第11話

 階段を上がり、屋上のドアの鍵を開ける。実際に俺がここに来るのは3回目。最初は入学してすぐに案内でここを訪れた。少しだけ渋いドアに力を込めるとホラーゲームの効果音にでも使えそうな音を立てる。それと一緒に外気の生ぬるい風が通り抜けた。


 ドアは結構重たい作りをしていて手を離すと勝手にしまってしまいそうなので、先に屋上へ出てしっかりと押さえて、七森さんに屋上へ出ることを促した。


 自分で提案しておいて言うのはおかしいが、この屋上にはなにもない。休憩するための場所ではないから当たり前だし、普段は入ることも適わないのだから、何も問題は無いのだけれども……。


「ここは人も来ないし、この学校で一番静かなところだと思うよ。ここに来たがる生徒なんていないから、何にも無いから」


 適当に話して、俺は適当な場所に座る。もちろん、座る場所なんてないからコンクリートに直に座ることになってしまう。


 七森さんも横に腰を下ろして先程購入したパンの袋を開けていた。その様子を確認してから、俺も美味しくない焼きそばパンに口を付ける。隣に七森さんが座っていることを意識し出すとなんだか緊張してしまいパンの味なんて気にならなかった。パンはフニャッとしてい焼きそばが油っぽいことは伝わってきた。


 心を無にして食べるには丁度良いチョイスだったパンを一気に平らげると、七森さんはまだ半分くらいしか食べていなかった。携帯で時間を見て、まだ少し時間があることを確認する。


「七森さんは何で誰もいないところに来たいなんて行ったの?」


 俺はなんとなく空を見上げながら訪ねていた。ご飯を食べているところをじっと見られるのもいやだろうから。


「だって、そっちの方が秋博君と話しやすいでしょ」


 七森さんは当たり前のようにそう答えてくれた。言葉遣いもフランクに変わっている。俺はてっきり人に囲まれるのが苦手だからだと思っていたから、全く違う回答に驚いて言葉が出なかった。


「それから、助けてくれてありがとうね。昔から変わらない私は、人に囲まれるのは、苦手なんだ。まさか、秋博君が助けてくれるとは思わなかったよ。凄く嬉しかった」


 隣で少しずつパンを食べている姿を見てしまったからだろうか?


 心が高鳴っている。どこか奥の方に置いてきたはずの気持ちが少しずつ蘇ってくるのが分かる。それでも、今の俺にそれを表に出す資格はない。もしかしたら、こうやって隣にいることすら間違いなのかもしれない。


「やっぱり、困ってたんだ。ハッキリ言わないとまた取り囲まれるよ」


 少し熱くなった顔はきっと太陽の熱のせいだろう。そんな風に自分に言い聞かせる。


「私はね。人と関わるのが苦手であって、嫌いなわけじゃないよ。今だって、秋博君と一緒にいるけれど、辛いなんて思わない。むしろ、昔を思い出せて嬉しいよ。だから、クラスの人達とも仲良くはしたい。それでも、また辛くなった時は合図を出すから、ちゃんと助けてね」


 七森さんは笑っていた。教室で見せていた緊張感の含まれた笑いとは全く異なる自然体な笑顔に俺はぶっきらぼうに頷いて返事をしたのだった。


「秋博君は昔とあんまり変わってないね。少し安心したよ。ところでさ……」


 七森さんは食べ終わったパンの袋を綺麗に折り畳みながら話をしている。言葉を探すように一瞬の間が開いていた。何でも無いこの空白の時間は嫌に不安感を高めさせる。


「どうしたの?」


 転校初日だ。色々不安なこともあるだろう。俺に話したところで、何も出来ることはないけれど、俺は七森さんに再び問いかけていた。


 綺麗に折り畳んだ透明なパンの袋をしまってから、しっかりと俺の方を見つめて七森さんは質問をしてきた。


 その言葉は心に深く鋭く突き刺さる物だった。ジクリと音を立てて、心をえぐられる感覚に苛まれる。こんな言葉で傷つくなんて、思う人は居ないだろう。だから、七森さんは何も悪くはない。


「秋博君は今も絵を描いてるの?」


 そんな簡単な質問だ。久しぶりに再会したならば、聞かれてもおかしくはないことだが、俺はこの事を聞かれることは覚悟をしていなかった。


「今はもう描いてない……」


 精一杯に絞り出した言葉が2人しかいない屋上に小さく響く。絵を描くことを諦めた人間だ。そのことを、七森さんは知るはずもない。俺が色鉛筆を持たなくなったのは、『僕の前から夏花ちゃんがいなくなった後』なんだから。


「そうなんだ。私は秋博君の絵が好きだったから、あと、あの時、画家になりたいって言ったときの顔がね。誰よりも輝いていたからさ。今も描いてるのかなって思ったの」

「小学生の夢なんて、シャボン玉みたいなもんだよ」


 夢の話をすると言葉の節々が冷たくなってしまうのは悪い癖だ。そして、今、七森さんに向けて放った口調も酷く冷たい物になってしまっていたと思う。


 俺の言葉に七森さんは否定も肯定もすることはなかった。そして、その後に訪れた静寂が何とも言えない重たさを孕んでいる。


 再び空を見上げて、青い空に止まることなく動き続ける雲を目で追っていた。七森さんは今どんな表情をしているのか、それを確認する勇気は無かった。


 どちらも言葉を発しないままに時間は過ぎていく。その静寂を切り裂いてくれたのは予鈴の音だった。その音に俺は慌てて立ち上がる。


「ヤバっ。授業始まる前に教室に行かないと深冬先生に怒られる。七森さんも急ごう」


 声を掛けづらい雰囲気など、深冬先生に怒られることを思うと気まずいなんて言っていられない。


 このままでは、おれはもちろんだが、七森さんまで怒られてしまうかもしれない。転校初日で深冬先生の説教を聞いてしまったら、落ち込んで学校に来られなくなってしまう可能性すらあり得る。それほどまでに恐い存在だ。


「そ、そうだね」


 突然慌てふためいた行動をしている俺に対して、少し不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに立ち上がって、後ろから付いて来てくれた。


 無事に始業のチャイムが鳴る前に俺達は教室に戻ってくることが出来たが、教室に着いたときには他の生徒はもう席に着いていて、慌てた様子の俺達に視線が集まったのが、少し恥ずかしかった。


 その中でも、鋭く俺を睨みつける女子生徒の視線と、何もかもを見通しているのでは無いかと思ってしまう光希のニヤけ面は少しの間、頭から離れることはないだろう。


 そもそも、普段は目立つことがないように生きることを目標としているから、こんな行動を起こすことなんて滅多にない。本当にイレギュラーな一日になった。


 俺達も特に何も言うことなく席に着いて、午後の授業が始まるのを待つのだった。


 これが俺の運命的再開のプロローグ。


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