第18話


 次に目を覚ましたのは、冬休み二日目のことだった。重たい瞼をゆっくりと持ち上げると視界に映ったのは、真っ白な天井と真っ白な壁。清潔感しかないこの部屋は病室だということを理解するのには、さほど時間が掛からなかった。


「何で僕はこんなところにいるんだ」


 まだ少し痛む頭を押さえて、記憶を辿る。僕は夏花ちゃんに最後のプレゼントを渡すために家を出たはずだ。その後は……。


「嘘だ……。そんな……」


 なぜ、こんなところで目を覚ましたのか。僕はあの日どうなったのかを全て理解してしまった。同時に涙が勝手にポツリポツリと零れていく。約束を守ることが出来なかったことへの悔しさと、最後に夏花ちゃんと言葉を交わすことが出来なかったことへの悲しさがグチャグチャかき混ぜられて、涙となって止めどなく流れる。


「秋博……?」


 僕は病室のドアが開いた音にも気がつけないまま泣いていた。そして、僕の名前を呼んだお母さんの声で我に返る。僕は普段感情を表に出すことはしない。悲しいときも苦しいときも我慢を貫いてきた。


 だから、お母さんの前で泣いたのなんて、小学校に入学する前が最後だった。それもあって、お母さんは凄く驚いていた。僕も必死に涙を止めようと頑張った。


「秋博……。体調はどう?辛いところはないかい?」


 病室に置いてあった椅子をベッドの横に置いて、そこに腰を下ろしたお母さんは僕に問いかけてくる。


「……。大丈夫」


 泣きすぎて少しかすれた声でなんとか返事をする。体を起こして、もう体調には問題ないこともアピールしておく。僕が何故泣いていたのかをお母さんは深く追求してくることはなかった。その後は、僕がどうして病院のベッドに寝ていたのかを教えてくれる。お母さんは少ししてからやって来たお医者さんとお話をしに行ったため僕はまた一人になってしまった。


 お母さんの話を聞くと僕はどうやら、絵を完成させたあの日、家の玄関を開けたところで、意識を失ったらしい。お医者さんが言うには、疲労の蓄積による物だから、ゆっくり休めばすぐに良くなるみたいだ。実際、今はもう体に異常は無く、普通に動くことが出来そうだ。


「約束を守れなかった……。ごめんなさい……。夏花ちゃん」


 誰もいない病室で再び一人、後悔に押しつぶされて涙を流した。


  

 僕の冬休みは病院からスタートを切ったけれど、病院からはすぐに解放された。


 別に大きな病気を患っていたわけでもなかったから、目が覚めたら、すぐにでも退院して良いと言われていたらしい。だけど、お母さんは一日だけ様子を見た方が良いと思うとお医者さんに掛け合った結果、一日だけ余分に入院生活を送った。お母さんは翌日に迎えに来るからと、言葉を残して病室を後にした。


 きっと僕に気を遣ってくれたのだと思う。近くに人が居ると僕は涙を流すことが出来ないことを知っているから。


 入院生活はずっと涙を流している間に終了していた。


 家の雰囲気がやっぱり一番自分に合っている。そんな風に感じながら、自分の勉強机の椅子に腰を下ろす。机の上はあの日の朝のまま残されていた。


 机の上には広げたままにしていた色鉛筆と夏花ちゃんから貰ったヘアピンが置いてある。その横には、僕があの日完成させた絵が描いてあるスケッチブックと見覚えのない紙の束が置かれている。


 パラパラとページをめくって中を確認すると、どうやら冬休みの宿題のようだ。最終日に登校しなかったから、もしかしたら、宿題をやらなくても良いかもしれない。そんな甘い考えが頭の隅っこに存在していたけれど、全部吹っ飛んでいった。


 正直勉強はあまり得意でもないから、紙の束を見ただけで気が遠くなるし、問題を見たら、また倒れるのではないかと思いながらページを捲る。


 最後の1ページを開くとピンク色の付箋が付いているのが目に止まった。


「先生からの伝言かな」


 先生にも挨拶出来ずに冬休みに入ったのだから、先生が堅苦しい字で『お大事に、無理せず、ゆっくり宿題をやってください』と書かれているんだろうと思っていた。でも、そこに書いてあったのは堅苦しいメッセージではなく。夏花ちゃんから僕に向けられた最後の言葉だった。


『またいつか、会えることを信じているから!!!」


 丸っこい文字で書かれているメッセージにまた涙が零れそうになる。きっと、これを書いた夏花ちゃんは僕に幻滅していたことだろう。約束一つも守ることが出来なかった僕に。


 でも、夏花ちゃんはもう引っ越してしまっている。連絡先を知らないから、謝ることも出来ない。この消えることのない後悔は一生僕の中に残り続けることになる。


 机の上に置かれている色鉛筆の缶ケースに全てをしまうことにした。夏花ちゃんから貰ったヘアピンとピンク色の付箋も一緒に全てを一ヶ所にまとめて、勉強机の引き出しに滑り込ませる。


 当分絵を描く気分にはなれそうではなかった。だから、全てを一度しまい込んで目を背けることを選んだ。そして、いつもなら長期休暇が終わるギリギリまで残っている宿題に手を付ける。いろいろなことから目を背けるのには目の前の紙の束は凄く役に立ってくれた。


 冬休みはあっという間に過ぎ去っていく。自分でも、気がおかしくなったのかと思うほど、勉強ばかりしていた。雪が降り積もる中、外に行って遊ぼうとは思えないし、絵を描く気持ちにもなれなかったから、絵を描くことに使っていた時間を全て勉強に使用したんだ。


 おかげで、宿題は一週間も掛からないで全て終了して、復習と予習に励んだ。その甲斐もあって、次のテストには、これまでにないぐらいの自信があった。


 引き出しにしまった夏花ちゃんとの思い出が詰まったもの達はあれから一度も触れていない。




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