第02/13話 クライシス・オブ・ヒル

「ご主人さまは、今日も、夕食を、自室でとられるのでしょうか……」巒華は、ぼそり、と、そう呟いた。はあ、と小さく溜め息を吐く。

 彼女は、峯岸邸のキッチンにいた。目の前には、コンロや調理台が設けられている。それらの上に置かれている、鍋だのボウルだのの中には、嶺治の好物であり、なおかつ、栄養バランスが考慮されている料理が入っている。後は、これらを、器に盛りつけるだけだ。

「うーん……監禁場所から脱出してから三週間、ご主人さまは、学校に復帰することもなく、ずっと、自室に引き籠もられています。外に出るのは、食事を載せたプレートを、わたしから貰う時と、警察の聴取を受ける時だけ……トイレとか、シャワーとかも、お屋敷にある立派な物ではなく、自室に備えつけられている簡素な物で済ませてらっしゃるみたいですし。これでは、今日も、夕食は、自室でとられるに違いありませんね……」

 巒華は、そう独り言ちると、料理をよそおうとした。左手に、器を持つと、右手で、鍋に挿し込んであるお玉の柄を握った。

「巒華ー」

 そんな、嶺治の、間延びした、何なら間抜けにさえ思えるような声が、キッチンの外から聞こえてきた。巒華は、右手からお玉の柄を離すと、ばっ、と後ろを振り返った。

 彼が、ダイニングに入ってきたところだった。ふああ、と、小さく欠伸をしている。髪は、ぼさぼさだし、服も皺くちゃだが、健康面に問題はなさそうだ。

「ご主人さま!」巒華は、左手に持っていた器を、調理台の空きスペースに置いてから、たたた、と小走りにキッチンから出た。「大丈夫なのですか、その……お部屋から出ても?」

「大丈夫だよ」嶺治は、こく、と頷くと、再度、ふああ、と小さく欠伸をした。「やりたかったことは、達成できたから。今日で、もう、引き籠もりは終わり。それで──」

 台詞を遮って、ぐるるるる、という音が鳴った。それは、彼の腹部から聞こえてきた。

「お腹、空いたから、何か食べようと思って」嶺治は、腹部を、軽く摩った。「ええと、たしか、もう、晩飯の時間だよね? 料理、そろそろ出来てるかな?」

「はい、ちょうど、作り終えたところです。準備いたしますね」そう言いながら、巒華は、キッチンに戻った。

 それから、彼女は、てきぱき、と各種の作業をこなしていった。結果、ものの一、二分で、やたらと広いダイニングテーブルについている嶺治の前に、料理を盛りつけた食器を、すべて並べ終えられた。

 嶺治は、それらを、少しも残すことなく、平らげた。巒華は、その様子を、邪険に思われないよう気をつけながら、観察した。あらためて見ても、彼の体調に、問題はなさそうだ。

「ねえ、巒華。話があるんだ」彼女が食器を片付けている最中、嶺治が言った。「家事が、ひと段落ついたら、テーブルについてくれ」

「承知しました」

 それから、巒華は、なるべく早く、家事を済ませた。数分後、ダイニングに行くと、嶺治の真向かいの椅子に腰かけた。

「まずは、お礼を言わせてくれ」彼は、ぺこり、と頭を深く下げた。「ありがとう。大変だっただろう? ぼくが拉致された後の、マスコミへの対応や、警察とのやり取りは。

 中でも、警察とのやり取りは、緊張を要したはずだ。なにせ、どうやら、やつらの中に、仙汕団のスパイがいるらしい、とわかったんだから。そのせいで、表面上は、ぼくを助ける作戦なんて、何も立てておらず、完全に警察に頼るしかない、と見せかける必要があった」

「あ、頭をお上げください、ご主人さま」巒華は慌てて言った。「峯岸家、いえ、ご主人さまに傅くメイドとして、当然のことをしたまでです」

「でも、実際、大変だっただろう?」嶺治は頭を上げた。まだ、申し訳なさそうな顔をしている。「例えば、ほら、ぼくを拉致したグループの正体や、監禁場所を突き止めるのとか、仙汕団にばれないようにして、ぼくと連絡をとる手段を確立させるのとか……」

