第五章 鏡像 Ⅱ


 ふと美穂は目を覚ました。

 意識がぼんやりとしている。

 

 薄暗い──ここは何処だろう。

 周囲を見回すと、寂れた倉庫のような場所だった。


(何でこんなところに?)


 美穂は起き上がろうとしたが、手足が動かない。

 その時初めて、美穂は自分が拘束こうそくされている事に気づいた。


「目が覚めたかい?」


 すぐ近くで声がした。

 体を大きく動かせないので、首だけで声のした方を向く。

 そこには、図書室に尋ねてきた男がいた。


「あ、あの……」

「状況がまだ飲み込めていないようだね」


 男が静かに言う。


「嘘をついて済まなかった。俺の名前は結城正誤ゆうきしょうご

「――結城!」

「ふふ、俺の名前を聞いてはいたようだ」


 美穂は身をすくめた。

 出かかった悲鳴をぐっと飲み込んで、毅然きぜんとした態度で尋ねる。


「何でこんなことをしたの?」

「へえ」


 結城は感心したように声をらす。


「この状況下で半狂乱にならず、冷静に対話をこころみる。並大抵の度胸じゃできない。君は大した人物のようだね」


 感心しているのか。

 あきれているのか。

 あおっているのか。


 結城の口調からは分からない。


「その質問に答えるのはもう少し後にしておこう、二度手間になる」

「どういうことですか?」

「できれば彼が来てから、話そうと思ってね」

「上月くんのことですか」

「ふふ」


 笑って頷く結城。


「君は彼を釣り出すためのえさだ。まあそれ以外にも、やってもらうことはあるけどね」

「……」


 美穂は無言で息を呑む。


「何、そんなに非道ひどい事はしないよ」


 美穂は目を閉じた。眼尻から涙があふれる。


(上月くん……!)


「さて、彼が来るまでどのくらいかかるかな」


 楽しそうに結城は言った。


「どれだけ彼が慌てふためくか。どれだけ彼が君に執着しているか。興味深いね」


 美穂は何も言わない。

 結城はそれを面白そうに見ていた。


 この少女は何を考えているのだろうか。

 愁思郎に一刻でも早く来てほしい、自分を強く求めてほしい。大切だと思っていてほしい。

 そう考えているのだろうか。


 それとも、来なくてもいい。結城に愁思郎を近づけたくない。

 そう思っているのだろうか。


 どちらとも考えられるし、もしかしたら全く違うことを考えているのかもしれない。

 見えることのない人の心を推し量るのは、とても興味深く面白い娯楽だった。


(さてと、今頃彼はどうしているかな?)


 結城そう思ったときには、足音が聞こえてきた。

 風を切って走る音。


 ダンッ!


 ひときわ大きな音がして、倉庫の入り口に制服姿の少年が立つ。


「やあ、待ちかねたよ上月君」

「結城!」


 愁思郎がえた。

 その顔は怒りに燃えている。


「上月くん!」

「佐久間さん! 無事か⁉」


 愁思郎の問いに、美穂は大きく頷く。

 愁思郎は美穂が無事であることに安堵し、すぐに結城に向き直る。


「結城ィ!」

随分ずいぶんな剣幕だな」


 怨嗟えんさほとばしる愁思郎の声を、結城は柳に風と受け流す。


「思ったよりも大分早かったね。君の洞察力どうさつりょくは大したものだよ」

「ふん……半分以上誘ってただろ」


 愁思郎は怒りをころして答える。

 冷静に、冷静になれ──ここで怒り狂っては相手の思うつぼだ。


「お前は俺を仲間に引き入れようと躍起になっていたフシがある。そして天涯孤独てんがいこどくの俺を誘い出せるようなネタは限られる。梓は警察病院、涼子さんは警察の中枢ちゅうすうで働いている。一番狙い易いのは佐久間さんだけだ」

「ここはどうして分かったんだい?」

「テロ事件の日に、麻薬組織の一斉摘発いっせいてきはつの件も見ていたと言っていたことを思い出した。ここにもお前の息がかかっていたんだろ。お前の狙いからしても、ここには色々と機材が揃っている。打ってつけってわけだ」


