第四章 危険な男 Ⅴ
事件は一応の終息を迎えた。
結城が逃走した後突入部隊がパーク内を制圧し、人質は保護され愁思郎と梓も回収された。
特に梓は結城との戦闘の負傷が激しく入院することになった。
「く……ぐぅ」
くぐもった声でうめきながら担架で運ばれる梓を、愁思郎は見ていることしかできなかった。
その後も事後処理や、事情聴取に追われ、三日後にようやく愁思郎は通常通りに登校を許された。
今は放課後。愁思郎はぼんやりとした面持ちで、図書室の椅子に座っていた。
ページに視線を落としながら、文章が頭には入ってこない。
物思いに
読書に集中できなかった。
「……心配だね」
背後から声がかかる。
心配そうな顔で、愁思郎に歩み寄る美穂。
「南条さん」
「……大丈夫だよ」
「そっか」
病院での検査結果によれば、命に別状はないらしい。死ななくて良かったと捉えるべきか、重症を負わせてしまったと悔やむべきか。
悩むところではある。
「あれだけの事件があったんだから、上月くんや南条さんは、もっと誇ってもいいと思うよ。だって誰も死ななかったんだから」
先日のテロ事件で、奇跡的なことに死傷者はゼロだった。
新聞各社やテレビ局の報道陣には、特殊部隊が秘密裏に動いたと説明がなされている。
「それでも黒幕は逃がしちゃったからな」
結城の行方は杳として知れない。
それが引っかかる。
客観的に見て、愁思郎と梓はよくやったと思う。
出来得る限りのことをやって、最善を尽くした。その結果、一人の犠牲者も出さずに、テロ事件を乗り越えた。
だと言うのに、素直に喜べない。
あの事件で多くのサイボーグが逮捕され、結城は手下を大勢失くした。すぐに何かをやらかすとは思えない。
しかし、このまま黙っているような男とも思えなかった。
「元気出して……って言っても、気休めにもならないよね」
「ううん、ありがとう」
美穂に礼を言ってから、愁思郎は立ち上がる。
「今日はもう帰るの?」
「うん。今日はこれから梓のお見舞いがあるんだ」
「南条さんのお見舞い……」
美穂は考え込んでから言う。
「それ、私も行っていい?」
「ああ……気持ちは嬉しいけど、ごめん。ちょっと難しいかな、色々と複雑でさ。梓が入院してるのって、普通の病院とは違うから」
「そっか、そうだよね」
梓はサイボーグであると同時に、政府公認の極秘部署のエージェントなのだ。負傷した際に治療を受ける病院も、警察病院の特殊医療棟になる。
民間人の美穂を連れていけるところではない。
「それじゃ伝言頼めるかな」
「何だい?」
「『早く元気になってね、学校で待ってる』って伝えて」
「分かった」
愁思郎は頷くと図書室から出ていった。
その背中を美穂は複雑な面持ちで見ていた。
警察病院に愁思郎は入った。
受付で身分証を提示し、案内された病室に向かう。
長い廊下の先。梓の病室がある。
「涼子さん」
「愁思郎」
梓の病室に涼子がいた。
「遅くなりました」
「大丈夫、私もちょっと前に来たばかりだから」
「梓はどうですか?」
愁思郎は視線を、ベットで眠る梓に向ける。見たところ寝顔は普通そうだ。
「さっきまで起きてたんだけど、疲れて眠っちゃったわ」
「そうですか」
「一歩遅かったわね」
愁思郎は顔を
「ひどい奴ですね俺は……ちょっと安心しちゃいました」
「安心?」
「梓にどんな顔して会えばいいか、分からなかったんで」
「そういうこと」
涼子が頬を緩めた。
慈愛に満ちた聖母のような表情になる。
「梓は気にしてないわ。愁思郎のせいじゃない」
「そうでしょうか」
「本人が起きてた時に言ってたわ。
「え?」
「どうせ愁思郎は変に責任感じてるだろうけど、『あたしが痛い目にあったのはあたしの実力が足りなかったから。愁思郎は関係ない、自惚れるな』だって」
「……梓らしいですね」
言葉に
「……愁思郎、分かってあげて。梓は言葉選びがぶっきらぼうだけど、貴方のことをとても気にかけてるのよ」
「分かってますよ、勿論」
愁思郎の知っている南条梓という少女は、すごく厳しくて。
「すごく優しい女の子だと思ってます」
「そう……なら良かった」
涼子が優しく微笑む。
「あなた変わったわね」
「そうですか?」
「以前のあなたなら、そんな風に言えなかったと思う」
「ですかね」
「何があったの?」
よく分からない。
ただ、もし愁思郎が変わったのなら、それは美穂にある言葉を言ってもらえたからだ。
「俺を人間だと言ってくれる人がいました。それだけで、何だか救われた気がするんです」
「そうだったの……」
ごめんなさいね――と急に涼子が謝った。
「どうしたんですか急に」
「貴方がそう言ってもらいたいって、思っていることは気づいていたわ。でも言えなかった」
「……」
「梓は人っていう括りや価値にこだわっていなかった。むしろそんな事を考えるから苦しむんだと考えていた。だからことさらに、自分たちを優秀な兵器だと言った。私はあなた達を人間だと思っていた。でも私は立場上、あなた達を兵器として扱わなくちゃいけない場面が確実に存在する。今までも、これからも」
「涼子さん……」
「だからあなたが人間だって、言ってあげられなかった。ごめんなさい」
「いいんです。謝らないでください」
梓の考えも涼子の気持ちも、今の愁思郎なら理解できる。
誰が悪いなんて話じゃない。というか愁思郎が、一人でただ迷って悩んで苦しんでいた。
それだけだ。
「ふふ、それにしても愁思郎をこんなに変えちゃうなんて、その言葉をくれた人はよっぽどいい娘みたいね。佐久間さんって言ったかしら」
「ちょ⁉ 涼子さん」
「お姉さんその子に凄い興味があるんだけど、紹介してくれない? 話してみたいわ」
「……なんか嫌ですね」
「ひどくない⁉」
「絶対からかうでしょ」
「バレた?」
「俺を
愁思郎は、はぁ……とため息をついた。
「俺が梓の負傷に責任を感じることはない……ってみんな言ってくれます。けど、それでもやっぱり、梓をこんな目に合わせたけじめは付けさせないと」
愁思郎は固く拳を握る。
「あの男――結城正誤について、分かったことはないんですか?」
「……う〜ん」
涼子は歯切れの悪い返答を返す。
「正直なところを言うと、何も分からないとしか言えないわ」
「何も分からない?」
「ええ」
「貴方の証言と記憶。パークにあった監視カメラの記録。全てを統合して、モンタージュやプロファイルリングで調べを進めているけど、結城の身元や過去については、何も分からないわ」
「そんな馬鹿な」
愁思郎たちが所属しているのは、政府公認の警察機構──いわばこの国で一番の諜報力を持っている組織なのだ。
それなのに何の情報も得られないなんて事があり得るのだろうか。
「……それでも作成されたモンタージュで、全国の監視カメラには
「そうですか」
涼子が言葉を
涼子には結城正誤の正体や過去について、心当たりがあるのだろうか。
「知っての通り腕の立つサイボーグであり、危険な男よ。いつ緊急出動要請が出ても良いように心しておいて」
ややわざとらしく涼子が話題を打ち切った。
愁思郎は少し間を開けて、
「了解です」
と答えた。
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