「まあ、たしかに、いろいろなことをしました。わたしが、昔、王国の軍に属していた頃に築いたコネクションを活かしたり、軍が無くなった後、民間の傭兵として活動していた頃に利用した情報屋に、仕事を依頼したり……。

 ですが、すべて、ご主人さまを助け出すため、と思えば、大変ではあっても、苦ではありませんでした」

「そっか……ありがとう」やっと、嶺治は、にこっ、と笑った。「ホント、巒華には、迷惑をかけっぱなしだね」

「いえいえ、迷惑だなんて、とんでもない」巒華は、ぶんぶん、と頭を激しく左右に振った。「わたしは、今後の人生を、峯岸家、ひいてはご主人さまに尽くすことに、決めていますから。

 だいいち、その、今後の人生、というものが、わたしにあること自体、ご主人さまのお父さま──巌一(がんいち)さまの、おかげなのですよ。四年前──わたしが十五歳の頃、共和国で、傭兵として働いている時、研究活動の一環で来られていた巌一さまに、たまたま通りがかっただけとはいえ、命を助けられたのですからね」

「ありがとう」嶺治は、ふふ、と微笑んだ。

 巒華は、話題を転換させようとして、「そ、それにしても……」と言った。「ご主人さまを救出してから、仙汕団のやつら、いっさい、行動を起こしませんね。あ、いえ、何もしてこないに越したことはないのですが……たしか、ご主人さまは、彼らの使用する兵器の開発を手伝わされていたのでしょう? ということは、それを続けるために、再び、ご主人さまを拉致しようとして、襲撃してくるんじゃないか、と思って、家に備えつけられている、各種の警備システムを、最大限に強化しているのですが……」

「ああ──それなら、心配しなくていいよ。ぼくが脱走した日の前日の時点で、すでに、かなり、完成まで近づいていたんだ。後は、もう、ぼくの手は要らないくらいに、ね。だから、仙汕団としては、リスクを冒して、ぼくを拉致しようとするより、他の手段で、完成させようとするだろう。

 今頃は、どこかで、開発の続きを、やっているんじゃないかな。製材所には、あの後、警察が踏み込んだけれど、もぬけの殻だったらしいから。

 それで、ぼくが作らされていた兵器の正体なんだけどね」嶺治は、じっ、と、巒華の両目を見つめながら、言った。「とても強い威力を持つ、爆弾なんだ。『レベラー』っていう名前の」

「爆弾……ですか」

「うん」嶺治は、こくり、と頷いた。「レベラーの特徴は、有している位置エネルギーを、爆発の威力に変換する点だ。要するに、レベラーのある位置が、高ければ高いほど、爆発の威力が大きくなる、ってわけだね」

「なるほど……だから、仙汕団は、ご主人さまを拉致したのですね。どうして、他の物理学者ではなく、ご主人さまなのか、とは思っていましたが……ご主人さまは、物理学の中でも、古典力学、特に、位置エネルギーの分野に関して、とてもお詳しいですから」

「そういうこと」嶺治は、ふっ、と切なそうに微笑した。「でも、レベラーの開発は、あくまで、仙汕団の目的を達成するための手段に過ぎないんだ。やつらの、本当の目的は──翡瑠山を、消滅させることなんだよ」

「は?」巒華は思わず、口を半開きにした。「えっと……翡瑠山というのは、あの、翡瑠山ですか? 贔艫県の真ん中にある……麓に、ご主人さまが監禁されていた製材所が建っている?」

「そう」嶺治は小さく首肯した。「その、翡瑠山だ。仙汕団は、山頂にレベラーを設置して、爆発させ、翡瑠山を、文字どおり、物理的に消滅させるつもりなんだよ」

 しばらくの間、巒華は黙り込んだ。「それは……可能なのですか、そのようなことが?」

「可能だよ」嶺治は苦々しげな顔をした。「監禁されていた時に、何度も計算させられたからね。翡瑠山の頂上に、レベラーを設置して、爆発させれば、山体が消し飛ぶどころか、巨大隕石のクレーターみたいな大穴が開く。とうぜん、何十万っていう人が死ぬし、何千億っていう額の損害が出る」

「一大事ではないですか!」巒華は思わず、大声を出した。「早く、警察に知らせませんと……ええと──」翡瑠山は、たくさんの市町村に跨っている。山頂を中心として、境界線が放射状に伸びていた。「通報するなら、贔艫県警ですか?」