 ここには用心棒のサイボーグ、スティールがかくまわれていた。サイボーグが潜伏するには、調整のためにも色々と設備が必要になってくる。


 それらの設備は、まだ接収せっしゅうされずに残っているはずだ。


「ほう? 俺が何をやろうとしていたか、分かっているかのような口ぶりだな」

「おおよその見当はついている」

「……へえ」


 挑むような目つきで、結城は愁思郎を見る。


「では答え合わせといこうか」

「……佐久間さんを勝手にサイボーグにしようとしているんだろ」

「……!」


 美穂は衝撃に身をすくめた。

 ヒュウと結城が口笛を吹く。


「正解だ」


 にこやかに微笑ほほえむ結城。

 その笑みは狂気に歪んでいる。


「この国でのサイボーグ蔑視べっし。それを是正ぜせいするにはどうしたら良いか? 俺はずっとそれを考えていた」


 サイボーグへの差別的な扱い。

 その根底にあるのは、サイボーグの持ついくつかの問題。

 一つは特別な機能を有している場合が多いこと。


「非合法な改造を施せば、簡単に人間大の重機が出来上がる」


 そしてそれに対する恐怖。


「道をすれ違う時に、すぐ隣をトラックが通り過ぎたら怖いだろうからね」


 だが、それだけではない。

 人間の肉体に、機械を埋め込む。

 それはかつて夢の技術だったが、同時に人の根幹を揺るがすもの。


「結局、人は自分と違うもの、管理できないものを恐れる」


 そうした恐怖がサイボーグへの蔑視へと繋がっていると、結城は考えた。


「こうしてサイバネティクス技術は、公的に認められた理由でなければできなくなった。今ではその公的な理由でサイボーグになった者さえ、自身がサイボーグであることを露見するのを恐れ、嫌がるという」

「……」


 それは正に、愁思郎がしてきた事だ。

 美穂に、クラスメイトに、正体を隠し続けてきた。


 それは職務的な守秘義務に基づくものだったけれど、もちろんそれだけではない。

 先日吐露せんじつとろした通りだ。


 親しくなった人物に、嫌われるのが怖いのだ。


「なんともなげかわしい状況じゃないか。そこでふと思った」


 結城は美穂を見やる。


「そういった想定から外れた存在を作り出し、世に問うてみるのも面白そうだな――と」

「……!」


 再度美穂は息を飲み込んだ。


「公的に認められるか、非合法か。どちらにせよ、被験者が自らの意志でサイバネティクスを受けることに変わりはない。現行で想定されているのはこの二つの事例のみだ。では、そこで第三者から意図せずに勝手に改造されてサイボーグになった者が現れたらどうなるだろうか?」


 人は新しい価値観や倫理基準を求められることになるだろう。


「彼女の存在が、社会に対するアンチテーゼ。くさびになる。ああ……」


 思いついたように結城が言う。


「そうやってサイボーグ増やしていって、最終的にこの国の国民全員がサイボーグになってしまえば、強制的に差別意識をなくす事ができるかもしれないね」

「馬鹿げている」


 愁思郎はそう言った。心底そう思った。


「革命的な考えや思想というものは、得てして馬鹿げたものにみえるものだよ」

「ふざけるな!」


 言いながら、愁思郎は恐怖を感じていた。


 この男には力がある。

 サイボーグとしての機能ではない。人としての能力――魅力だ。


 この男なら本当にそれを成してしまいそうだと思ってしまう事が怖い。


「相手の意志を問わずにサイバネティクスを押し付ける――お前のやっている事は、ただの独善だ!」

「ほう君がそれを言うのかい? 国家特別救命措置法こっかとくべつきゅうめいそちほうで、今の役職やくしょくいた君が」


 国家特別救命措置法――事故等で死にかけた市民に対してサイバネティクスによる延命を施す。高度な機器を使って生存する代わりに、サイバネティクスを施された人物は公的機関の保護監督下に置かれ、働くことを義務付けられる。 


 愁思郎が今、公安局特務機甲課に所属しているのは、この国家特別救命措置法があったからだ。お陰で愁思郎は今も生きているが、同時にサイボーグとして戦う運命を背負わされている。


