第七話

大会当日、太陽はまるで意地でも張るかのように燦々と地面を焼きつくす。そんな太陽の頑張りも相まって、競技場内はかなりの熱気に包まれていた。何もしなくても零れ出る汗を拭いながら、妃夜ちゃんと二人、静かに出番を待っていた。

「痛みはどう?」

「こないだまでに比べたら大分マシ。いっちゃんマジありがと」

「効果があって良かった、駄目元だったから」

 僕は照れ臭さを誤魔化す様に、手元の霧吹きを妃夜ちゃんの足に吹きかけた。

 一昨日の夜、僕は自転車を飛ばして海へと向かった。以前読んだ記述には、海水に含まれる何らかの成分が、効果があると書いてあった。片道三時間半、途中のコンビニでペットボトルを調達し、その中に海水を汲み入れた。夜の海は真っ暗で、反比例するように煌々と光る月の柔らかさが、不意に妃夜ちゃんの笑顔に重なった。

 家へ帰りつく頃には、空は白み始めていた。気分の高揚の所為もあって、一晩中自転車を漕いでいた割にはそれ程疲れは感じなかった。遅くなりすぎた事を母さんに怒られるかと思ったけど、そんな事は無かった。僕が帰って来るまで待っててくれた母さんは、僕の顔を見て、ホッとしたような表情を浮かべ、「おかえり。やっぱりあんたも、ちゃんと男の子なのね」と言って僕を抱きしめた。

 朝ご飯を食べてからすぐに妃夜ちゃんの家に行き、海藻などを濾過した海水を妃夜ちゃんの足に付けてみた。

「うわぁ、何これ、なんかふわっと楽になるわ」

 劇的とまではいかなかったけど、多少の効果はあったようで僕も胸を撫でおろした。妃夜ちゃん曰く、今まで怒り狂っていた鱗達が、ふっと大人しくなるようになりを潜めるのだと言う。

 今も妃夜ちゃんは、鱗の敷き詰められた足を覆うように、トレンカの下に海水を漬したガーゼを貼りつけている。効果がある事が分かった為、昨日の内に父さんが車で海まで出向き、大量の海水を用意してくれていた。ただ、お風呂のように足を浸し続けるのは目立ち過ぎる為、こうして直前まで、霧吹きで海水を吹きかける事にした。

 ただ、当然これは本番中は行えない。

 その時、競技開始と選手呼び出しのアナウンスが開場に響いた。場内は途端に色めき立ち、騒々しい空気に包まれ始める。

「うっし、行ってきますか」

「大丈夫?」

「いっちゃん、そこは心配じゃなくて、応援がいいかなぁ」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべる妃夜ちゃんが、なんだか眩しかった。

「頑張ってね!」

「任せなさい!」

 トレンカを脱ぎ、ガーゼを剥がすと、すっかり鱗に覆われた妃夜ちゃんの足が露わになった。その事に気付き始めた周囲に、どよめきが広がっていく。

 当の妃夜ちゃんは、まるでそんな事気にしないと言う素振りを見せながら、待機スペースへと歩いて行った。妃夜ちゃんが動く度に、人々の視線が移り変わっていく様は、滑稽を通り越し、寧ろ神々しくさえあった。

 妃夜ちゃんの出番はすぐだ。


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