第03/13話 トップ・オブ・ヒル①

 運転席に巒華、助手席に嶺治の乗ったワンボックスカーが、翡瑠山にある道の駅に到着したのは、午前九時過ぎだった。今は、八月下旬だが、まだ、この時間帯は、比較的、涼しく感じられた。

「じゃあ、さっそくだけど、準備しようか」

 嶺治が、そう言いながら、シートベルトを外した。彼は、常盤色の半袖Tシャツを着て、萌葱色の半ズボンを穿いていた。髪型は、いつもどおりだ。

「はい」

 巒華は、こくり、と首を縦に振りながら、シートベルトを外した。彼女は、いつもどおり、メイド服を着て、髪をツインテールに纏めていた。

 二人は、ワンボックスカーの後部にある荷物スペースへと移動した。そこには、立方体が二つ、置いてあった。

 それぞれの一辺の長さは、一メートル弱だ。表面は、銀白色の金属で出来ている。さながら、立方体の形をしたアタッシェケース、といったところだ。

 巒華は、片方の蓋を、ぱかっ、と開けた。内部の各面──蓋も含めて──には、臙脂色をした、ふかふかのクッションが貼りつけられていた。

 彼女は、箱の、手前に位置している面を跨ぐと、内部に入り込んだ。エプロンのポケットから、スマートホンを取り出す。

 それを右手に持ったまま、その場にしゃがみ込んだ。箱の蓋の裏面に付いている取っ手を握ると、引っ張り上げ、ぱたん、と閉じる。体を、もぞもぞ、と動かすと、体育座りをした。

 しばらくしてから、ういいん、がちゃん、という、施錠される音がした。嶺治が、スマートホンを使って、鍵を操作したのだ。彼も、巒華と同じようにして、もう一方の箱に入っているはずだ。

 巒華は、暗闇の中、右手に持ったスマートホンを、手探りで操作した。ホームボタンを押して、スリープ状態を解除する。

 ディスプレイから放たれる光により、辺りが、少しだけ照らされた。チャットアプリを起動すると、嶺治とのトークルームを表示させた。

 その後、巒華は、ひたすらに、じっ、と待った。事が起きたのは、予想どおり、午前十時前になってからだった。

 この立方体は、高い防音性を有している。もし、箱が傾くなどして、中にいる人間が、体を打ち、呻き声の類いを上げてしまったとしても、それが外に漏れないようにするためだ。各面の内側に貼りつけられているクッションも、体をぶつけた時の衝撃や痛みを軽減することが目的だ。外部の音も、内部には、ほとんど聞こえてはこなかった。

 しかし、それでも、認識できる感覚があった。箱が持ち上げられた、という感覚や、どこかに置かれた、という感覚などだ。その後、箱が置かれた場所そのものが、高速で移動している、という感覚も受けた。どうやら、自動車に載せられ、運ばれているようだ。

 この箱は、とても頑丈だ。何かしらのアクシデントにより、強いダメージを食らっても、破損して中身がばれないように、という理由からだ。嶺治によると、並の銃弾ならば、当たっても、穴が開くどころか、凹みすらしない、とのことだ。

 自動車に載せられて運ばれている、という感覚は、小一時間で終わった。それからは、また、箱が持ち上げられる感覚、そして、どこかに置かれる感覚を味わった。

 次いで認識したのは、台車の類いで移動させられている、という感覚だった。途中で、敷居の類いでも跨いだらしい感覚や、エレベーターで上昇しているらしい感覚も受けた。

 それらは、全体を通して、十分ほどで終わった。その後は、箱が持ち上げられる感覚と、どこかに置かれる感覚を味わった。

 その後は、何の感覚も認識できなくなった。おそらくは、台車から床に移されたのだろう。

 数分後、スマートホンに表示しているチャットアプリの、嶺治とのトークルームにおいて、彼から、新しいメッセージが送られてきた。そこには、「もう外に出ていいよ」と書かれていた。

