第三章 人か兵器か Ⅳ

 梓はドキリと肩を震わせてから押し黙り、またも愁思郎は間の抜けた声を出した。

 美穂が何思ってそんな事を言いだしているのかは分からず、愁思郎は阿呆のようにポカンと口を広げるしかない。


「何かダメなことでもあったのかな?」

「だ、ダメに決まってるでしょ!」

「デートしたその日にキスするのが? 人前でキスするのが?」

「……それは」


 しどろもどろになりながら、梓は気圧されたように答える。


「それとも――私と上月くんがキスするのが嫌な理由でもあるの?」

「――ッ!」


 梓は何も言わず、美穂を見据える。まるで見えない攻防が発生しているかのようだ。


 何だろう、とても空気が重い。

 空気の重量をこんなに感じた事が、今まであっただろうか。


 ふと愁思郎が気づく。


(あれ? おかしくないか?)


 何で愁思郎が美穂にキスをしようとしたという前提で話が進んでいるんだ?

 しかもこの言い合いだと、まるで美穂は愁思郎とキスをしたがっているような論調になっていないか?


 いや、今それはどうでもいい。

 この重たい空気から、一刻も早く逃れたい。


 再度愁思郎が口を開こうとした――その時だった。




 ドゴオオォォ――――ンッッ‼



 爆発音が鼓膜こまくを模したセンサーを貫き、さらには爆風がかたわらを駆け抜ける。あまりに大きな音に、頭蓋骨ずがいこつ全体が共鳴しているようだ。


 一拍遅れて地響きがして、テーマパーク全体が揺れているように感じる。


(何だ一体⁉)


 美穂と梓も呆気にとられている。

 焦燥感しょうそうかんあおるるように、遅れて鳴り響くハザードランプ。

 事故が起きたのだろうか。


「とにかく避難しないと――」


 愁思郎は避難口へ美穂と梓を連れて行こうとした。

 と、その前に立ちふさがる案内ドローン。


 ファンキーな見た目をしているドローンが、今は何か不気味な迫力を醸し出している。


「誰モ逃サナイ 我ラノ怒リヲ思イシレ」

「なっ⁉」


 案内ドローンに有るまじき物騒な物言いに、愁思郎も面食らう。


 本当に一体何があったというのだろう。

 その疑問に答えるように、スピーカーから放送が流れる。


 酷くノイズが混じった音源だった。


『エレクトリカル・ドームの入園者の諸君。このドームは我ら義体ぎたいあかつきが占拠した』


 愁思郎と梓は顔を見合わせた。


(義体の暁?)


 それは涼子も話していたテロ組織の通称だ。


(――まさか、テロ組織がテーマパークをジャック?)


 異常事態に思考が追いつかない。

 と、愁思郎たちがいたカフェスペースの入り口に、柄の悪い男が現れた。


 メタリックな手足をしていて、ひと目でサイボーグだと――それも裏社会の違法改造されたサイボーグであると分かる。


 その男の登場がきっかけとなった。

 爆発音、逃げ道を阻むドローン、不吉な放送。

 それらで不安を煽られた群衆ぐんしゅうがパニックを起こした。


「う、うわああぁぁ――っ⁉」

「逃げろ‼」


 周りの人間が散り散りに逃げ出す。


『不運にもエレクトリカル・ドームに来ていた諸君に告げる』


 またスピーカーから放送が入る。

 電子音で再現された音声だ。


 ノイズ混じりで音質が悪いのは、正体を把握されないためわざとやっているのだろう。


『我々の行いは改革――否、革命である! サイボーグが今甘んじている立場から脱却し、真の尊厳そんげんと自由を手に入れる為の!』


 朗々と響く声。

 悲鳴と怒号が混じり合うドーム内でもハッキリと聞こえる。

 それは雑な電子音でありながら、人の心を揺るがすような、熱を帯びていた。


『我ら義体の暁は問いたい。我らサイボーグはただの機械か? ただ人に使われるだけの道具か? ――否! 断じて否!』


 熱を帯びた声はうたう、その理想と理念を。


『サイボーグは人間だ! 例え手足を鋼鉄に変えようとも、血と心を持った人間だ! 不当にしいたげられていいはずがない! 我々義体の暁は、それを声を大にして宣言する!』

「――――」

『諸君らは我々の声明に説得力を持たせるための人質だ。死にたくなければ、ドローンの誘導に従い広場に集まれ。逃げ出そうとすれば、容赦なく殺傷する』

「――――――――」

 