「そもそもテロリズムとは、暴力的な行為で相手に自分たちの要求を飲ませるというものだ。独善的なのは当たり前だろう?」

「……それが許されると思っているのか」

「俺を許さないかどうかは、後世の歴史家たちに任せるとするさ」


 ダメだ。

 愁思郎では言葉でこの男を止めることなど出来ない。となれば、後は力づくで止めるしかない。


 愁思郎は固く拳を握る。

 またたく間に空気が張り詰めていく。


「――結城ィィィィ!」


 愁思郎は駆け出した。

 地を蹴って間合いを詰めると、渾身こんしんの右ストレートを叩き込む。


「お前は単純だな」

「ッ⁉」


 目にもまらぬ速度で突っ込んできた愁思郎を、結城は華麗かれいに受け流す。


 受け流した時の身体のひねりをめにして、結城は即座に反撃を返した──右の回し蹴り。

  

 愁思郎は両腕でブロックするが、威力が高い。吹き飛ばされ、壁に背中を打ち付ける愁思郎。

 結城は追い打ちをかけた。


 体勢を崩すことなく間合いを詰める結城。スムーズなフットワークだ。

 愁思郎は退路を絶たれた。下がれない。


 愁思郎も構え直し、結城を迎え撃つ。

 牽制けんせいのジャブを連打。

 左の連打から右ストレート――それを目眩めくらましに、足元を左のローキックでる。


 結城はパンチを全てパーリングで叩き落とし、ローキックを膝を上げてガードするや否や、防御の為に上げたその脚でサイドキックを放つ。

 結城の左踵が、愁思郎の腹部にめり込んだ。


「がっ!」


 痛覚つうかく疑似神経ぎじしんけいはカットしてある。それでも腹部を圧迫された反応として、愁思郎の呼気こきれる。


(クソッ!)


 愁思郎は腹部にめり込んだ結城の左脚をつかむ。

 脇に抱え込むようにして体ごと倒れ込み、関節を捻った。


「おっと」


 結城は捻られる脚に逆らわず、自分から倒れ込んで、関節を破壊されることを防ぐ。


 両者床に倒れ込んだ。

 相手を壊す為に自分から倒れ込んだ愁思郎と、壊されない為に倒れ込まされた結城。

 

 その差は次の行動を起こすまでの判断力の差となって現れる。

 愁思郎が一瞬早く立ち上がる。

 結城はまだ地に伏せたままだ。


 愁思郎は結城を蹴り飛ばそうとする。

 絶対的に愁思郎が有利な状況だ。

 確実に一撃入る――そう思った愁思郎の予想を、結城は軽々と超える。


 結城はブレイクダンスのように、床に手を付けたまま、逆立ちのような体勢で蹴りを放った。 

 蹴りがクリーンヒットして、愁思郎はまた吹き飛ばされる。


「ぐっ……!」


 二度も腹部に蹴りを食らい、ボディがきしみを上げている。

 痛みこそ感じないが、体の限界が近いことを、愁思郎の体に埋め込まれた各種センサーが警戒音でげていた。


 なんとか立ってはいるものの、すでにボロボロの愁思郎。

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくたたずむ結城。


 その姿が、そのまま両者の如何ともしがたい実力の差を物語っていた。

 わずか数合打ち合っただけの攻防で、戦闘技術の差ははかれたと言っていい。


 パークでの戦闘の事もそうだが、この結城正誤という男、戦闘技術が高すぎる。

 義体の性能に頼った戦い方をしていない。


 機械の体を十全に使いこなす修練をしっかりと積んだ上で、数多の修羅場をくぐり抜けた者の持つ凄みを感じる。


「実力の差は身にしみて分かったと思うが……まだ続けるか?」


 軽口を叩く余裕さえ見せて、結城は微笑んだ。


「なあ……」


 愁思郎は口を開く。


「何で俺にそんなにこだわるんだ?」

 それはずっと思っていた疑問だった。

 愁思郎を邪魔だと思っているのなら、こんな余裕なんて見せずにさっさと殺せばいい。結城の戦闘技術は、明らかに愁思郎を上回っている。

 間違いなく愁思郎を殺せるはずだ。


 だが結城はそれをしない。

 それどころか、愁思郎を殺さないようにしているようにも思える。


 ここに誘い込んだのもそうだ。

 ヒントなんて残さず美穂を攫っていれば、すぐに美穂をサイボーグにしてしまえただろう。

 テロ事件にしたって、愁思郎をスカウトする為に仕組んだフシさえある。


「何故だ?」


 何故それほどまでに、愁思郎に拘るのか。

 それが見えないのだ。


 結城の表情が変わった。

 貼り付けたような微笑が消え、表情筋が少しも動かない。能面のような顔になる。


「……君になら俺と同じ考えに到れると思ったからだよ。

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