 直後、ういいん、がちゃん、という音が鳴った。箱が開錠されたに違いなかった。

 巒華は、蓋の裏面にある取っ手を掴むと、それを押し開けた。外は、薄暗かったが、それでも、箱の中と比べると、じゅうぶん明るかった。思わず、両目を細める。

 そこは、どこぞの建物の一室だった。上から見ると、一辺が十メートル強の正方形をしている。

 出入り口は、北壁の東端付近に設けられている。そこには、室内から見て、右から左へとスライドさせるタイプの扉が取りつけられていた。今は、閉められ、施錠されている。

 南壁と西壁には、床から一メートルほどの高さに、大窓が配されている。それらには、カーテンが取りつけられていた。その隙間から漏れている光のおかげで、部屋は真っ暗にならずに済んでいた。

 巒華と、嶺治、二つの箱以外、何もない。いちおう、壁紙や絨毯といった内装の類いは、剥がされてはいなかった。

「侵入、成功だね。仙汕団の幹部を装って、兵士たちに命令を出し、ぼくたちの入った箱を、やつらの基地内に運ばせる、という作戦……上手くいって、よかった」

 嶺治の声が、背後から聞こえてきた。後ろを、振り返る。

 彼も、すでに、蓋を開けていた。箱の底に立っており、んー、と小さく唸りながら、軽く伸びをしていた。

「他にも、いろいろ、作戦は考えたけれど──爆弾を満載したディセンダーを、遠隔運転機能を使って、基地に突っ込ませるとか──やっぱり、この方法が、一番、確実かつ平和的だったね」

「しかし、よく、こんな、運び入れてもらうのに相応しい部屋がありましたね」巒華は、箱の側面を跨いで、外へ出ながら言った。「たしか、この建物は、もともとは、天文台として使われていたんでしたっけ? それを、仙汕団が買い取ったとか」蓋を、ばたん、と閉めた。

「そのとおり」嶺治も、箱の側面を跨いで、外へ出ながら言った。「といっても、この部屋──多目的室Cは、もともと、カーテンすらなくてね……昨日のうちに、同じように、仙汕団の幹部を装って、兵士たちに、この部屋にカーテンを取りつけるよう、命令しておいたんだ」蓋を、ばたん、と閉めた。

 巒華は、窓に近づくと、カーテンの隙間から、西方の外の様子を窺った。もちろん、自分の姿を見かけられないよう気をつけながら、だ。

 天文台の敷地内には、兵士が、数人、うろついていた。男性も女性も、地味な色の長袖シャツや長ズボンに身を包んでいる。そのうえで、タクティカルベストを着たり、アサルトライフルを携えたりして、武装していた。みな、欠伸をするなりストレッチをするなりして、明らかに油断しきっていた。

 しかし、巒華たちは油断できない。兵士たちが、ひとたび、彼女らの存在に気づけば、すぐさま、攻撃してくるに違いないからだ。

「じゃあ、さっそく、レベラーのある所に向かおうか」

 嶺治が、そう言ったので、巒華は、窓から離れた。「承知しました。では、打ち合わせどおり、わたしが先導しますね」

 彼女は、すたすた、と歩いて、扉に近づいた。それの鍵を、がちゃり、と解除すると、がらがら、とスライドさせて開け、廊下に出る。

 後ろから、嶺治もついてきた。彼は、部屋から出た後、扉を、がらがら、とスライドさせ、閉めた。

 巒華は、北へ伸びている廊下を、すたすた、と歩いていった。気持ちが張り詰めており、心臓が、ばくんばくん、と強く鼓動していた。

 彼女は、緊張を少しでも和らげたい、と思い、脚を動かしながら、昨日、嶺治から聴いた話を回想しだした。多目的室Cのあるフロア、すなわち、今いるフロアは、三階だ。部屋自体は、建物の南西の角に位置している。

