第17話


 何度描いても納得出来る物は描けないでいた。プレゼントを貰った日から二週間が経過していて、僕に残された時間もそう多くは無いことを表しているカレンダーに目をやる。


「あと一週間しかない……。頑張らないと」


 冬休み最後の登校日まで、あと一週間。夏花ちゃんに会えるのもその日が最後だから、絶対に間に合わせなくてはいけない。


 あの日から、僕は夏花ちゃんと休み時間には話をするようになった。放課後はそれぞれの用事があるから一緒に過ごすことはなく。僕は大急ぎで家に帰ってはスケッチブックに向き合うような生活を送っている。


 夏花ちゃんの転校が発表されてからは、クラスメイト達が必要以上にミスを笑ったりすることがなくなり、穏やかな時間が流れている。


 僕は上手くいかない自分の絵に苛立ちと焦りを覚えながら、これまででは考えられないくらいの時間。絵を描いて過ごしている。夜は日を跨いでも手を止めることはしないで、深夜二時頃に意識を失うように眠りにつく。机に凭れるようにして、眠っていたはずだけど、朝、気が付くとベッドの上にしっかりと布団を掛けられていたときは驚いた。そして、同時に僕をベッドに移してくれたお母さんに感謝をした。


 僕の不摂生極まりない生活リズムに最初はお母さんも酷く怒っていた。普段の僕であれば怒られたら、すぐに自分の意志を閉ざして、言われるがままにしていたけれど、この時ばかりは自分の意志を折るわけにはいかない。


「この絵が完成するまでは許してください!」


 親に意見をするのは涙が出そうになるほど恐い。でも、意を決して、初めて強く自分の意志をぶつけた。声は震えていたけれど、僕に出来る精一杯の力で。


 それを聞いたときのお母さんは何故か笑っていた。絶対に怒られると思っていたから、覚悟していたけれど、お母さんは僕を叱ることはなく。頭を撫でてくれた。


「秋博がそこまで言うなら、お母さんも応援するよ。だから、しっかり描き上げなさいよ」


 そう言い残して僕の部屋から出て行った。


 お母さんとも約束したんだから、しっかり描き上げないといけない。深夜静まりかえった部屋で一人自分に言い聞かせる。



 残り6日……。5日……。4日……。3日……。2日……。


 あっという間に時は流れた。自分でも驚いてしまうくらい無理をしている。ここ一週間は睡眠時間が3時間程度で朝日が昇りかけたときにベッドに入って、7時半に目覚まし時計で起きるような生活を送った。


 そして、もうタイムリミットは目前まで近づいてきている。もう時計の針は午前5時を指していた。カーテンの向こうでは一日の始まりを告げる朝日が顔を出し始めている。


「もう少し……だ」


 正直、意識を保っていることも限界な状態だったが、僕は手に握っている色鉛筆に更に力を込める。自分の意識が飛びそうになると、首を振って意識を呼び起こす。そんなことを繰り返し、僕の手はピタリと動きを止める。


「で、出来た……」


 両手で描き上げた絵を持ち上げて、全体を確認する。僕が描いたのは綺麗な花を両手に持った夏花ちゃんの絵だ。黒色の長い髪は風に靡いていて、手に持った花にも負けない美しい笑顔を浮かべている。


 以前、僕に花の絵をお願いしてきたとき夏花ちゃんは一輪の花を大切そうに抱えていた。その時の姿が僕の頭には強く焼き付いていた。だから、それを絵にすることが出来た。


 自分でも驚くぐらい上手く描くことが出来たと思う。だから、自信を持ってプレゼントすることが出来そうだ。


 大きくため込んでいた息を吐く。生まれて初めて徹夜をしてしまった。時計の針は7時を指していて、これから眠るにはもう時間が無い。絵を描いている間は集中していたから、あまり気が付かなかったけれど、少し頭が痛む。更に言えば、体も鉛のように重く、上手く言うことを聞いてくれない。


「行かないと……」


 ベッドに入った瞬間に意識を手放すことが出来るぐらいに体は睡眠を欲している。それでも、今日だけは行かなければいけない。そのために今日まで無理を重ねてきたのだから。


「おはよう。秋博」


 お母さんの声に僕は何とか返事をする。声を出すことも辛いぐらいに疲弊していたけれど、どうにか朝食を取ってから、学校に向かう準備をした。


「秋博?顔色が悪いよ。大丈夫かい?」


 全ての準備を終えたところで、お母さんから声を掛けられた。正直に言えば大丈夫ではない。ズキズキと頭に響く痛みは少しずつ大きくなっているように感じるし、瞼は滅茶苦茶重たい。


「大丈夫だよ」


 心配させないように小さく笑顔を見せて答える。そして、僕は家を出るために玄関へ向かった。


 慣れた手つきで靴を履いて、玄関のドアに手をかけて力を込める。ドアは簡単に開き、キラリと光る朝日が目に入る。それがいつも以上に白く眩しく感じた。それがその日の最後の記憶。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る