カーチェイス・ダウンヒル

吟野慶隆

第01/13話 レスキュー・フロム・ヒル

 どごおおん、という音を轟かせて、10tトラックのキャビンが、外壁を突き破り、屋内に飛び込んだ。

 飛び込んだ先には、部屋があった。それは、一辺が約六メートルの正方形をしていた。床や壁、天井は、内装の類いが施されておらず、汚らしいコンクリ―トが剥き出しになっていた。

 トラックが突き破ったのは、南壁だ。それのうち、西壁との境目から三十センチほど離れているあたりに、風穴を開けた。

 車両は、ブレーキがかかっていた。きいいいい、という音を、部屋じゅうに響かせながら、みるみるうちに、減速していった。

 その後、トラックは、キャビンの前面が、北壁の十センチほど手前にまで迫ったあたりで、完全に停止した。岳密(たけみつ)巒華(らんか)は、運転席側の扉を、がちゃっ、と勢いよく開けると、ばっ、と外へ跳び出した。

 彼女は、黄緑色をした髪を、膝に届くくらいに伸ばしていた。それを、蝶々結びにした萌木色のリボンで、ツインテールに纏めていた。瞳は、若草色をしている。

 黒い半袖ブラウスを着て、同色のミニスカートを穿いていた。上から、フリルのついた、白いエプロンを羽織っている。それと同じようなデザインのヘッドドレスを、頭に着けていた。全体としては、いわゆる、メイド服に身を包んでいる。

 巒華は、すたっ、と床に着地した。思わず、きょろきょろ、と室内を見回す。

 北東の隅には、机と椅子が置かれている。南東の隅には、東壁に沿うようにして、ベッドが据えられていた。いずれも、シンプルな外観をしている。それら以外に、家具はない。

 事情を知らない人が、この部屋を目にしたら、牢屋の類いと勘違いするのではないだろうか。ふと、そんなことを思った。まあ、当たらずとも遠からず、なのだが。

 巒華は、ベッドに視線を遣った。それの床板の上では、マットレスが、横に向けられた状態で、東壁に、斜めに立てかけられていた。

 直後、マットレスが、手前に、ばたん、と倒れた。その向こう側には、峯岸(みねぎし)嶺治(れいじ)がいた。

 彼は、短い黒髪を、大して整えず、無造作に伸ばしていた。瞳は、黒い。通っている私立中学校の制服に身を包んでいた。

 半年前、嶺治が、学校からの帰宅途中、仙汕(せんさん)団に拉致された時に着ていた物と、同じ服装だ。見たところ、あまり汚れていない。監禁生活の中でも、衣服は、洗濯してもらえていたようだ。

「ご主人さま!」巒華は、だだだ、と彼に駆け寄った。「お怪我はありませんか?!」

 なにしろ、半年ぶりの再会だ。いくら、仙汕団に気づかれないように、嶺治と連絡をとる手段を確立させることに成功しており、それのおかげで、彼の身の安全は、ある程度は把握できている、とはいえ、実際に肉眼で確認するのとは、天と地ほどの差がある。ぎゅう、と強く抱き締めたい衝動に駆られた。しかし、今は、そんなことをしている場合ではない。ぐっ、と我慢した。

「大丈夫だよ」嶺治は首を縦に振った。「どこにも、怪我を負ってはいないし、健康状態も万全。以前から、今日の作戦に合わせて、体調を整えていたから」

 彼がそこまで言った直後、がん、がん、という音が、部屋の北西から聞こえてきた。くる、と振り返り、そちらに視線を遣る。

 北壁の、キャビンの前あたりには、出入り口がある。そこに備えつけられている扉には、長方形をした窓が設けられている。その向こう側に、若い男性兵士がいるのが、見えた。

 彼は、部屋に入るために、扉を開けようとしていた。しかし、扉は、室内側に開くタイプだ。そのため、トラックが邪魔をして、開けないようになっている。かろうじて、十センチほどの隙間は存在している。しかし、それでは、人間は、通り抜けられない。窓には、ガラスは嵌め込まれていないが、代わりに、鉄格子が取りつけられている。

 巒華は、再度、嶺治のほうに顔を向けた。「では、さっそくですが、打ち合わせどおり、逃げましょう」くるり、と体を半回転させると、たたた、とトラックの荷台に駆け寄った。