 天文台は、山頂付近にある。一辺が数百メートルの、ほぼ正方形をした敷地を有していた。その中に、いくつかの棟が建てられている。

 巒華たちは、今、南棟にいた。それは、敷地の南東に位置していた。東西に伸びた直方体のような見た目をしていた。

 敷地の外側、南方には、高台が広がっていた。それの側面は、切り立った崖となっている。よって、敷地の南辺には、他の東辺・西辺・北辺のように、塀は建てられていない。崖そのものが、境界線の役目を果たしているのだ。

 高台は、天文台の敷地がある地面を一階と仮定すると、だいたい、五階の床に相当するくらいの高さを有している。山頂標識も、ここに設けられていた。

 いっぽう、南棟は、六階建てである。つまり、それの屋上は、山頂よりも高い場所、ということになる。レベラーは、少しでも威力を強めるためか、そこに置かれている、とのことだ。

 そのようなことを回想していたおかげか、緊張は、わずかに和らいでいた。しかしながら、しょせんは「わずか」に過ぎず、心臓は、未だに、体じゅうを揺るがすほど、強く鼓動していた。

 事前に、嶺治が、南棟に、見張りや見回りの類いで勤めている兵士たちのスケジュールを、改竄している。それにより、今の時間帯、この建物の二階から上には、屋上を除いて、誰もいないどころか、誰も通りかかりすらしないようになっていた。だから、堂々と廊下の中央を進んでいても、見つかることはないはずだが──それでも、気を緩めることなど、できやしなかった。

 やがて、巒華は、階段に到着した。出入り口には、金属製の扉が設けられている。それの上には、「北西階段」と書かれた、小さいプレートが取りつけられていた。

 彼女は、それのノブを掴むと、手前に引っ張った。ぎい、という音とともに、開く。

 巒華は、階段に入ると、嶺治も後に続いたのを確認してから、扉を、ばたん、と閉めた──事前に、彼からは、「階段と屋上を繋いでいる出入り口の手前には、見張りの兵士が立っている」「音を出さないようにして、フロアと階段を繋いでいる出入り口の扉を開閉すると、かえって、その兵士に、不審な印象を与えてしまうかもしれない」「堂々と開閉したほうがいい」と言われていた。

 同じ理由で、二人は、特に足音を隠すこともなく、階段を上がり始めた。その後、しばらくして、五階フロアに通じる出入り口の前に至った。

 嶺治は、そこで、じっ、と待機し始めた。巒華だけが、引き続き、階段を上がっていく。

 しばらく進んだところで、六階フロアに通じる出入り口のそばに到着した。そこから、北に向かって、上り階段が伸びている。それの先、壁にぶつかっている所は、踊り場となっていた。

 そこからは、再び、上り階段が、今度は、南へと伸びている。その突き当たりの壁に、屋上に通じる出入り口が設けられていた。六階から踊り場までの階段は、東に、踊り場から屋上までの階段は、西に位置している。

 巒華は、だっ、と床を蹴りつけると、六階から踊り場までの階段の手摺りめがけて、ジャンプした。右足で、がっ、と手摺りを踏みつけ、さらに高く跳躍する。

 両手で、がし、がしっ、と踊り場から屋上までの階段の、手摺り子の根元を掴んだ。すかさず、懸垂の要領で、体を引っ張り上げる。

 そこで、さすがに、屋上に通じる出入り口の前にいる、見張りの兵士に、存在を気づかれた。かなり驚いたらしく、真ん丸になった目を向けてきている。

 兵士は、若い男性だった。両手には、アサルトライフルを携えている。

 さすがに、軍事訓練を受けた人間、というべきか。彼は、すぐさま、自分のやるべきことを思い浮かべたようだった。

 左手を、アサルトライフルから離すと、タクティカルベストの胸元に付いているポケットめがけて、ばっ、と伸ばした。そこには、トランシーバーが収められていた。仲間に、巒華の存在を知らせるつもりに違いなかった。

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