第12話

「アキ君、今度は金魚の絵を描いてほしい!」


 僕のことを『アキ君』と親しみを込めて呼んでくれるのは、たった一人のだけだ。その子はいつも元気いっぱいで周りの子と仲良く話をしている女の子。僕とは正反対でクラスの中心になっている。


 勉強も運動も完璧にこなしてしまう女の子は小学二年生の時から奇跡的に同じクラスだったから、こうやって仲良くしてくれている。僕にとっての憧れであり好きな人だ。


 目指す夢を笑顔で応援して、落ち込んだときは励ましてくれる。そして、何より僕が描く絵を好きだと言ってくれた人物。


 世界から逃げるために絵を描いていた僕に絵を描く理由を与えてくれたのが夏花ちゃんだから、絵を描くことで少しでもお返しをしたいと思うようになって、リクエストに応えて、絵を描いてプレゼントをしている。


「うん。分かった。今度は金魚を描いてみるね。あんまり上手くは描けないと思うけれど」


 僕の机の前に立っている夏花ちゃんは小さくガッツポーズをして喜んでくれている。だから、次の日からは金魚の絵をクラスで誰よりも早く教室に向かって描き続けた。


 僕の絵は決して上手くはない。小学二年生から殆ど毎日描き続けているけれど、夏花ちゃん以外の人が僕の夢を応援してくれることはなかった。お母さんも勉強もしっかりしなさいとしか言ってくれないし、クラスの男の子達は絵を描いている僕を指さして笑ってくるほどだ。


 だから、休み時間に絵を描いていると他の生徒に馬鹿にされたり、邪魔されたりしてしまうため、誰もいない朝の教室で絵を描いている。そんな風に描いているものだから、一枚の絵を描き上げるのにも、それなりの日数が掛かってしまう。


 夏花ちゃんのリクエストを受けてから二週間が経過した。


 夏の暑さが額に汗を浮かばせる。目の前の水槽の中にいる金魚は気持ちよさそうに水の中に生きている。


 僕の手には青色の色鉛筆が握られていて忙しなく動く。果たして、描くA4用紙の厚紙の世界に生み出され、生きている金魚は優雅に水槽を生きる金魚に近づけることが出来ているのだろうか?


 そんなことを考えていても手は勝手に動いていく。そうしてピタリと糸が切れたかのように手は止まる。誰のいない一人っきりの教室で口が動いた。


「出来た!」


 色鉛筆をいつもの順番通りに片づけて、もう一度自分が描いた絵を見る。何度も書き直したから少し跡が出来てしまっているけれど、きっとこれまで描いた中で一番のできになっていると思う。


 そして、その日。僕は夏花ちゃんにこの絵をプレゼントした。この絵がきっかけで大きな問題が起こることも知らないまま。



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