第三章 人か兵器か Ⅲ

 待ち合わせ場所は最寄り駅、水滴を模したモニュメントの前である。

 今日は休日なのもあってか、街ゆく人も家族連れやカップルが多い。


(少し早かったか)


 腕時計を確かめると、愁思郎はモニュメントの近くの柵に腰掛けた。


(昨日は大変だったな……)


 美穂が来るまでの時間つぶしとして、何となく昨夜のことを思い出す。


 美穂から届いた一通のメール。

 それは今度の休日、隣町にある屋内型テーマパークに、一緒に行こうという誘いのメールだった。


「……佐久間さんから、テーマパークに誘われた」

「――はぁっ⁉」


 梓が大声を上げる。かなり驚いているようだ。

 その反応──梓が驚いている事に、愁思郎の方も驚く。


「な、何だよ」

「そそそ、それってつまり――」

「デートのお誘いね」


 口ごもる梓のセリフを代弁すると、涼子はニヤニヤと愁思郎を見る。


「愁思郎にデートのお誘いがくるようなガールフレンドがいるなんて知らなかったわ〜。どんな子なの?」

「ガールフレンドって」


(いや、女の子の友人という意味なら、間違ってはいないのか?)


 などと考えながら、答える愁思郎。


「そもそも、これってデートなんですかね?」

「若い男女が二人でどこかに遊びに行ったら、それはもうデートでしょ」


 涼子のあまりに明確な返事。明確すぎて反論できない。


「いいわねぇ、青春っぽくて」

「……そういう涼子さんは、おっさんっぽいですよ」

「いいじゃない。人の恋路こいじほど面白いものはないわよ」

「俺で遊ばないでください。ていうか恋路ってわけじゃ」

「じゃあ愁思郎は、その佐久間さんって子のこと、どう思っているの?」


 ショックを受けて押し黙っていた梓が、ガタッと立ち直り涼子を見る。


「好きなの?」


 重ねて問う涼子──返事にきゅうする愁思郎を楽しんでいるようだった。こういうところは、年甲斐もなく悪戯っ子のようでもある。


 愁思郎は自問自答する、美穂のことが好きなのだろうか。

 答えは出ない。ただ思っていることを正直に口にする。


「……よくは分かりません。ただ……」


 一旦間をおいて、出来得る限り考えを整理する。

 そうだ。これだけは確実に言える。


「一緒にいると嬉しいのは確かです」

「……ッ……‼」

「ふうん……」


 梓は息を呑み、涼子は面白そうにニヤニヤと笑ったまま頷いた。

 ――そこまで思い出して、愁思郎は頭を抱える。


 思い返すと、相当恥ずかしいことを言っている。何故あの時、素直に答えてしまったのだろうか。


 どうにも愁思郎には、時折恥の意識が消えて、思ったことがそのまま口に出る時がある。妙な癖だ。


(直さないとな)


「――お待たせ」


 美穂の声が聞こえた。

 愁思郎が顔を上げると、私服姿の美穂が立っていた。


 フリルのついたブラウスに、チェックのプリーツスカート。足元はヒールの高いブーツを履いている。


 髪もいつもと違って緩いウェーブが入っており、つややかな髪が風に揺れるたびに陽光が反射してキラキラと輝くようだった。


「早いね、待った?」

「……そんなには待ってないよ」


 美穂に見惚れて、愁思郎の返事が一瞬遅れた。

 制服ではない美穂の姿はとても新鮮だった。


 色鮮やかな服装で着飾った美穂の印象は、学校で見るものとは大分違う。眩しいくらいに輝いて見える。

 