 荷台は、いわゆるアルミバンタイプで、銀色をした直方体のような見た目だった。それの右側面、キャビン近くには、扉が設けられていた。

 巒華は、そこに近づくと、右手を伸ばし、ケースハンドルの取っ手を、引っ掻くようにして立ててから、掴んだ。手前に引っ張り、がちゃっ、と扉を開ける。

 それから、床を、だっ、と蹴りつけて、ジャンプし、バンの内部に乗った。その後、嶺治が、遅れてやってきた。巒華は、彼が伸ばしてきた右手を握ると、引っ張り上げて、乗せた。

 彼女は、荷台後方に視線を遣った。そこには、「ディセンダー」という名前の、SUVが停められていた。

 いわゆるツーボックスカーで、二つの直方体で構成されているような、角張った見た目をしていた。ボディは、深緑色に塗装されている。四輪駆動の国産車で、運転席は右側に、助手席は左側に設けられていた。トラックの進行方向とは、逆を向いていた。

 巒華は、それの、運転席側の扉へ向かった。着くなり、がちゃっ、と開けて、中に入る。

 彼女は、扉を、ばたんっ、と閉めつつ、シートに座った。ハンドルを両手で掴み、アクセルペダルに右足を載せる。そうしている間に、嶺治も、助手席に乗り込んできた。

「それでは、行きます!」

 そう言うと、巒華は、サイドブレーキを解除して、アクセルペダルを底まで踏み込んだ。ディセンダーのスピードが、一気に上がる。慣性の法則に従い、体がシートに押しつけられた。

 直後、車両は、アルミバンの背面に設けられている、両開きである扉に、体当たりを食らわせた。ばきゃっ、と、それを突き破って、飛び出す。

 トラックの前半部分は、建物の中に突っ込んでいる。しかし、後半部分は、入りきらず、はみ出ていた。ディセンダーは、ずしゃっ、という音を立てて、屋外に着地した。

 そこは、翡瑠(ひる)山の麓にある製材所の敷地内だった。もっとも、今は、本来の目的では使われていない。経営していた会社が倒産した後、売却に出され、その後、仙汕団に買い取られた。

 嶺治によると、拉致された後、ここで、何かしらの兵器の開発を手伝わされていた、とのことだった。詳しい内容までは聴いてないが、何にせよ、弱冠十五歳にして、優秀な物理学者として活躍する彼の頭脳が求められるような物なのだろう。巒華としては、嶺治が連れ去られてから、最初のうちは、てっきり、彼の両親の遺産や、彼自身が稼いだ金などが目当てだろう、と思っていたのだが。

「打ち合わせどおり、贔艫(ひいとも)自動車道に脱出します!」

 そう言いながら、巒華は、サイドブレーキをかけつつ、ハンドルを左に回した。ドリフトしながら、曲がる。

 まだ、午前七時過ぎであるため、辺りは、わりと静かだった。その静寂の中を、彼女らは、エンジン音だのタイヤ音だのを轟かせながら、突き進んでいた。七月下旬、というだけあって、すでに、少しばかり、気温が高くなっていた。

 製材所の敷地は、一辺が数百メートルの正方形をしている。自動車道は、東西に伸びており、敷地の南辺に接していた。

 嶺治が寝起きしていた部屋のある建物は、「西棟」と呼ばれていた。名前のとおり、敷地の西辺、真ん中あたりに位置している。南北に長い直方体のような見た目をしていた。

 兵器の開発は、「中央棟」という建物で、手伝わされていたそうだ。名前のとおり、敷地の、ちょうど真ん中あたりに位置している。東西に長い直方体のような見た目をしていた。

 いずれの施設も、ぼろぼろで、人間が活動するための、最低限の整備しかなされていなかった。中央棟に至っては、北側の外壁に、「DOWNHILLRAID」という英字列をぐにゃぐにゃに歪めたような落書きが描かれていた。嶺治によると、仙汕団に監禁され、労働させられることよりも、そのような、清潔でない場所にいさせられることのほうが、よっぽど、ストレスフルだったらしい。

 敷地の北辺には、高さ数十メートルの崖が聳え立っている。垂直でこそないが、とても急勾配だ。意識的に見ていなくても、視野に収めているだけで圧倒されるほどの雰囲気を醸し出している。

 敷地の東辺・南辺には、塀が建てられていた。それらは、かなり分厚く、どっしりとした存在感を放っていた。見た目こそ、風雨に晒されたことや、年月が経過したことなどにより、劣化しているが、かえって、それが、物々しさを演出していた。

 以上のことから、敷地の東辺・南辺・北辺から突入することは、とても難しい、と判断した。しかし、西辺には、金網が立てられているだけだった。どうも、製材所が運営されていた頃に設置された物を、そのまま流用しているらしかった。それならば、トラックで体当たりを食らわせれば、容易に撥ね飛ばすことができる。そのため、西辺から、突入することに決めた。

