エピローグ

 日差しが差し込む病室。

 椅子に腰掛けた愁思郎しゅうしろうは、窓から外を眺めていた。


 自分の左肩に触れる。

 もげたはずの左腕は、もうすっかり元通り──破壊の痕跡こんせきさえない。


 まるで結城との死闘が夢であったかのような錯覚さっかくを抱く。

 こういう時に、愁思郎はつくづく自分が機械でできた部品の集合体でしかないのだと思ってしまう。


「なに黄昏たそがれてんのよ」

 病室――修理室というべきか。

 部屋の入口に立った梓が声をかけて来る。


 ここは警察病院の片隅。

 愁思郎のような、全身義体のサイボーグを治療・修復する病棟だ。


「梓はもういいのか? 体の調子は」


 梓の負傷箇所ふしょうかしょは背中――生身の部分だ。

 愁思郎のように、パーツを換装かんそうして元通りという訳にはいかないはずだ。


「もう大丈夫よ。怪我自体はすぐに治ったし、体力さえ戻れば、すぐに今まで通りになるわ」

「え? すぐに治ってたのか?」

「全身義体のあんたは知らなかったでしょうけど、今は生体医療の分野だって進んでるのよ」


 iPS細胞による肉体器官の再生と、ナノマシンによる細胞レベルの細かさの治療により、傷んだ筋肉の修復や骨折程度なら数日で完治できる。


「そうなのか。ニュースとかで聞いたことないけど」

「ここは国の機関の病院で、私達はその極秘部署のエージェントなのよ。公表前の最先端医療を一番最初に受けられるのは、当然私達でしょ」

「それもそうか」


 もちろん、愁思郎たちがその医療の被験体ひけんたい

 実地検証じっちけんしょうのデータとして使われている、という事でもあるのだろうけれど。


「梓が元気になったんなら良かったよ」

「……!」


 外を見ながら、何の気なしに愁思郎はそう言った。


「……あんたってズルいわ」

「え?」

「そういうこと、サラッと言うとこ本当にズルいと思う。なんかムカつく」


 見れば梓の顔が赤くなっている。

 何か怒らせることを言ってしまったのだろうかと愁思郎は考える。


(普通に無事を喜んだだけ何だけどな……なんで怒られてるんだ?)


 愁思郎は思い当たることがなく、首を傾げた。


まし顔で何をほざいてんのよ……まったく」


 梓はしばらくブツブツと何かつぶやいていた。

 ひとしきり言いたいことを言い終えた梓は、改めて愁思郎に問う。


「で? 今度は何を悩んでるの?」

「……ん」


 愁思郎の悩み事が、周囲にバレてしまうのはいつものことだ。

 今更驚いまさらおどろいたりしない。

 素直に愁思郎は口を開いた。


「ちょっと結城と話したことを、思い出してたんだけどさ」


 結城との死闘を繰り広げたあの日。愁思郎の居場所を突き止めた涼子が、人員を集めて倉庫へ急行。

 美穂は無事救出され、結城は拘束された。


 結城は存在そのものが国家機密であり、国の存亡を左右するほどの人物だった。

 秘密裏に極刑が下されるかと思ったが、彼の築いた組織や有している情報が貴重なことあり、彼は極刑だけは免れた。


 ただしその義体は必要最低限の機能のみを有した劣悪な物で、現在は囚人として隔離されているという。


 全ての自由を奪われ、牢獄の中で彼は何を思うのだろう。


「あいつは言ったんだ。いつかお前も、俺のようになるって……」


 薄れ行く意識の中で聞いた、最後の言葉。

 朧気おぼろげなはずなのに、鮮明せんめいに今も覚えている。


「あんたはどう答えたの」

「俺はお前のようにはならないって言った」


 あの時は強くそう断言できた。


「今もそう思ってる。でも、これから先もそう思い続けられるか、自信がない」


 これから先辛い現実が、どうにもならない理不尽が、この身を襲い続けたら。

 いつか……愁思郎もあんな風に苦しんだ末に、社会に復讐を誓うようになるのだろうか。


「まったく、あんたって奴は……」


 先をうれう愁思郎の言葉を聞いて、梓はやれやれとため息をついた。


「そんな事、考えても仕方がないでしょ」

「そうか?」

「そうよ」


 きっぱりと言う梓。


「この先、何があってどうなるかなんて、誰にも分からない。だったら、まだ来てもいない未来を不安に思って何になるのよ」

「楽観的だな」

「あんたが悲観的過ぎるのよ」


 ビシっと指先を愁思郎に向ける梓。


「あたしは事実を言ってるだけ。先をなげくぐらいなら、今を大事にしなさい!」

「……」

「あんたは大丈夫よ。あんたが折れそうな時は、あたしが助けてあげるから。これからもずっと」


 愁思郎は静かに笑う。

 梓の優しさが胸に染みた。


「なんか……プロポーズみたいだったな、今の」

「な! な、ななな、な!」


 梓は面白いくらい顔を赤くして、愁思郎に思い切りローキックをかました。


「バカじゃないの!」




 梓が退院した数日後。愁思郎と梓は登校路を歩いていた。

 他愛もないことを話しながら、学校へ向かう。


「今日の朝ごはんちょっと手抜きじゃなかった」

「はいはい。悪かったよ」


 愁思郎は答えながら、不思議な感覚にとらわれていた。

 なんでだろうか。

 こうして学校に向かって歩くのが、久しぶりであるかのように愁思郎は感じた。


「あ」


 十字路に差し掛かった時、声が聞こえた。

 愁思郎が声の方を振り向くと、美穂が立っている。

 美穂は並んで歩く二人を見ると、居ても立ってもいられないといった風に二人に飛びついた。


「さ、佐久間さん?」

「ちょ、ちょっと⁉」


 美穂の行動に、愁思郎も梓も目を白黒させる。

 ゆっくりと絞り出すように、美穂は言った。


「――お帰り、二人とも」

「……」

「……」


 愁思郎と梓は思わず顔を見合わせると、頬を緩めた。

 万感の思いを込めて、愁思郎は答える。


「うん、ただいま」


 帰ってきたのだ、いつも通りの日常に。


 その時、愁思郎は思えた――自分は人間だと。


 隣に支えてくれる仲間がいる。

 自分を人間として認めてくれる人がいる。


 この温かな日常の中でなら、愁思郎は人間として生きていける、と。


 これからもこの日常を守り続けよう――そう胸の奥で誓いながら、愁思郎は二人と一緒に学校へと向かった。

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