第五章 鏡像 Ⅲ

「――な――に?」

 愁思郎はすぐに理解ができなかった。

 結城と愁思郎が同じ境遇きょうぐうだと?


 困惑こんわくする愁思郎をよそに、結城は語り続ける。


「君も薄々気づいていたんじゃないか。君の体と俺の体は、元々同一の設計思想によって作られている。俺は……元々、機甲特務課きこうとくむかに所属していたんだよ」

「!」

「言うなれば、俺は君の先輩というわけだ」

「……」 


 愁思郎は言葉が出なかった。

 理解できなかった。

 理解したくなかった。

 

 それでも脳裏のうりによぎるのは、結城のセリフを裏付ける様々な情報。


 裏社会では出回っていない、健常者の規格のボディで、規格外の超高出力と耐久力を実現する高度な技術。それは国の機関のみに可能な、高度な技術だ。


《結城正誤の過去は何も分からないのよ》


 涼子の言葉を思い出す。

 国家機構の諜報力ちょうほうりょくを持ってしても知り得ない情報。

 それは国家が情報を抹消まっしょうしたからに他ならない。


 結城の存在が愁思郎や涼子のような現場で働く末端には伝えられない、国家機密扱いになっていたから。


 そもそも結城がなんで、愁思郎たちの行動を予測できたのか。

 それは元々結城自身が、機甲特務課に所属していたからなのか……。


「きっかけは些細なことだった。『義体ぎたいあかつき』で地下活動を行いつつ、障害しょうがいになるような組織をピックアップしていた時に、古巣の機甲特務課がどうなっているのか調べてみた。はじめて君のことを知った時は驚いたよ。俺と同じじゃないかって」


 結城は朗々ろうろうと語る。


「両親を事故で亡くした。親類はいなくて天涯孤独。国家特命救命措置法に基いて、半強制的にサイボーグになり機甲特務課に所属。以後は国家のイヌになって、同じサイボーグを狩る日々。それはかつて、俺が辿った軌跡そのものだった」