 製材所の西方は、深い林になっている。巒華は、一ヵ月ほど前、そこらの土地を買い取った。そして、土木業者を雇い、莫大な料金を支払うのと引き換えに、とにかく急いで、荒れ地を切り開かせ、道を造らせた。自動車道から伸び、西棟の、嶺治がいる部屋の真後ろから数メートル離れた地点に達するような道だ。彼女は、そこを通って、嶺治がいる部屋に突っ込んだ、というわけだ。

 とうぜん、製材所のすぐ横にある土地が開発され始めた、ということは、仙汕団の兵士たちも、すぐにわかっただろう。しかし、仮囲いのおかげで、具体的な作業内容までは、確認できなかったに違いない。工事の目的も、とある飲食店の建設、とされていた。なにより、まさか、嶺治のいる部屋にトラックで突っ込むための道が造られている、だなんて、夢にも思っていなかったことだろう。

 巒華は、その後も、ディセンダーを走らせると、西棟の南壁の左横を通り過ぎた。そこで、東方から、セダンが、何台か、こちらに向かってきていることに気づいた。

 車両は、いずれも真っ黒に塗装されていた。ボンネットに、ステッカーが貼ってある。それは、一見すると、何かしらの抽象画に見える。しかし、そこには、隠し絵の要領で、仙汕団のシンボルマークが仕込まれていた。

 それらには、兵士が乗っていた。嶺治を取り返そうとしているに違いなかった。突然の事態であるためか、銃火器の類いでの武装を行っていないことが、さいわいだった。

 巒華は、ひたすら、ディセンダーを、目的地めがけて、走らせた。事前に、嶺治と打ち合わせておいた地点だ。

 そのうちに、セダンが一台、急加速して、こちらに追いついてきた。左隣、一メートルほど離れたあたりを、並走し始める。

「食らいなさいな!」

 そう言いながら、巒華は、ハンドルを、めいっぱい左に回した。セダンの横っ腹に、がつん、と、体当たりを仕掛ける。

 車両は、ぐらり、と大きく左方へよろめいた。そして、近くにある、山積みになっている丸太に、どがしゃあん、と突っ込んで、そのまま動かなくなった。

「やった!」嶺治が弾んだ声を上げた。

 数秒後、目的地が見えてきた。そこは、敷地の南西あたりだった。

 自動車道の脇に設けられている歩道と、敷地との境には、塀が立てられている。それの、数メートル手前に、資材の山があった。細かいウッドブロックが、たくさん積み上げられており、歪んだ錐体状になっている。それの側面、北あたりには、巨大な板が一枚、立てかけられていた。

「事前に、衛星写真で確認したとおりですね!」

 巒華は、ディセンダーを、板に突っ込ませた。一瞬のうちに、駆け上がる。それの端から、ばひゅっ、と宙へジャンプした。

 車両は、そのまま、塀を飛び越えた。彼女は、ちらり、とバックミラーに視線を遣った。

 ディセンダーが突っ込んだ時の衝撃により、ウッドブロックの山は、崩れて、ぺちゃんこになっていた。板も、ほとんど水平になっていた。

 あれでは、もはや、ジャンプ台としては使えないだろう。現に、それの手前で、セダンたちが、次々と、成す術なく停まっているのが見えた。

「上手く行きました!」

 巒華は、小さくガッツポーズをした。視線を、フロントウインドウに戻す。

 数秒後、ディセンダーは、どしいん、という音を立てて、自動車道のアスファルトに着地した。サイドブレーキをかけながら、ハンドルを大きく右に切る。その場を、ドリフトしつつ曲がると、西に向かって走り始めた。

 しばらくの間、運転しながら、何度か、バックミラーに視線を遣った。しかし、十数分が経過しても、追っ手の類いが現れることは、なかった。

 巒華は、赤信号に引っかかったため、ディセンダーを、横断歩道の前で停めた。「どうやら、逃げきったみたいですね……」ほう、と、軽く安堵の溜め息を吐いた。

「そうだね……でも、まだ、油断はできない」嶺治が、助手席側にあるサイドミラーを見つめながら言った。「早く、ぼくの家に戻ろう。自宅には、きみも知ってのとおり、高性能な警備システムが備えつけられている。帰ってしまえば、もう、仙汕団のやつらには、手出しされなくなるだろうから」

「承知しました」巒華は顎を引いた。

 そう返事をしたところで、ちょうど、信号が青になった。彼女は、右足を、ブレーキペダルから離すと、アクセルペダルを踏み込んで、ディセンダーを発進させた。

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