第14話

 突然の別れの知らせはそれから二ヶ月後に訪れた。


 12月に入って冬が到来した。寒いから外で絵を描けないのっで、僕は冬を好きになれない。雪は綺麗だと思うけれど、毎日見たい物でもないから、やっぱり冬は嫌いだ。


 それでも学校には行かなければいけないから、毎日寒い思いをしながら登校はする。教室内はいつもと変わりない日常が流れている。ゲームの話やテレビ番組の話で各々がグループを作って話に明け暮れているみたいだ。僕はどこのグループにも属してはいないので、一人で席に着いて担任の先生の到着を待っていた。


 あれから、夏花ちゃんの状況は好転することはなく。むしろ少しずつ悪化の一歩を辿っているようだった。一つのミスで夏花ちゃんを嘲笑する人数が着実に増えていた。


 そのことが分かっても僕に出来ることなんて何も思いつかないから、ただ、指を咥えて夏花ちゃんが辛い思いをしているのを見ていることしか出来なかった。このままでは、良くないことは分かっていて「僕も夏花ちゃんのために何かしてあげたい」そう思ってはいたが、全てはもう手遅れだったらしい。


 今朝のホームルームは普段とは違う空気を孕んでいて、担任の先生は少しだけ悲しそうな声音で話を始めた。


「みんなには、悲しいお知らせがあります。七森夏花さんがご両親のお仕事の都合で転校することになりました。冬休み明けからは新しい学校に通うことになっているので、一緒に過ごせる時間は一ヶ月しかありません。楽しい思い出を沢山残しましょう」


 教室内はざわめいた。ガヤガヤとクラスメイト達が話しているのが遠くで聞くことが出来る。


「転校……」


 僕は意味を理解するのに酷く苦しむ。いや、意味はすぐに理解出来てはいたが、その現実を受け入れることが出来ないでいた。これまでにだって、クラスメイトは何人か転校したことがあるけれど、周りのことなんてあまり気にしていない僕だったから、寂しいなんて感じたこともなかった。


 今僕の心は大きく揺さぶられていた。夏花ちゃんがいなくなったら……。僕にとって唯一仲が良いと言える人が居なくなってしまったら、僕はどうしたら良いか分からなかった。今すぐ夏花ちゃんに問いかけたかった。


『いなくなるなんて嘘だよね?』


 この朝のホームルームはテレビのドッキリで、僕が問いかけたら夏花ちゃんは段ボールか何かで作られた手作り感満載の看板を取り出して、笑顔を向けてくれるはずだ。きっと待っているはずだ。この空気感をひっくり返すタイミングを……。


 そう思考を巡らせて僕は少し離れているところに座っている夏花ちゃんの顔を見た。


「嘘だよね……」


 僕が小さく零す言葉を不思議に感じたのだろう。隣に座っている名前も知らない女の子は首を傾げていた。


 その声が零れてしまった原因は夏花ちゃんの表情にあった。


 僕は夏花ちゃんが頑張っている姿は何度も見てきたし、緊張感と戦っている姿も知っている。でも、今の僕に見える夏花ちゃんの姿はこれまで見てきたどの表情とも違う物だ。


 頬を伝う透明な滴が夏花ちゃんの柔らかそうな頬を濡らしていて、キラリと輝いている。その滴は止まることもなく次から次へと落ちて行っている。


 僕は夏花ちゃんの泣いている姿を一度も見たことがなかった。だから、分かってしまった。先生が告げた知らせはドッキリでもなければ、夢でもなく。紛れもない真実であると。


 ホームルームは終了して、何事もなかったかのように1時間目の授業が開始された。クラスの雰囲気はもう普段通りに戻っている。僕だけだろうか。気持ちの整理が一つも付いていないのは、先生が話す授業の内容もどこか遠くに感じてしまっている。


 周りのクラスメイトが算数の問題と格闘している間も、僕の手は動いてくれない。力強く手を握り締めて、それを膝の上に置いていた。こうでもしていないと僕も我慢が出来なかった。今にも決壊してしまいそうな感情を抑えるために。


「これで1時間目の授業を終わります!」


 日直の男の子の声で僕は我に返る。全く授業を聞いていないうちに1時間目の授業が終わりを迎えた。休み時間が10分間与えられるが席から立ち上がる気力が僕には無くて、机に腕を組んでそこに頭を乗せてうずくまっていた。


 僕の席の前に誰かがいる気配を感じるが、どうせ僕に用があって声を掛ける人なんて居ないから、そのままうずくまっていた。


「アキ君。顔を上げてよ」


 声が聞こえた。一番聞きたかった人の声。その音に僕はゆっくりと顔を上げる。


 目の前に映ったのは、机の前で屈んで机の上の高さに丁度顔が映るようにしている夏花ちゃんだ。


 いつもより顔が近くに見えて心臓の脈打つ速度は一瞬にして上昇している。バクバクと耳に届く心音がうるさかった。


「アキ君。やっと顔を上げてくれたね。近づいたら気が付いてくれると思っていたんだけど、全然顔を上げてくれないしさ。休み時間が終わったら困るから声を掛けちゃったよ。ちゃんと、気が付いてほしいなぁ~」


 いつもと変わらない夏花ちゃんの元気な話し声が僕に向けられたのは、凄く久しぶりのことだ。夏休み明けからめっきり話す機会が無くなったから、約四ヶ月ぶりに夏花ちゃんは僕のことを呼んでくれた。もちろん、凄く嬉しいことだけど、素直に喜んでばかりはいられない。確かめないといけないことがいっぱいあるから。


「夏花ちゃん!転校するなんて嘘だよね!?」


 僕は自分でも驚いてしまうぐらいの声で問いかけていた。笑顔で嘘だよって言ってくれたら、素直に話し掛けてくれたことだけを喜ぶことが出来たのに、夏花ちゃんは表情を濁らせて首を横に振る。


「ごめんね。アキ君。それは嘘じゃない。そのことで、話したいことがあるから……。良かったら今日の放課後にさ。図書館に来てくれないかな……?」


 今すぐにでも話してほしいと思ったけれど、僕らにはそんなに悠長に話している時間は無かった。もう少しで2時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り響こうとしているからだ。


「私。アキ君が来てくれるのを待っているからね」


 僕は返事を出来ずにいた。まだ転校という事実を受け入れられないでいる。チャイムが鳴る寸前で夏花ちゃんは僕にその言葉を言い残して席に戻っていった。


 その姿を目で追うと、離れていく夏花ちゃんの姿が、転校してもう会えなくなるという現実と重なって、どうしようもないくらいに寂しさが込み上げてくる。

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