「……なんでお前は、テロリストになったんだ」

「国に裏切られ続けたからだ」


 結城の声は熱を帯びる。


「国家のため、市民のため。そのお題目を信じて戦い続けた。けれど、俺を待っていたのは、賞賛しょうさんではなく畏怖いふ蔑視べっしだけだった」


 戦えば戦うほど。

 結城を周りの人々は恐れた。

 その隔絶かくぜつした実力を、人は化物を見るように扱った。


「……」


 愁思郎は何も言わずに耳を傾けていた。

 聞きながら思い出す。

 助けたはずの相手から畏怖され、拒絶される苦しみを。


 それは愁思郎も確かに感じてきた事だ。不本意だが、愁思郎には結城の気持ちが痛い程によく分かってしまう。


「それでも俺は戦い続けた。いつか分かってもらえると信じて……だがそれも裏切られた」


 あまりにも大きくなった結城の力は、国家からも脅威判定きょういはんていを受けるに至った。


「ある日、俺は任務の最中に同僚から撃たれた。任務中の事故に見せかけて、抹殺まっさつされるところだったのさ」


 結城の目が遠くを見る。思い出しているのだろうか。

 信じていた友に、背後から撃たれた時の動揺と絶望を。


「俺はなんとか逃げ延びて……この国を変えようと考えた。復讐心もあった。だがそれ以上に、この理不尽な社会が許せなかった」

「……」

「君も感じているんじゃないか、この社会の歪みを」


 望まず変えられた機械の体。選ばざるを得なかった、戦い続ける道。

 その先に報われるものは何もない。


《あのガキ本当に人間か?》

《脳みそ以外は機械なんだろ。仕事の時以外は脳を切り離しておけばいいのに》

《こ、来ないで! 近寄らないで! バケモノ!》


 脳裏のうりに焼き付いて離れない言葉の数々。

 思ったことがないわけじゃない。いつも心の奥底に燻っている、やり場のない怒りやなげき。


 それを結城の言葉は掘り起こしてくる。


「もう一度言う――俺と来い、上月愁思郎こうづきしゅうしろう。一緒にこの国を変えよう。一度全部壊して、俺たちサイボーグの生きやすい、新しい社会を作ろう」


 お前の行く道の先に希望はない。だから俺と来い。

 結城はそう言っている。


 それは悪魔的で蠱惑的こわくてきささやき。

 しかし愁思郎は揺るがなかった。


「――断る」


 静かに――しかし確かな口調で愁思郎は答えた。

 拒絶の意志を。


「……何故だ?」


 結城の顔がわずかに歪む。

 冷静を装ってはいるが、その声には本気の戸惑いがうかがい知れる。


「このまま……一生を何も報われることなく、国に使われて生きていくつもりか!」


 結城の激しい言葉を前にしても、愁思郎は怯むことなく結城を見据える。


「分かる、分かるよ。お前の言っていることは」


 愁思郎の言っていることは嘘ではない。結城の言うことに、愁思郎は本気で共感していた。


 それでも。

 いや、だからこそ。


「その道に誰かを巻き込んで良い理由にはならない。俺もあんたも、勝手に体を改造されて、生かしてやったんだから、国のために働けよっていいように使われて――うんざりするよな。俺もうんざりしてる。辛いよ。でもだからこそ、その辛さを知っている俺達が、誰かにその辛さを強いていいわけがない」

「……」

「もう一度言うぞ。佐久間さんを開放しろ、結城正誤ゆうきしょうご!」

「何故だ……何故分からない」


 結城はさらに大きく顔を歪めてなげく。


「そうまでして救う価値が、この娘にあるのか?」

「あるさ。俺の生きている意味、そのものだと言っても良い」


 彼女の言葉があったから、愁思郎はこうして立っていられる。

 美穂が人間だと認めてくれる限り、愁思郎は決して非道には堕ちない。世界に絶望することもない。


 立ち向かえる。

 最後まで人間でいられる。


「くっ……」


 裏切られたような顔をして、結城は唇をんでいた。

 今なら分かる。この男は愁思郎の鏡像なのだ。


 あまりにも強すぎたが故に信頼できる人物から、人間だと認められる事のなかった愁思郎こそが結城正誤。


 ならば負けられない。

 その横っ面を殴り飛ばして、目を覚まさせてやる──愁思郎は拳を握りしめた。


「う――おおおぉぉぉ!」


 気合一閃。

 愁思郎は雄叫びを上げながら、結城に向かっていく。


(切り札のパイルバンカーは最後まで使えない――)


 あれは対物破壊にこそ秀でてはいるが、対象を掴んでから杭を射出するまでタイムラグがある。

 その一秒にも満たないタイムラグさえ、結城正誤を相手取るには荷が重い。パイルバンカーを撃てるだけの時間を、何とかしてつくらなければならない。


(一瞬でいい――なんとか格闘戦で隙をつくれれば!)