 見惚れていた事を誤魔化ごまかすように愁思郎は口を開いた。


「じゃあ行こっか」


 美穂と愁思郎は改札へと向かった。




 電車の中で他愛のない話をしていると、すぐに目的の駅に着いた。

 今日の目的地は、駅から出てすぐのところに新設された屋内型テーマパーク『エレクトリカル・ドーム』。


 最新のテクノロジーを使った、仮想現実VR拡張現実ARによるアトラクションがメインのテーマパークだ。

 最近の流行りらしい。


 休日だということもあって人通りは多く、ドームの入場口に向かう途中でも既にすごい人混みだ。


上月こうづきくん」


 美穂が愁思郎の手を握った。


「はぐれたら大変だから」


 美穂はやや紅潮した顔で言った。愁思郎にも美穂の意図はわかる。

 はぐれたら大変――半分は本当で、半分は建前だ。


 たしかにドームのチケットは誘ってくれた美穂が持っているから、はぐれてしまうと愁思郎はドームに入れない。


 けれどそれだけではない。

 愁思郎と手を繋ぎたい──美穂はそう思うっているのだろう。


 それが分からないほど愁思郎も唐変木とうへんぼくではないし、それを口にするほど野暮天やぼてんでもない。


 美穂の柔らかな手を握り返しながら愁思郎は思う。


 こんな時、自分の身体が生身ならどうなっていたのだろうか。

 ドキドキと胸が痛いほどの高鳴りを感じたりするのだろうか。


 今の愁思郎にはそれがない。

 精神状態が身体に影響を与えるということがないのだ。


 たとえどれほど緊張したとしても、身体が強張ることはない。どんな恐怖を覚えても動けなくなることもない。

 どれほど恥ずかしいと思っても、頬が赤くなることはない。


 人造の身体は――人工製の筋肉は、心臓は、皮膚は、変化しない。


 変化しない身体に、事さら愁思郎は思ってしまう。

 自分は機械なのだと。


「……どうしたの?」


 美穂が心配そうに尋ねる。


「何が?」

「また暗い雰囲気になっているから」


 愁思郎は少し驚く。気持ちが表情に出ていたのだろうか。


「俺、暗い顔になってた?」

「ううん」


 美穂は首を振る。


「ただ何となく、そんな感じがしただけ」


 何故だろう。

 何で美穂は、愁思郎の心の動きが分かるのだろうか。


 いや、今それはどうでもいいことだ。

 今は楽しもう──せっかく美穂が誘ってくれたのだ、楽しまなくては損。彼女にも失礼というものだろう。


「何かあった?」

「何でもないよ」


 努めて明るい声で、愁思郎は答えた。



 

 二時間後。


「疲れたー、ちょっと休憩しよ」


 テーマパーク内のフードコートで、美穂はテーブルに突っ伏す。愁思郎は苦笑しながら隣に座った。

 ドームに入ってから、様々なアトラクションに挑戦した。


 美穂は普段の大人しいイメージとは裏腹に、積極的に激しいアトラクションをやりたがった。


 特に現実ではできない複雑なコースのジェットコースターを体験できるアトラクションが気に入ったようで、三回も乗った。


「実際にはほとんど動いていないって分かってるけど、怖くなるし疲れるんだから最近のVRってホントにすごいよね」

「そうだね」

「……本当にそう思ってる?」


 疑わしいと眼差しで訴えかける美穂。


「上月くんはずっと平気そうだったけど」

「……俺も怖かったし疲れてるよ。顔に出ないだけ」


 嘘だった。

 愁思郎の身体には各種センサーが内蔵されている。


 これにより、人間らしい反応を行えたり、感覚を覚えたりできる。しかし、それらは生身の感覚と根本的に違うものなのだ。


 仮想現実VRとは人の視覚しかく聴覚ちょうかく触覚しょっかくといった人間の感覚に働きかけ、仮想の世界を現実だと錯覚さっかくさせる技術だ。


 しかし愁思郎のセンサーは精巧せいこうにできているので、生身の人間用のVR技術では愁思郎のセンサーは誤魔化せない。


「…………」

「そんなジトってした目で見ないでくれよ」 


 ふくれっ面で見られ続けるのは、あまりいい気分ではない。


「まあ、いいけど」


 少し拗ねたような口ぶりで顔をそらす美穂。


(ちょっと子供っぽいな)


