声だ。強い風が吹いたら吹き飛ばされて聞こえなくなってしまうぐらいに。でも、俺はすぐ隣に座っている。聞き逃すはずがない。表情を伺うにあまり触れられたくはなかったことなのだろう。


「なんか……。ごめん」


 俺が謝ると顔を勢いよく上げて目を見開いた。まるで、魔法でも目撃してしまったかのように、驚きを表現している。


「嘘。秋博君が自分から察して謝ったの?」


 その言葉に頭を押さえて、大きくため息を吐くことしか出来なかった。俺の人間性の評価はどこまで落ちているのか。確かめなくてはいけないかもしれない。


 俺だって、中・高とこの険しい学生という役割を務めてきている。最低限の人付き合いの方法は失敗を繰り返しながら学んでいる。


 そして、俺のように孤立していると謝罪することに関しては、プロの領域に至っていると思う。相手が不機嫌になる前に謝って、その場から逃げ出すのが一番安全で、面倒事が少ないからだ。


 ただ、小学生の頃は、周りなんて見えていなかったから、雰囲気がよくないときでも、気にせずにいたような気がする。


 それにしても、俺への認識が小学校の時から変わっていないのは、どうかと思う。


「俺は最低限のことなら人のことだって考えるよ。厄介事に巻き込まれないように身につけた処世術ってやつだな。だから、そんなことでいちいち驚かないでくれよ。寿命が縮まるぞ」


 頭を押さえていた手を下ろして、自分が人間として成長していることをアピールする。必死に伝えると七森さんは小さく微笑みを零した。


「そうなんだよね。秋博君もあの頃とは違うんだよね。でも、その変化を知って寿命が縮むなら、それでも良いかもしれないなぁ」

「え?」

「なーんてね。嘘だよ。私だってまだやり残していることがあるんだから、寿命はあげられないよ」


 あまりにも、七森さんの言葉が重苦しく感じた物だから、また触れてほしくないことを口走ってしまったかとも思ったが、どうやら違ったらしい。その態度によって俺の寿命が縮まりそうになった。


 その冗談の後はどうにも会話が続けられず、ただただ、子供達の遊んでいる様子を眺めているだけ。


 端から見たら俺達はどのように映っているのだろうか。


 一つのベンチに並んで座っているのにも関わらず、互いに口を開かずにボンヤリとしている友達。それとも……。恋人?


 一人でそんなことを思ったら、急激に顔が熱くなり、俺は頭を左右に振って、雑念を吹き飛ばす。


「どうしたの?」


 七森さんは俺の奇行に不思議そうに首を傾げる。今までは意識をしないようにしていたのに、一度考えてしまうとそう簡単には切り替えることは出来ない。上ずった声で返事をするのが精一杯だった。


「な、何でもない」

「そっか、それなら良いの。ねぇ、秋博君、あのブランコの近くにいる子を見てみて」


 七森さんは俺が今の状況に少し気が動転していることを理解したのだろう。それでも、あまり気にすることはなく。ブランコの辺りを指さしていた。


 そこにいたのは一人の少年だ。誰かと一緒に遊んでいる様子ではなく。手に持ったシャボン玉用の輪っかにシャボン液を浸して、力強く息を吹きかけている。


 シャボン玉で遊ぶのは、初めてなのだろう。息の力が強すぎて、シャボン玉は一つも出来上がらない。上手くいかないことに少し腹を立てた素振りを見せながらも、少年は何度も挑戦を続けている。


「シャボン玉をしているな。上手くは出来ていないようだけれど。七森さんもシャボン玉で遊びたいの?」


 何故、俺にシャボン玉をしている少年を見せようとしたのか。その意図は掴めない。遊びたいと言われても、生憎シャボン玉の道具を持ち歩いているはずがない。どうしたものか……。


 七森さんはその少年から視線を外しては居なかった。


「シャボン玉を今遊びたくて言ったわけじゃないよ。でも、言われてみると遊びたい気持ちが出てきたから、いつかシャボン玉をしようね。約束」

「え、まぁ、シャボン玉の道具ならすぐ手に入るだろうから。それで、理由は?」

「もう少しだけ見ていてあげて」


 優しく少年を見守る七森さんに合わせるようにして、視線を再び戻す。


 未だに一回も上手くいかない少年は悔しさのあまり唇を噛みしめていた。それはもう今にも泣き出してしまいそうな表情だ。それでも投げ出さないで、少年は息を吹きかける。何度も……。何度も……。


 だけど、やはり、うまくいかないみたいだ。少年の目には悔しさのあまり涙が浮かび上がっているように見える。小さくしゃくり上げて嗚咽混じりの息が少年の口から溢れた。


 弱々しいその息はシャボン玉を一つ作り出すには最適な物だった。少年の悔しさをバネに一つの透明な球体が宙を泳ぐ。


 そのシャボン玉は数秒間少年の近くを泳いだ後に、当たり前のように弾けて無くなる。そう永遠のシャボン玉なんて存在はしない。どれだけ努力したって、その過程など気にせずに消えて無くなる残酷な存在。