 戦闘技術に長ける結城に、格闘戦で隙をつくるのは至難しなんわざだ。

 ──それでもやるしかない。


 鋭いワンツーを撃つ愁思郎。

 咄嗟に結城は、両腕を上げてブロック。虚を突かれたのか、反撃の手が出ない。


「お前は――孤独だっただけだ!」


 叫びながらパンチを撃ちまくる。

 ジャブ、ストレート、フック、アッパー。

 オーバーハンドブローにボディブロー。


 パンチを矢継ぎ早に繰り出す愁思郎。怒涛どとうの連打に押される結城。

 愁思郎の連打の回転が安定して速い。隙きが少ないので、結城も中々反撃できないでいる。


「誰かに認めてもらいたくて、理解者を求めていただけだ! それからも目を背けて、国を変えるだなんて耳障りのいい言葉を喚いていただけだ‼」

「――ふざけるな!」


 結城の前蹴りが、愁思郎の胸板を撃つ。

 跳ね飛ばされる愁思郎。


「お前が何を知っている! 何も分かっていない癖に、知ったような口を効くな!」


 今度は結城のターンだ。

 愁思郎のようなパンチだけのコンビネーションではない。

 パンチからキックへ――上段、中段、下段と流れるように繋ぐ、華麗なコンビネーション。


 愁思郎は防御しようとするが、全ては受けきれない。

 何発か喰らう。


 殴られた右側頭部みぎそくとうぶのセンサーが壊れた。

 蹴られた左太腿部ひだりだいたいぶは、外装パーツが砕けた。


 既にダメージの蓄積ちくせきした胴体部は、何とかガードしたものの、伝わってくる衝撃は、確実に内部の動力機関に損傷を与えていく。


 愁思郎の体は、着実に稼働限界かどうげんかいに近づきつつあった。

 しかしそんな体の損耗そんもうを無視して愁思郎は叫ぶ。


「少なくとも、お前が素直になれないだけのクソガキだってことは分かるぜ!」

「減らず口を!」


 さらに苛烈かれつさを増す結城の攻撃。

 フラストレーションのせいか、パンチがやや大振りになる。


(ここだ!)

「なっ⁉」


 結城の放った右ストレートを、愁思郎はあえて喰らった。結城の拳が、愁思郎の額を穿うがつ。


 驚く結城。

 即座に愁思郎は、ボディブローを打ち返した。

 愁思郎の右拳が、結城の鳩尾みぞおちに深々と突き刺さる。


「ぐっ……!」


 一拍遅れて結城が吹き飛んだ。結城の目にははっきりと動揺どうようが見て取れる。


 千載一遇せんざいいちぐう好機こうきを前に、愁思郎の身体は考えるより先に動きだした。

 吹き飛んだ結城に肉薄にくはくするや否や、左の掌を打ち出す。


 結城が身を捻るのと、パイルバンカーが射出されるのはほぼ同時。


 轟音と共に撃ち出されたパイルバンカーは、結城の脇腹をわずかにかすめ、コンクリートの壁に深々と突き刺さる。


「クソッ!」

「……ッ‼」


 この状況はマズいと判断したのだろう。

 舌打ちする愁思郎に反撃するでもなく、結城は横っ飛びにステップ、さらに倒立後転を繰り返して距離を取る。


 その顔には驚愕きょうがくの色がありありと見て取れた。


(これしかない……!)