「無駄だね」嶺治は、ぴしゃり、と言った。「贔艫県や、翡瑠山周辺の市町村における、警察の上層部の人間には、すべて、仙汕団の息がかかっている。やつらがテロを企てているから警戒してくれ、なんて言っても──いや、実際、言ったんだけど、相手にされなかったよ」

「なら──」巒華は、しばらく視線を宙に彷徨わせ、考えを巡らせた。「マスコミに、テロの件をリークして、騒ぎ立ててもらう、というのはどうでしょう? いや、マスコミの手を借りずとも、SNSか何かで、情報を広めれば──」

「それも、無駄」嶺治は、再度、ぴしゃり、と言った。「例えば、仮に、マスコミが報道してくれたところで、警察が動かないことには、変わりないんだから。けっきょく、テロは、予定どおりに実行される」

 うう、と巒華は小さく唸った。「そ──そもそも、なぜ、仙汕団は、翡瑠山の消滅、という、途方もない──なんなら、馬鹿らしさすら感じるような野望を抱いているんです? たしか、やつらは、日本征服を目論むテロ組織でしょう? 翡瑠山には、特に、仙汕団が敵視している組織や施設などの類いもありませんし……彼らは、翡瑠山に、何か、怨みでもあるのですか?」

「そのとおり。といっても、仙汕団が、翡瑠山を憎んでいるわけじゃない。翡瑠山を憎んでいるのは、仙汕団を裏で操っている、この件の黒幕──嵯峨(さが)グループなんだ」

「嵯峨グループ、といえば……」巒華は、数秒、視線を宙に彷徨わせた。「この国の重工業界における、最大手の企業集団ですね。自動車や航空機、はては戦車まで製造しているという……」

「ああ」嶺治は、こくり、と頷いた。「彼らは、翡瑠山の消滅、という野望を実現させるために、仙汕団を雇っているんだ。いくら、嵯峨グループと言えど、軍事組織まで所有しているわけじゃないからね。そういう、非合法な活動を行うためには、外部の組織に依頼する必要があった」

「それは──」巒華は、数秒、沈黙した。「いったい、なぜですか? 嵯峨グループ、といえば、犯罪組織でも何でもない──ある程度、後ろ暗いことはしているかもしれませんが──ただの、企業集団ですよね? それが、なぜ、翡瑠山を消し飛ばそうとするのですか?」

「正確には、嵯峨グループ全体ではなく、それのトップを務めている、嵯峨崚輔(りょうすけ)だね。やつ一人が、個人的に、翡瑠山を憎んでいるんだ。

 彼には、娘がいる──いや、いたんだ。峡子(きょうこ)、という娘が」

 巒華は、嵯峨峡子、と復唱した後、しばらく記憶を探った。「その名前、どこかで目にした覚えがあるような──あ、思い出しました。新聞に載っていましたね。何かの山に登るのに挑戦して、そのまま、遭難してしまったとか……まさか、その山が?」

「そう。翡瑠山だ。彼女が、二十一歳、大学三年生の頃の話だね。数週間後、捜索隊によって、死体が発見された」

「まさか」巒華は思わず、嶺治の目を、じっ、と見つめた。「それで、嵯峨は、翡瑠山を憎んでいるのですか?」

「ああ。まったく、八つ当たりなんてレベルじゃないよね。

 しかも、嵯峨峡子のやつ、登山を趣味にしていたんだけど、相当、素行が悪かったらしいよ。平気で、不要な物をそこら辺に捨てるわ、当たり前みたいに、気に入った植物を摘んで持ち帰るわ……手続きが面倒だから、って、計画書すら、出さないことがほとんどだった。

 彼女が、翡瑠山を登るのに使ったルートだって、当時は、整備作業が終わっていないから、っていう理由で、立入禁止になっていたんだよ。それを無視して、登ったんだ」

「そうだったのですか……」巒華は、峡子に対する同情心が、急速に薄れていくのを感じた。

「だいいち、翡瑠山の内部や、周辺に住んでいる人は、言うまでもなく、彼女の遭難に、まったくの責任がないんだ。それが、なんで、嵯峨の個人的な復讐の巻き添えを食らわないといけないんだ、って話だよ」

「仰るとおりです」巒華は、うんうん、と頷いた。「しかし……仙汕団は、たしか、資本主義には反対していましたよね? それなのに、企業集団からの依頼を引き受けるだなんて……」

