第四章 危険な男 Ⅲ

 踏み込んだコントロールルーム。

 その奥に、何やら怪しい人影が立っている。


 片方は長身銀髪の美丈夫、もう一人はくたびれた中年の男。

 銀髪の美丈夫が口を開いた。


「待っていたよ上月愁思郎こうづきしゅうしろう君」

「⁉」


 息を呑む愁思郎。愁思郎の名前を知っている――それも来ることを見越して待ち構えている。


(この男は何者だ?)


 男は慇懃いんぎんな仕草で愁思郎に会釈えしゃく

 愁思郎は警戒感を強めながら、男を細かく観察する。


 整った顔立ちをした長身の男だ。その笑みを浮かべたその風貌は、若者のようにも、老練の学者のようにも見える。


「俺の名前は結城正誤ゆうきしょうご――有り体に言えば、君のファンみたいなものかな」

「ファン?」


 何を言っているんだこの男は。


「お前が『義体ぎたいあかつき』のリーダーってことでいいんだよな」

「うん、まあそうだね。その理解で間違いはない」


 悪びれもなく、結城はそう答えた。

 愁思郎は苛立いらだたしに言い放つ。


「ふざけた事を言うな」

「ああ怒らないでくれ、何もふざけてはいないんだ。俺が君のファンなのは本当だよ」

「……」

「もっと言えばスカウトしたいと思っているんだ」


 結城は愁思郎に向かって、はっきりと言った。


「俺たち《義体の暁》の仲間になってくれないかな」

「ふざけるなって言ってんだよ!」


 愁思郎は叫ぶ。

 結城は動じるでもなく、淡々と言う。


「君は自分の存在や置かれている環境をどう思っている?」

「……」

「不安があるんじゃないか? 不満があるんじゃないか? 人間扱いされてないって思う事はないか?」

「それは……」

「俺はね、この国を変えたいのさ。君のように優れたサイボーグが、平和を守るために必死に戦っている。にもかかわらず、君を化物のように扱い、蔑視する人間が大多数だろう? それは間違いだと俺は思っているのさ」


 雄弁ゆうべんに語る結城。

 その言葉は、愁思郎の想い、迷い、悩み、そのものだった。


「しかしこの社会を真っ当な手段で変えるのには、多大な時間と労力がいる」


 それはそうだろう。社会がすぐに変わることなどない。 

 だがテロリズムならばどうか。


「大きなインパクトのある事件は、それ一つで大きく世論を動かす事も可能だ。いましいたげられているサイボーグが、いったいどれだけいると思う? 俺達が立ち上がれば、それは大きな波となってこの国を飲み込むだろう。その為に――」


 君の力を貸してくれないか――結城はそう言った。



 結城の言葉には不思議な力があった。

 聞くものの心を動かす言葉の力。悪魔的なまでのカリスマ性。


 隷属したくなる悪魔のささやきだ。

 今までの愁思郎なら、その囁きに耳を貸していたかもしれない。だが愁思郎は首を横に振った。


「――断る」


 力強い口調で断言する愁思郎。


 今の愁思郎に迷いはない。それは美穂の言葉があったからだ。

 自分を人間だと認めてくれる人がいる――それだけで愁思郎は強くれる。


「世間が、社会が、世界が。俺を化物だとののしっても、俺は人間だ。俺を人間だと言ってくれる人がいる限り、俺は人間だ」


 そして――愁思郎は結城をにらみつける。


「俺が人間で、この社会の秩序を守る側である以上、お前たちの好きにはさせない。お前はここで逮捕する」

「……驚いたな」


 結城は心底意外そうに眼をく。


「君は俺に共感してくれると思ったんだけど」

「考え自体は分からなくもない。今の社会に不満があるのは俺も同じさ」

「なら……」

「けど、やり方が気に食わない。社会を変えるのが破壊活動なんて間違っている。俺達サイボーグが人間だっていうのなら、人間らしい手段でやらなきゃいけない」

「テロリズムは人間的な手段の一つだと思うけどね」

「見解の相違ってやつだな」


 それまで黙っていた渋沢が口を開く。


「振られちゃいましたね」

「彼とは分かり合えると思っていたんだがね」


 結城は肩をすくめた。

 言葉は尽くした──もはや語り合うことはない。


「結城さん、手早く終わらせてくださいよ。あんまり時間を駆けすぎると、逃げるタイミングを無くします」

「分かっているよ渋沢――どのくらい時間はある?」

「せいぜい数分ですな」

「それだけあれば十分だ」


 結城の雰囲気が変わった。

 姿勢や表情が変わってわけではないのに、ギラギラとした殺気――肉食獣のような獰猛どうもうな空気をまとう。体に埋め込まれたセンサーではない、感覚を越えた第六感が愁思郎に危機を告げていた。


 愁思郎は身構える。


(――来る!)


 結城の姿が消えた。

 そう思ったときには、結城は愁思郎の間合いを侵略しんりゃくしている。

 超低空の踏み込み──上体を極端に前傾させて一瞬のうちに踏み込む事で、愁思郎に消えたと錯覚さっかくさせたのだ。


「シッ!」


 鋭い呼気が耳朶じだを打つ。

 繰り出されるのは、上体を倒した反動で突き上げるアッパーカット。それは鮮やかに愁思郎のあごとらえた。


 凄まじい威力だ。愁思郎の体が、後方斜め上に三メートルは跳ね上がる。


「が……はぁっ」


 久方ぶりに感じる危機的な痛みに愁思郎は総毛立そうけだつ。

 何だこの威力は。


 愁思郎の全力のパンチと同等――いな、それ以上の威力だ。


(……全身義体のサイボーグ!)