 愁思郎は決意を固める。

 結城の攻撃を防御しようとしても、到底受けきれない。このままでは削られるだけでジリ貧になる。


 なら防御は捨てるしかない。

 相打ち覚悟で打ち抜けば、何とか一撃は入る──その時できた隙に、パイルバンカーを撃ち込むしかない。


 両者のへだたりは、距離にしておよそ六メートルほど。

 対人格闘ではお互いの攻撃が届く距離ではないが、サイボーグ同士の格闘では話が違う。 


 今までの格闘から、お互いに相手の攻撃の届く範囲――間合いは掴んでいる。

 今の距離が、互いに間合いの一歩外。

 わずか一歩でも踏み出せば、即座に相手を攻撃しうる射程に入る。


「……」

「……」


 無言でにらみ合う。

 ここに来て、戦闘は膠着こうちゃくおちいった。


 守りを捨て、相打ち覚悟で向かい合うのなら、そこに攻防は発生しない。

 ただ先に必殺の一撃を叩き込んだ方が勝つ。


 愁思郎にはパイルバンカーという切り札──必殺の一撃がある。その点に関して言えば、何発も殴り続けなければならない結城より、愁思郎の方が有利と言えるだろう。


 だが結城の格闘技術は圧倒的だ。

 さっきの愁思郎の反撃は、予想外だったが故に喰らったに過ぎない。相打ちを狙ってくるならば、そうわきまえた上で攻撃を組み立てるだけの事。


 もし愁思郎が迂闊うかつに攻撃に出れば、簡単に避けられ、一方的に結城の攻撃を喰らい続ける羽目になるだろう。


 これまでの戦闘で追っているダメージの総量は、愁思郎の方が断然多い。これ以上結城の攻撃を受け続ければ、間違いなく破壊される。


 トータルで状況を見た場合、戦況は全くの互角。

 故にどちらも迂闊に動けない。


 攻め込むか、迎え撃つか。毛ほどの隙も見逃すまいと、相手を一心に凝視ぎょしする。

 ほんのわずかな――それこそ一瞬の差が勝負の明暗を分けると、互いに理解していた。


 二人の視線が交錯こうさくする。

 結城の燃えるような瞳──その義眼の奥底にあるかげりを愁思郎は見た。

 それを見た瞬間、自然と言葉が口をついた。


「お前の底が知れたぜ、結城正誤」

「何……?」


 静かに愁思郎が口を開く。


「お前の行動には一貫性がなかった。客観的に見て、合理的とは思えない行動が多々あった。おかげでAIのプロファイリングじゃ、お前の行動を予測できなかったし、だから俺は最初、お前のことを底知れない奴だと思ってた──でも違った」


 美穂の言葉があったからこそ、愁思郎は気付けた。

 この男も理解者を求めていた。


 その孤独を分かち合える者を、共感してくれる誰かを──そう思えば愁思郎に対する執着も、美穂をサイボーグにしてしまおうという行動も分かる。


 自分と同じような仲間を、結城は求め続けていたのだ。

 だからここまで愁思郎に執着した。

 自分と同じ境遇、同じ苦悩を抱えた愁思郎を。


「知ったようなことをほざくな……お前に何が分かるというんだ!」

「分かるさ」


 愁思郎と結城は同じだ。

 身体を機械に変えて、どれ程の力と強さを得たとしても、それで孤独が満たされる訳じゃない。


 その孤独を埋めるために、藻掻もが足掻あがき、戦い続けた男。

 結局のところ、結城正誤も苦しみ続けたただの人間に過ぎない。


「分かったから俺はここにいる」

「――!」


 一瞬、結城の目が見開かれる。

 それを見逃さず、愁思郎は勢いよく一歩踏み込んだ。

 半瞬遅れて結城は迎え撃つ。

 

 左の掌打を繰り出す愁思郎──いきなりパイルバンカーを叩き込むつもりだ。


めるな!」


 隙もつくらずに切り札を決めようなど、思い上がりもはなはだしい──結城は憤然ふんぜんたる面持ちで愁思郎の左手を払い除けるや否や、さらに肘の内側に貫手ぬきてを叩き込んだ。


 関節部の強度は、全身義体のサイボーグといえど低い。自壊じかい躊躇ためらわなければ、パイルバンカーのような特殊兵装がなくても破壊可能だ。


 貫手を繰り出した結城の左手指が砕け、同時に愁思郎の左腕が肘から千切れた。これでもうパイルバンカーは使えない。


(貰った──!)


 結城は勝利を確信。

 続く反撃の一手を繰り出そうとした──次の瞬間、結城の首は宙を舞っていた。


「がはっ……⁉」


 何が起きたのか結城には全く分からなかった。

 地面に落ちるまでの間、一瞬結城の視界に頭部を失った自分の体が映る。


 見れば愁思郎の右の貫手が、結城の喉元を貫いている。愁思郎が狙っていたのはパイルバンカーを囮にして、同じように貫手を関節部に叩き込む事だったのだ。


 結城の首はゴロゴロと床を転がり、頭部を失った体は彫像のように動かない。


「くっ……!」


 愁思郎は倒れ込んだ。

 義体の限界──ダメージを無視した駆動に、ついに愁思郎の体が耐えきれなかったのだ。


 倒れ込んだ愁思郎の顔のそばに、結城の首が転がっている。

 全身義体のサイボーグはそう簡単には死なない。結城は頬を歪めて言う。


「お前も……」


 結城の目は愁思郎を射抜く。


「お前もいつか……俺のようになる」

「……俺はお前のようにはならないよ」


 薄れ行く意識の中、愁思郎はそう答えた。

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