 愁思郎は何も言わない。

 言えなかった。


 言葉にできない――言語に変換するのがもどかしい程のスピードで、思考が加速を始める。

 揺れ動いていた。


 テロリストの――犯罪者の言葉であると分かっている。

 だが愁思郎は、その言葉にひどく心を打たれていた。


 今の放送でテロリストが語った言葉。

 それは常々愁思郎が思っていたことではなかったか。


 愁思郎は、今テロリストが言った言葉を、己の言葉として言いたいと思っていたのではなかったか。


 ――他者を傷つけるべきではない。

 ――自分の要求を通すための、暴力行為など許されるべきではない。


 当たり前の良識。

 その良識をよしとする理性と、テロリストに共感している感情が、愁思郎のなかで相争あいあらそう。


 愁思郎は戸惑っていた。

 自分が本当は何をしたいのか。

 何を望んでいるのか――それが分からなくなったのだ。


「ちょっと愁思郎!」

「上月くん!」


 呼ばれてハッとする。

 放送に耳を奪われ、愁思郎は立ち尽くしていた。周囲に人影はなく、愁思郎たち三人だけが逃げ遅れてしまった。


「さっきの警告を聞いても動かねえとは――お前死にたがりか?」


 カフェスペースの入り口に立っていたサイボーグが口を開いた。

 口調は静かだが、凶暴さを秘めている。そんな声だ。


「……」


 返事にきゅうする愁思郎。

 迂闊うかつだった。


 これからどう行動しても、この男に何かしらの危害を加えられることは避けられないだろう。


 どうするべきか──愁思郎は微動びどうだにせず思案する。

 しかしそんな愁思郎が気に入らなかったのだろうか。


「……なんかムカつくな、てめぇ」


 言うが早いか、男の蹴りが飛んだ。

 機械化された鋼鉄の脚による蹴りは、金属バットで殴られるに等しい。ただの蹴りでも必殺の凶器である。


 うなりりを上げる蹴りを、愁思郎はまともに喰らった。

 大振りな回し蹴りが愁思郎の脇腹に直撃し、ピンボールのように愁思郎は吹き飛ぶ。


 カフェスペースに並んだテーブルや椅子をなぎ倒し、三メートルは水平に吹き飛んだ。


「愁思郎⁉」


 梓が目を見張みはる。


 愁思郎が本来の力を出せば、さっきの蹴りなど防ぐことは容易い。防げずとも、吹っ飛ばされることなどないだろう。


 しかし愁思郎は吹き飛んだ。

 何故か? ──それは恐れと迷いのせい。


 ここで戦えば愁思郎がサイボーグであることが美穂にバレてしまう──彼女から拒絶さてしまうのではという怖れ。

 そして彼らを本当に止めていいのかという迷い。


 もしかして『義体の暁』は、愁思郎にとって決して悪ではない――それどころか、愁思郎の苦悩を救ってくれるのではないかという甘いささやき。

 

 それらが愁思郎の判断を鈍らせ、一瞬の判断の遅れが愁思郎に不覚ふかくを取らせた。


「オラッ‼」

「ぐっ!」


 愁思郎が男の蹴りで吹き飛んだことに梓は動揺どうようし、その動揺に乗じて男は梓にも蹴りを放つ。

 

 梓は咄嗟とっさにガードするが、それでも吹き飛ばされる。

 そして男の前には美穂が一人取り残された。


「……ひっ」


 美穂が息をんだ。恐怖に顔を歪め、子鹿のように震える。

 男はニヤリと嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべた。


「なあどんな気分だ? 普段見下してるサイボーグに、狩られる気分はよ?」

「…………」


 美穂は答えない。

 すくみ上がった美穂は無言で震えるだけだ。


「間違ってると思わねぇか? 俺らサイボーグの方が、普通の人間よかよっぽど優れてる。だってのに、この国じゃサイボーグはどこいっても除け者だ。化け物か怪物か、それかただの機械として扱われてる――おかしいと思わねぇか?」


 床に倒れ伏しながら、愁思郎は男の言葉を聞いていた。


 その通りだと思った。

 なぜサイボーグはこんなにも差別されるのだろう。


「この国を変えるには、お前らみてぇなのんべんだらりと生きている輩の犠牲が必要なのさ」


 男が拳を振り上げた。金属製の拳は、人の頭など簡単に潰すことのできるハンマーに成りえる。


「できるだけ人質にしろって言われてたんだが……警告に従わないでいたお前らなら、殺しても何も言われねえだろうよ」


 愁思郎は決断を迫られた。


 美穂を助ければサイボーグだとバレる。

 このまま何もしなければ美穂は死ぬ。


(どうする? どうすればいい⁉)


「――ふざけないで!」


 急に美穂が叫んだ。

 瞳に涙をめながら、それでも気丈きじょうに男をにらみ付ける。


「あなた達がどんな仕打ちを受けていたとしても、人を傷つけていい理由になんてならないわ! どんな力を持っていたって、こんな事を平気でできるあなた達サイボーグは人でなしよ!」


(――ッ!)


 愁思郎は痛みを覚えた。

 感じないはずの胸の痛みを。


「こいつ――」


 男は額に血管を浮かび上がらせた。決壊寸前のダムのように殺意がみなぎっている。


 愁思郎はただそれを見ていた。

 動き出さない理由が出来てしまった。脳裏のうりで美穂の言葉を反芻はんすうする。


 ――美穂はサイボーグを人でなしだと言った。

 それが彼女の答えだ。


 美穂も世間一般の人間と同じ。正体を隠し仲良く出来たとしても、本当のところでは分かり合えない。


 それなら美穂を助けたところで何になる。

 別に美穂は悪いことを言っているわけでも、変なことを言っているわけでもない。


 これが普通。

 これがこの国や社会での常識なのだ。


 今、愁思郎は裏切られたような気でいる。

 でも美穂は裏切ったわけじゃない。むしろ美穂に正体を隠し、美穂を裏切り続けてきたのは愁思郎の方なのだ。


 これは当然の報い。

 ならここで日常の全てを――あの楽しかった美穂と話す放課後の日々を、失ったとしても受け入れよう。


「自分の立場が分かってねえんじゃねぇかっ‼」


 激昂げきこうした男はさっきよりも大きく拳を振りかぶる。

 あれが振り下ろされれば、美穂は死ぬ。


 ――


「うおおぉぉぉぉっ!」


 愁思郎は気付けば動き出していた。

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