第15話『圧倒的な暴力』

男は背中に大きな翼が生えたと言っていたが、アタシにはその姿は全くといって見えなかった。魔法少女の契約をしないと見えないのだろう。

男は得意げに説明を始めた。


「アメリカではユウウツバエはsomber flyと呼ばれています。向こうでは消滅濃霧バニッシュミストの発生件数が少なくユウウツバエは稀少で、そのぶんサイズが大きく狂暴です。と言っても依頼主から聞かされただけで私は直接その姿を見たわけでは――」


男の話が終わらないうちにまた鉄パイプを男目掛け投げつけた。高速回転しながら飛んできた鉄の塊を男はまるで蚊を追い払うかのように軽く手を振っただけで弾き飛ばした。


「私が注意を促しただけで人の話を聞かなくなるとは、思ったより素直な人ですね」


翼は見えないがそこにっていうのなら、近寄らないほうが良さそうだ。


百鬼蛮行から取り上げた鉄パイプを拾っては男に投げつけた。しかし一つとして男に傷を負わせることはできなかった。


「運動会のリレーのバトンは投げて渡すのは反則ですよ。ご存知なかったですか」

「これはドッヂボールだ。ただし玉は鉄で、お前にボールを投げる権利は無い」

「それなら倒れなかった私の勝ちですね」


こいつ、さっき戦った有象無象とはまるで違う。何故か分からないが反撃して来ないから負けることは無いが、こっちが勝てる要素も無い。


「さあ、そろそろ私も仕事を再開しないといけません。残り二人、魔法少女を殺して差し上げましょう」


男がジャケットからナイフと拳銃を取り出しツバキを狙った。


「私も元研究者の端くれとしては実験データを残しておきたいところです。ユウウツバエで身体能力を強化して投げるナイフと、火薬の爆発エネルギーで飛び出す銃弾。どちらが速いでしょうか。あなたたちも予想してみてはいかがですか。ではいきますよ!」


男はナイフを投げると同時に銃の引き金を引いた。


「気を付けろ!」

「分かってます。大丈夫です」


ツバキは手の角度や銃口の向きからどこに飛んでくるかを予想し、どちらにも対処できるよう身構えた。男からの距離は六メートル。大丈夫、自分の反射神経ならかわせる。


「――正解は、私自身が移動したほうが一番速い、でした!」


急に目の前で声がした、かと思えば手が伸びてきて首を絞められた。男がナイフと銃弾よりも早く移動してツバキの首を絞めたのだ。

そのまま男に押されて仰向けに床に倒れ、男が上に跨った。首にかけられた手を振りほどこうと手首を掴み、骨ごと握りつぶす積もりで力を込めた。骨が軋む音がしたが男は顔色一つ変えなかった。


「見てましたよ、あなたの曲芸。金属バットを素手で曲げることができる標的ターゲットはあなたが初めてです。somber flyの力が無ければあなたを殺すのは難しかったでしょう」

「ツバキに汚い手で触らないでよ!」


カザリが男を蹴飛ばしたが、岩のようにびくともしなかった。


「気を付けてくださいよ。今は首をゆっくり絞めて苦しみを長引かせつつ殺そうとしていますが、あなたのせいで手元が狂えば首の骨を折って即死させてしまいかねません。あなたのせいでお仲間が死ぬのは嫌でしょう」

「ふざけんな!ツバキはアタイの、昔っからの…ダチなんだ!アンタみたいな奴に理不尽に殺されてたまるもんか!!」


カザリは蹴るのを止めなかった。


「うるさいですね。そんなに騒がれると大切なお友達の断末魔が聞こえないじゃないですか。あなたは後でちゃんと殺してあげますからあっちで待っててください」


男は一瞬右手を離しカザリを右腕で突き飛ばし、再びツバキの首を押さえた。


「ぐ…」

「即死させないよう首を絞めるのって難しいですね。私、九歳のときに家族を殺した時以来一度も誰かを絞殺したこと無いんですよ。あなたが私の初めての人です。草木も眠る丑三つ時、月の明かりだけが照らす夜空の下で男女が体を重ね、男は絞め付ける快感を覚え女は苦しみに呻き声をあげる。言葉だけ並べれば中々ロマンチックに聞こえませんか」

「この変態野郎!いい加減手を離せ!」


セイラがバールを拾って男の背中を殴った。見えない翼に邪魔されるかと思ったがバールは肩甲骨のあたりに直撃した。しかし男は手を止めなかった。


「あなた、魔法少女じゃないですよね。あなたを殺すぶんのお金は貰ってないんですよ。何もしなければ危害は加えませんから、黙って見ててもらえますか」


反撃して来なかったのは金を貰ってないからだったのか。真面目というかセコいというか。


「そうはいくかよ!ここで引き下がって鉄拳のセイラの名を貶めるようなこと、するわけにはいかねぇ!」

「困りましたね。死体を増やすと処分の手間が増える、安全に処分するにはお金と時間がかかる。依頼主が負担してくれるとは限りません。そうだ、あなた自身が処理するお金を出していただけますか」


男の軽口を無視してセイラは殴り続けた。効果が無いように見えても何度も何度も続ければいずれダメージを与えられるはずだ。あの時もそうだった、一人でただひたすら殴り続けた結果、道が開けた。あの時から更に強くなった今なら男一人を倒すくらい出来て当然だ。やれ。やるんだアタシ。


「痒いだけかと思いましたが肩こりが解消されてきました。なるほど、初めから私を倒そうとは思っていなかった。私にマッサージをして日頃の疲れを癒そうとしてくれたんですね」

「いつまで余裕ぶっこいてる積もりだ。肩こりに効いたってことは、このまま攻撃を続ければいずれ筋肉を破り骨まで粉砕できる。アタシにも勝機があるってことだ」

「そのいずれは、この魔法少女が死ぬ前に訪れるといいですね」


ツバキはずっと手首を掴み抵抗してきたが、とうとう力が限界を迎え終には抵抗するのを止めた。

何か策は無いのか。戦えるのはアタシとカザリの二人だけ。ヒメには悪いがあいつじゃどうしようもない。カザリだって魔法少女に変身できないから大きな戦力にはならない。アタシ一人ではこいつを倒すのは時間がかかり過ぎる。ああ、どうすればいいんだ。


…いっそのこと、アスカを叩き起こして魔法少女の契約を交わすか。どんな魔法が使えるようになるかは分からないが、身体能力が強化されるなら役に立つはずだ。人を救うのに四の五の言ってられない。もうこれしか手は無い。




このときアタシは成り行きで魔法少女になることを決意した。それしか皆を助ける手段が無いと思ったからだ。

しかし結局、魔法少女にはならなかった。なる必要が無くなったのだ。ある予想外のことが発生し、殺し屋を退けることができたからだ。それは――



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