第五章 鏡像 Ⅰ
とあるうらぶれた雑居ビルの屋上に、貸しコンテナが並んでいる。
実は義体の暁がいくつか確保してあるセーフハウスの一つだった。
そこで渋沢と結城が向かい合っている。
「本当にやるんですか?」
「ああ、やるよ」
渋沢の問いに、結城はあっさりと答えた。
その様子に渋沢は呆れるしかない。
「あれだけの事件の後ですからね、今は警戒が厳しい。兵隊だっていない。上手くいかない公算のほうが大きい」
「それは承知しているよ」
「……それでもやるんですか?」
「ああ」
頷く結城。
渋沢はやれやれとかぶり振る。
この男は、偉大な
ほとんど生身の体を捨てていても。
脳みそをコンピューターで拡張していたとしても。
その精神は、紛れもなく人間のそれだ。機械のように合理性や論理的であることを、この男はかなぐり捨てる時がある。
今まではそれが上手く機能し、警察のプロファイリングを撹乱させてきた。
だが、今回はそれが悪い方へ働いている気がする――渋沢はそう思った。
(それ程までに、あの少年に
渋沢は重々しく口を開く。
「私が付き合えるのはここまでです。この先は、結城さんだけでやってください」
「ああ、分かっている。今までありがとう渋沢」
別れを告げて結城は歩き出す。
その背を渋沢は見ていた。
(あの人もここまでか……面白い人だったんだけどな)
歩き出した結城は止まらなかった。
警察病院を出て家へと戻る間、愁思郎は歩きながら考え込んでいた。
(涼子さんの反応……)
結城について、思い当たるところがやはりあるのだろう。
でも言わなかった。
(言えなかった……としたら?)
言えない事情があるとしたらそれは何だ?
愁思郎には思いつかない。
(結城正誤……一体何者なんだ?)
テロ組織『義体の暁』のリーダーにして
危険な思想と行動力を併せ持つ革命家。
サイボーグの差別を是正すると掲げる思想犯。
健常者と全く変わらない見た目、優れた容姿、化け物じみた性能の義体と非常に高い格闘技術を持っている。
分かっていることはこのくらいだ。
これから何をしてくるのか、まるで予測がつかない。
(……本当にそうか?)
愁思郎は知っている。頭ではなく、理屈ではなく、体感として知っている。
結城正誤の熱量と狂気を。
機械だらけの体をしていながら、あれほど人間的な男を愁思郎は見たことがない。それ故に危険な男だと、本能が分かっている。
公安局のプロファイルによれば、結城正誤はしばらく潜伏して姿を消すだろうと予測している。
先の事件で多くの手下を失ったからだ。
大掛かりな事はできない。まして都市圏の警戒は上がっている。動きたくても動けないだろう――ということになっているが、本当にそうだろうか?
(あの男は、そんな計算だけで動く男じゃない)
素人考えではあるが、多少なりと言葉を交わした印象として、結城には深い知性を感じた。
あの男は恐ろしいほど緻密に計画を練り、これまで一度も警察機構に
でも、そんな損得だけで動くわけでもない。
先日の計画だって、思えばそれほど意味のある行動だったとは思えない。
結城正誤の行動を起こす基準――その認識がどうも実態とズレているような気がしてならない。
(何だ? この瞬間、結城は何を企んでいる?)
奴は何をしたがる?
何に執着していた?
(俺か……?)