「どうも、すべての事情を把握しているのは、仙汕団の、一部の幹部たちだけみたいだね。依頼を承諾した理由も、そいつらが贅沢するための金が欲しい、という物らしいよ。

 末端の兵士たちは、本気で、ぼくを拉致監禁し、爆弾を開発させることが、日本征服を実現させることに寄与する、って思っているみたいだ。あの様子じゃ、最終目的が、レベラーを使って翡瑠山を消し飛ばすこと、っていうのも、知っているか、怪しいもんだね」

「それで……仙汕団のテロを防ぐ方法は、存在するのですか?」

「うん、ある。その方法が、一つだけ」

 巒華は思わず、軽く身を乗り出した。「何ですか、それは?」

「レベラーに、とあるコマンドを打ち込むんだ」

「コマンド……ですか?」

「詳しく説明しよう。レベラーには、コントロールパネルが設けられていてね。ディスプレイとか数字キーとかが付いているんだ。見た目は、電卓に似ているね。で、それを操作して、起爆時刻を設定したり、カウントダウンを開始させたりするようになっているんだ。

 で、ぼくは、開発の途中で、見張りの兵士の隙を見つけて、隠しコマンドを設定しておいたんだ。入力すれば、事前に、こっそり、内部機構に組み込んでおいた、爆弾を無力化するシステムが動作するようなコマンドを。しかも、このシステムは不可逆的……一度、スタートすれば、もう、二度と、爆弾は炸裂しなくなる」

「なるほどです」

「で──ここからが、本題なんだけど……」嶺治は、こほん、と、軽い咳払いをした。「巒華。ぼくが、レベラーを無力化しに、つまり、コマンドを打ち込みに行くのに、ついてきてくれないかい?

 そりゃあ、ぼくの物理学者としての活動が原因で人が死ぬ、というのは、今回が初めてじゃないかもしれない。もしかしたら、ぼくが気づいていないだけで、ぼくの功績が、軍事なり犯罪なりに転用されて、そのせいで誰かが酷い目に遭う、ということが、あったかもしれない。ダイナマイトを発明したノーベルみたいにね。

 ぼくは、今まで、その辺については、割り切って考えていた。そんなことをいちいち心配していたら、どんな研究も行えないから。なにも、直接的に兵器の開発に携わるわけじゃないんだし、ってね。

 でも──」嶺治は数秒間、口を真一文字に結んで、沈黙した。「いくらなんでも、今回は、直接的すぎる。監禁され、脅迫され、強要されたとはいえ、ぼくが主体的に製作した兵器のせいで、大勢の──それも、まったく罪のない、無関係な人々が死ぬだなんて……耐えられない」

「もちろん、ついていきます──と、返事をしたいところですが」巒華は、じっ、と彼の両目を見つめた。「当然ながら、それには、仙汕団に見つかる可能性、ひいては、仙汕団と戦う可能性があるのでしょう?

 ご主人さまを、そのような危険な目に遭わせるわけにはいきません。わたしが行きます。わたし一人で行って、レベラーに、そのコマンドを打ち込んできます」

「それが、ぼく自身が行く必要があるんだよ……」嶺治は、申し訳なさそうな顔になった。「爆弾には、指紋認証装置が付いていてね……仙汕団の関係者しか、コントロールパネルを扱えないようになっているんだ。

 監禁場所から脱出する日の前日、プログラムに細工を施して、ぼくの指紋を読み取った場合は、無条件に認証するようにしておいた。だから、たとえ、仙汕団が、データベースに登録してある、ぼくの指紋情報を削除したところで、パネルの操作は行えるんだけど……」

「そういうことですか……」巒華は、しばらく沈黙した。「わかりました。そういうことでしたら、ご主人さまに付き添わせていただきます」

「ありがとう!」ぱっ、と嶺治の顔が明るくなった。「実は、監禁場所から脱出した、その日から、仙汕団や嵯峨グループが所有しているネットワークを、気づかれないようにハッキングして、やつらが立てている翡瑠山爆破計画について、具体的な内容を調べていたんだ。三日前に、やっと、全貌が判明してね……それから今日までの間は、具体的に、どのようにして、レベラーにコマンドを打ち込むか、について、作戦を練っていたんだ。

 今から、それを説明するね」

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