 休日だからだろうか。それともテーマパークだからだろうか。普段学校で見せる顔とは違う美穂の一面を見ている気がする。


 知らず知らず愁思郎の頬が緩んだ。


「あっ、今笑った」


 美穂が大げさに指摘する。


「良かったよ、上月くんが笑ってくれて」

「――え?」


 それはどういう意味だろう。


「最近の上月くん、ずっと雰囲気暗かったでしょ」

「雰囲気が暗いのはいつもだと思うけど」


 伊達にクラスで孤立はしていない──言っていて少し悲しくなるが。


「いつにも増してだよ。今日だってずっと笑ってなかったよ」

「……そうだったんだ」


 愁思郎は気が付かなかった。


「うん。いつもは話さなくても、こう何ていうのかな……穏やかな顔してるのに、最近はちょっと思い詰めてる感じがしたからさ」

「…………」

「何か悩みがあって、話せない事情があるのかもしれないけど……気晴らしくらいなら付き合えるかなって」


 不覚にも言葉を失った。

 

 そうか。

 急な誘いだと思っていたが、彼女なりに愁思郎のことを気遣ってくれていたのだ。


 愁思郎は痛まないはずの胸が、痛んだ気がした。


 美穂に本当のことを話したい。

 正直に全てを打ち明けられたら、どんなにいいだろう──それでも愁思郎は言えなかった。心のどこかで、まだ美穂のことを信じきれてはいないのだ。

 

 拒絶されることを恐れている。

 拒絶される可能性を危惧している。

 

 美穂を見やる。

 微笑む彼女の顔が眩しい。

 錯覚であるはずの胸の痛みが増す。


 恥ずかしい。

 美穂に対して不誠実である自分が猛烈に恥ずかしい。

 ――言ってしまいたい。


 心が傾いている。

 自然と口が開いた。


「――佐久間さん」

「何?」

「あのさ……」


 愁思郎は美穂と向き合うと――


「ちょっと待ったぁ!」

「「え?」」


 いきなりの横やりに、愁思郎と美穂の戸惑いの声が重なる。美穂は声そのものに戸惑い、愁思郎な声の主に戸惑とまどいを覚えた。


 愁思郎と美穂の話に割って入ったのは、南条梓なんじょうだった。


「南条さん⁉」

「なんでいるんだ梓?」


 梓は赤い派手なトップスに、黒いホットパンツという恰好をしていた。

 いつも通り脚部の露出が激しい。


 梓は自分がサイボーグであることに誇りを持っており、機械化された脚が露出する格好を好むのだ。


 非常に目立つ格好だが、それ以上に梓の顔色が目を引く。

 彼女の顔はトップスに負けないくらい顔を赤かった。


「黙って見ていればアンタって奴は――! 女の子とイチャついて、往来でキスでもするつもりだったの⁉」

「――は?」

「な、何を言ってるの南条さん⁉」


 愁思郎は首を傾げ、美穂は予想外のことにあわてふためく。


「黙って見ていればって……梓お前、もしかして俺のこと尾行してたのか?」

「ええ⁉」


 美穂は顔を赤くして、驚愕きょうがくする。


勿論もちろんよ」


 梓は胸を張って答える。


「……少しは悪びれろよ。趣味が悪いぞ」

「アンタの調子が変だったからね、良からぬ事をしないとも限らないと思って」

「俺を何だと思っているんだ」

「休日に女の子に呼び出されて、鼻の下を伸ばして出ていくようなケダモノ」

「俺のどこがケダモノなんだよ。俺ほど紳士的な男はいないぜ」

「何が紳士的よ」


 梓は紅潮した顔で、愁思郎をにらむ。


「キスしようとしたくせに」

「それが誤解だ」


 何故そんな話が出てくるのか。


「イチャつきながらアトラクションを回って、カフェでお茶しながら話して、急に神妙な顔をしたと思ったら、佐久間さんの顔を見つめて! 顔を近づけるんだもの、キスでもするのかと思うわよ‼」


 はたから見ると、そんな風に見えていたのだろうか。盛大な勘違いをしているが、見ようによってはそう見えないこともない。


 黙って聞いていた美穂が口を開いた。


「ねえ南条さん」

「何かしら」

「さっき上月くんが私にキスしてたら、何が問題だったの?」

「……ッ……!」

「――は?」


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