そうだ。
思えば結城が
仮に結城正誤の狙いが愁思郎を仲間にする事だったとしよう。
愁思郎を懐柔することは出来ないとドームの一件で分かったはずだ。それでも愁思郎を仲間に――配下に加えようとした時、結城はどんな事をするだろう。
一人でできることには限界がある。大きなことはできない。
例えば――愁思郎に関わりのある人物を人質にとっての脅迫とか。
(まさか⁉)
天涯孤独で親類のいない愁思郎にとって、人質として効力を
梓は警察病院で
だがもう一人、愁思郎を動かすことのできる人物がいる。愁思郎を変えてしまった少女――
迂闊だった。
結城か結城の隣にいた渋沢という男が、凄腕のハッカーだという事は分かっていた。その情報収集能力を使えば、美穂と愁思郎の関係性などすぐに分かってしまうだろう。
「くそっ!」
愁思郎は学校へ向かって走り出した。
美穂は図書室の椅子に座り、窓から外を眺めていた。
ため息が出た。
(あたしに何ができるんだろ)
ぼんやりとした眼差で、校庭を見下ろす。
事件に巻き込まれた後、事情聴取や負傷の検査、カウンセリングなど受けた。
その最中にいる間は目も回るようだったけれど、それもすぐに終わった。
気付けばいつも通りに、佐久間美穂は学校の図書室にいる。
その事に何か罪悪感のような物を覚えていた。
(南条さんは戦って入院してる。愁思郎はまた悩みながらも、戦い続けてる)
遠くを見た。
(あたしだけがいつも通りここにいる)
自分だけが何もしていないようで。
自分には何も出来ないと言われているようで。
美穂にはそれが辛かった。もちろん、佐久間美穂は一般人であり特別な技能なんてないし、何かができるような立場も資格もない。
それは分かっている。
(変に責任を感じてるのは私か……)
美穂はかぶり振る。
まだ
それに振り回されても何にもならない。今はただ、二人がまたいつもの日常に戻ってくると信じて待つしかないのだ。
そう思うと、美穂の心は軽くなった。
「やあ、失礼するよ」
不意に声がした。
図書室の扉が開いて、男が入ってくる。
長身で細身だが弱々しい印象はしない。
陽の光を浴びていないのだろうかと思うほど、肌が際立って白い。
まとう雰囲気が独特で、二十代の若者にも初老を迎えた老人のようにも見える。
――
「佐久間美穂さんは君かな?」
「は、はい……そうですけど」
いきなり現れた結城に警戒感を示す美穂。
結城は懐から、偽の身分証を取り出した。
「私は警察のとある部署の人間でね……君のボーイフレンド――上月愁思郎君の関係者とでも思ってほしい」
「はあ……警察の方ですか」
やや警戒感を下げる美穂。
「君に話を聞きたくてね」
「もう事情聴取は済んだはずですよね?」
「以前の事情聴取の補足でね。少しだけでいいんだ」
結城は人の良さそうな笑みを浮かべる。その人当たりの良い笑顔と、警察官という身分で美穂は結城のことを殆ど警戒しなくなった。
結城にとっては大変都合がいい。
事件について質問していく内に少しずつ話題を変え、いつの間にか結城の関心事――愁思郎に関することを話すように、結城は美穂を誘導していく。
「――ああそれと上月君の事についても、君から話を聞いて良いかな」
「上月君について……ですか?」
結城は笑顔で頷く。
その笑みと巧みな話術に、美穂は違和感を覚える事もなかった。
「ええと、何を話せばいいんでしょうか?」
「佐久間さんから見て、上月君はどんな人なんだい? どう見えているのかな」
「上月くんがどんな人か……」
改めて考える。
美穂が見てきた上月愁思郎という人物のことを。
「彼は……ずっと悩んでました。何がについては言えませんけど。なんというか真面目な人だと思います。悩んでいることを有耶無耶にできない、それに真正面から向き合って答えを出すまで、悩み続けている。そんな人です。あととても優しい人」
「優しい人……」
「自分が悩んでいる時も、誰かのために動ける人。それを当たり前だって思っているから、いつも自己評価が低い。でも誰かのために動くことを止めたりしない。息をするように人を助けることのできる人です」
「ふうん」
結城は
「佐久間さんと彼は付き合ってたりするのかな?」
「え⁉」
ストレート過ぎる言葉に、美穂の顔が赤くなる。
「ま、まだ付き合ってはないです。ただの友達ですよ」
「まだ……ね。それは将来的にはそういう関係になることを望んでいると考えていいのかな」
「こ、言葉の
顔を紅潮させながら、必死に弁明する姿は大変可愛らしい。
(なるほどな)
結城は納得した。
こんな娘が近くにいたら、愁思郎はああなるだろう。
「君は……彼にとってどれほどの価値を持った存在なのかな……」
「え?」
美穂が疑問に声を出した時、結城の手が閃いた。
美穂は意識を失った。
(くそっ! 間に合ってくれ!)
急いで受付のカウンター内を見ると美穂の鞄があった。
その上に、置き手紙だろうか。小さなメモ用紙が置いてある。
ドクン──完璧な
ひったくるように手にとって、内容を改める。
置き手紙には、
『君のガールフレンドは
とだけ書かれていた。
「くそっ!」
一歩遅かった。
美穂は結城に
(考えろ、考えろ、考えろ愁思郎! 奴なら──あの男ならこの後どう動く⁉)
かつてないほど高速で、愁思郎の脳は回転する。
結城の狙いが愁思郎なら、必ず愁思郎が思い当たり、美穂を助けにいけるような場所に向かうはずだ。
(それは────!)
愁思郎は図書室を出て走り出した。
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