「うまく出来たみたいだね。よかった」


 息をのんで見つめていた七森さんは少年から視線を外して、安心したように息を吐いた。


「そうみたいだね。でも、そんなに気になるなら、コツを教えてあげれば良かったんじゃないか?」


 俺は途中からずっとそう考えていた。上手くいかない原因は明らかだった。遠目から見ているだけではなく。少年に声を掛けて優しく息を吹きかけることを教えてあげるだけで、少年はあんなに悔しい思いをしないでシャボン玉を楽しむことが出来たはずだ。俺には見知らぬ少年に声を掛けられるような力は無いけれど。


 一回の成功により少年はコツを掴んだようで、数多くのシャボン玉を作り出しては目を輝かせている。そして、綺麗なシャボン玉に周りで遊んでいた子供達まで集まって、ちょっとした騒ぎになっていた。その光景を見ている七森さんはゆっくりと話す。



「そうだね。教えてあげたら、きっと、すぐにシャボン玉は出来ていたと思うよ。でもね、私達は見たでしょう。初めて一つのシャボン玉を完成させたときの顔を」


 七森さんの行動が全て腑に落ちたように感じた。少年が自分で初めて作り出したシャボン玉を見た瞬間の顔は、人の顔や名前を覚えるのがあまり得意ではない俺でも、忘れることも出来ないぐらい強く焼き付いている。


 失敗しても諦めないで頑張っている姿を知っているから、強く印象に残っているんだと思う。涙を流しながら、顔をくしゃっとゆがめた満面の笑み。


「確かに、努力したからこそ、少年はあんなに良い顔が出来たのか。何でも教えてあげることが正しいわけじゃないんだな。難しいな……」

「別に、そんなに難しく考える必要は無いよ?だって、もし、あれ以上上手くいかないようだったら、私が丁寧に教えてあげるつもりだったから。タイミングを見て少年にとって一番経験値を得られるように見守っていただけ」


 当たり前のように説明をしてくれる七森さんだが、俺には難しいことを簡単にできると言っている。やはり、昔と変わらずにしっかりとした社交性をもっているのだと思い知らされた。


「やっぱり。七森さんは俺と違ってしっかりしているね。俺ならまず、声を掛けることを躊躇する」


 素直にその時に感じた言葉を並べると七森さんは少し困ったような顔をする。


「別に私のことを伝えたいわけじゃなくてさ。秋博君がこの間に言っていたじゃない『小学生の頃の夢はシャボン玉と一緒だ』って」


 確かに再会した日にそのことを七森さんにも伝えていた。久しぶりに話をした相手にたいしてなんてことを言っていたんだろうか。言葉を取り消すことは出来ないから頷いて返す。


「私もその言葉には最初は驚いたんだけどね。ちゃんと、自分でも考えてみると、私も納得することが出来たよ。夢っていうのはシャボン玉みたいに儚いけれど、綺麗で人を引きつけることが出来るものだもん」


 どこか自慢げに意見を伝えてくる七森さん。どうやら、根本的に考え方が違うみたいだ。


 俺はこの言葉を自分に対する嫌みとして使っている。すぐに消えて無二か得るものだと考えているから、あんなふうに冷たい言い方しかすることが出来ないんだ。


「そうかもしれないね。そういう考え方もあると思う」

「そうでしょう?その側面もあることを知ってもらえたら良いなと思って、少年を見てもらったの。あの子が作り上げたシャボン玉によって、今は沢山の人達がいるでしょう。夢がシャボン玉ならああやって、多くの人を魅了出来るんだから、素晴らしいね」


 確かに、少年の周りには多くの同世代の子供達が集まっている。ボンヤリと眺めている男の子。目を輝かせてシャボン玉を捕まえようとする女の子。反応の仕方は十人十色でなかなか面白いものだった。


 何も言い出せないまま俺は少年達を見ていることしかできなかった。七森さんの言葉を否定して言い返すことは難しいことではない。


 だけれど、夢のあり方は人それぞれだ。俺が自分の意見をこれ以上強く押しつけることは、正しいことじゃないと思って何も言えずにいたのだ。


「寄り道もここら辺にしてそろそろ帰ろうか?」


 隣に座っていた七森さんはその言葉と共にベンチから勢いよく立ち上がる。立ち上がってからくるりと体をターンさせて、俺の方を見つめてくる。曇りのない純粋な瞳に引き寄せられるように俺も立ち上がっていた。


 春と夏の狭間のような時期。時計はもう五時を回っているけれど、日は長いためあまり時間の経過に気が付くことが出来なかったみたいだ。


 こうして勝負に負けた俺の罰とも言えない罰ゲームが終了した。





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