第22話
スラスラと紙の上に計算式を記述して、答えを導く。さほど難しい問題は存在しないみたいだ。手を止めることなく問題を解く。
『なんだ、簡単だな』
内心そんなことを言いながら次々と問題を解いた。このペースで進んでいくと、見直しをする時間を含めても、テスト時間を大幅に残して終了してしまいそうだ。
そんな余裕を見せて迎えた最終問題。
このテストで初めて手が止まる瞬間が訪れた。
『2-Aクラスの担任である深冬先生の好きな色は何色だ?四つの選択肢から答えろ』
『1. 赤 2.黒 三.青 四.白』
意味が理解出来ない。何度読み返しても、問題は変わることはなく。ヒントが転がっている様子もない。
まさか、あの真面目気質の深冬先生がこんなふざけたような問題を作ってくるなんて想定はしていない。それは校長先生も驚くはずだよ。この問題で校長が何故了承したのだろうか。
この難題を前にして、もう5分ほど手は止まっている。公式に当てはめることが出来ない問題は嫌いだ。ヒントもないのでは、もう感で答えるしかないのか……。自分の感に一点を託すことに強い抵抗があった。
何か考えろ。目を瞑ってひたすら脳をフル回転させて、いろいろな理由付けをしていく。
深冬先生のイメージはクールで落ち着いていることだ。そのイメージから浮かび上がってくるのは、やはり、黒だ。いつも、黒いスーツを着ているし、髪の毛の色も黒だ。もうこれしかない!
パッと目を開けると時計の針はもう終わりの時刻を知らせようとしていた。悩んでいる暇はもうない。何も書かなければ、絶対にバツになる。それなら書かなければいけない!
滑り込むように回答欄に記入すると、その瞬間に終わりを告げる合図があった。
「そこまで!」
ギリギリセーフだった。心臓がバクバクいっている。呼吸をすることを忘れてしまっていた。最後の問題の解答を記入するのに、時間を全て使い切ってしまったため、他の問題を見直す時間すら取ることが出来ないままだ。間違えていることはないはずだけれど、少し心配にはなる。
たった一教科が終わっただけにも関わらず、教室の空気は幾分か良くなったように思える。一番の鬼門と言われる数学が終わったことが大きい要因だろう。
俺は全くと言って良いほど嬉しくはない。もう他の教科とかどうでも良いから今すぐ帰りたい気分だった。机の上に突っ伏して大きくため息をつく。
「秋博君は数学の最終問題を回答出来た?」
隣にいる七森さんはあの問題にも一切動揺しなかったようで、何事もなかったかのような態度だ。
「もちろん、記述はするよ。しないと点数がもらえないんだから」
今回の最終問題を自信満々で回答出来た生徒は恐らくいないのではないだろうか。深冬先生は自分からプライベートを話すタイプの人ではない。好きな色でさえ簡単に知ることは出来ない情報だ。
「秋博君も感で答えたんだね。深冬先生と関わりが少ない私にとっては、厳しい問題だったんだ。秋博君も知らないなら安心」
七森さんは安堵の息を零している。確かにこの学校に来たばかりの人に対してこの問題を出すのはなかなかの鬼の所業だと思う。
みんなも知らない情報だから、ある意味では全員がイーブンではあるけど。
「七森さんは答えどれにしたの?」
突っ伏したまま問いかけていた。この勝負の鍵を握っているのは、あの最終問題だ。同じ回答をしていれば、引き分けになる可能性も期待出来るが、違う回答を選んでいると勝者と敗者が生まれる。昨日までは、負けるなんて微塵も思っていなかったが、テストが終わった今。全くと言っていいほど自信が無かった。
「私だけいうのは不公平。秋博君はどれにしたの?」
確かに一方的に聞くのは不公平だ。聞いてから自分でもそう思う。七森さんの質問に先に答えることにした。
「俺は黒にした。テスト時間の半分ぐらいを考える時間に充てたけれど、結果的には分からなくて感で選んだ。だから、今朝の言葉は撤回だね。もしかしたら、負ける可能性も生まれたよ」
「そうなんだ。私は白を選んだから、引き分けじゃない可能性も生まれたね。ちなみに、私は深冬先生の名前をヒントにしてみた。そのぐらいしか、判断出来る材料がなかったから……」
七森さんは少し笑いながら、話をしてくれていた。俺はその理由を聞いた瞬間に体を起こして、七森さんの方を向いた。
「それだ……」
自分の中でも、その理由が一番しっくりくる物だったと思う。俺が思いついたこじつけなど全くしっくりこなかったのに、七森さんの意見には明確な理由があった。
きっと深冬先生の情報が少なければ少ないほど行き着きやすい答えの問題にしていたのだろう。
「俺達はもう深冬先生のイメージが出来上がってしまっているから、黒を選んでいる生徒も多いと思うよ。俺はもう一ミリも勝つ自信がなくなったよ」
大きくため息をついて再び机に体を預ける。べつに七森さんのお願いを聞くことが嫌なわけではない。むしろ、俺なんかで叶えることが出来るならば、勝負なんてしなくたって聞いていただろう。
勝負に負けることが嫌なんだと思う。数学だけなら、周りよりも優れているという事実がなんだか嬉しかった。絵を描くことをしなくなって、唯一の得意なことでこうもあっさりと負けてしまうことが悔しいことなんだ。
「まぁ、最終問題以外にも問題があるから、勝負の行方は分からないよ」
確かに一理ある意見だ。俺は最終問題以外を完璧に回答した。見直しをする時間は無かったが恐らく問題は無いが……。相手が七森さんだから、正直残された勝ち筋はほぼ残されていないように感じる。
「七森さん、今回のテストの問題どうだった?前の学校と比べて」
「それを聞く?」
いつまでも突っ伏していると睡魔に襲われそうだったので、体を起こして問いかけていた。
困ったように腕を組んで考えているようだ。そんなに難しいことを聞いてしまっただろうかと思いつつ答えが出るのを待つ。
「正直に言った方が良いかな?」
腕を組むのをやめたかと思うと、質問に質問で返してきた。深く頷くと七森さんは顔を俺の耳元に近づけて、小さい声でささやいた。
「滅茶苦茶簡単でした」
勝ち誇ったような顔をしている七森さんを確認することは出来たが、正直それどころではなかった。耳元に感じた七森さんの温もりが、心臓の音を早まらせる。ドキドキと音を立てる心音を認識すると、急激に顔が熱を持ってしまった。
再び机に突っ伏すことになった。先程までよりも深く。顔が赤いことを認識されないように。
「どうしたの?秋博君」
「負けを確信してショックを受けただけだよ」
心配する声には何とか返事をしてその場をやり過ごした。
それにしても思い返すと、さっきの七森さんの行動には本当に驚かされる。あれだけ顔が近くに来ていたことにやっぱり恥ずかしさが湧き上がる。
テストの勝負のことなんて一撃で吹き飛ばした行動。七森さんは何とも感じていないようだったが、俺のこの後のテストには大きく影響を及ぼした。
そして後日。テストが返却された俺は大きく項垂れながらテストの点数を伝えることになってしまった。
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