 この男も、愁思郎と同じ。その見た目こそ常人と変わらないが、身体のほとんどを機械と入れ替えた、重装甲のサイボーグだ。


「油断していたようだね」


 仰向けになって床に転がり、酩酊感めいていかんに酔いながら愁思郎は結城の声を聞いていた。あまりの威力に、耐ショック機構が衝撃を吸収しきれない。生身の脳にまで衝撃が届いている。


「さて、非常に残念ではあるが……君がこちらの誘いを蹴って、立ちふさがると言った以上」


 結城は酷薄こくはくな笑みを浮かべる。


「ここで君を殺さなきゃいけないな」


 ゆっくりと愁思郎に近寄る結城。

 先程のパンチといい、凄まじい膂力を持っている男だ。


 愁思郎の体でも、結城の攻撃を無抵抗に喰らい続ければ、いつかは壊れてしまうだろう。

 結城正誤は愁思郎を破壊しうる、稀有けうなサイボーグなのだ。


(ヤバい……!)


 死ぬと思った。

 このままでは確実に死ぬ。


 にも関わらず、愁思郎の手足は動かない。まだ疑似神経が、先程のショックから立ち直っていない──万事休ばんじきゅうす。


「終わりだ……」


 結城による死の宣告。命運ここに尽きたか、愁思郎はごくりと唾を呑む。


「させるかぁーーっ!」

「おっと」


 結城が咄嗟とっさに飛び下がる。

 その鼻先を人影が超高速で通過した――梓だ。遅ればせながら参上した梓が、結城に襲いかかったのだ。


 初撃は超高速の飛び蹴り。

 パワーに劣る梓の攻撃でも、十分な加速をつけて放つ全体重を乗せた飛び蹴りなら、十二分な威力が出せる。


「また随分と早い増援だな」


 飛び下がった結城は、油断なく構えながら、ひとりごちる。


「余程愁思郎君のことが心配だったのかな?」

「うっさいわねっ!」


 その言動は余裕の現れだろうか、なお挑発してみせる結城。

 梓は挑発にのった。


 再度、結城に攻撃を仕掛ける。

 速度に任せた正面からの突撃――に見せかけて、急に方向転換。


 床を、壁を、天井を。

 その場に存在する全ての平面を足場にした三次元跳躍さんじげんちょうやくによる高速機動。


 目くらましと牽制、そして加速を稼ぐ動きだ。

 そしてそこから放たれる、予測不能な超高速の一撃。


「はああぁぁぁっ!」


 結城の背後から、梓は襲いかかる。

 総身を一本の矢にして放つ、必殺の飛び蹴り。


「――甘い!」


 死角からの超高速の攻撃を、結城は難なく反応してみせた。背後へ振り返ると同時に、迫りくる梓の脚をキャッチ。


 わずかに力のベクトルを変えるように手をひねる。

 梓は自らのキックの勢いでバランスを失い、投げ飛ばされた。


「きゃっ!」


 十メートルは吹き飛ばされ、床に叩きつけられる梓。

 愁思郎は瞠目どうもくする。


 何という男だ。梓の超高速の跳躍を完全に捉えていたというのか。


(センサー類の性能か? ……いや)


 ようやっと擬似神経が元に戻り始めた。起き上がりながら愁思郎は考える。

 

 いくらセンサー類で梓の動きを捉えられたとしても、それで反応できるかは別だ。

 どれほど体を機械に入れ換えたとしても、動かしている脳までは機械化できていないのだ。


 人間が何かを知覚・認識し、反応し、行動を移すまでのプロセスは、サイバネティクスで高速化できるものではないのである。

 ではどうやって梓の動きを捉えたのか?


「簡単なことだよ。君のガールフレンド――南条さんと言ったかな。彼女の動きはどれだけ速くても直線だ。足場から足場へ、面から面へ、いくつもの直線の組み合わせで、複雑な軌道を描いているように見せているにすぎない。ビリヤードみたいなものさ。要点さえ抑えれば、次の軌道、攻撃のタイミングを読むのは難しいことじゃない」

「……」


 愁思郎は歯噛はがみする。

 簡単なことだと? それがどれだけの研鑽と修羅場をくぐり抜けた人間の境地か分かっているのだろうか。


 この男、ただの思想犯ではない。ただ高性能な義体を持ったサイボーグでもない。

 恐ろしいほどの技術を持った、凄腕の戦士だ。


「これが今の機甲特務課か。先は楽しみだが、まだまだ青いな」

「……?」


 結城はと言った。まるでかつての機甲特務課を知っているかのように。

 愁思郎の疑問を他所に、渋沢が口を挟んだ。


「結城さん、時間です」

「おっとどうやら遊びすぎたようだ。今日のところは失礼するとしよう」


 結城は無造作に壁を殴りつけると、それだけで地響きのような轟音と共に壁に穴が開く。


 結城は壁をぶち破ると、渋沢に肩を貸す。

 渋沢の肩を担いだまま、結城は地上五階の高さを物ともせずに身を投げ出した。


「なっ⁉」


 愁思郎はきしむ体に鞭打むちうって、壁に近寄る。壁に開いた大穴からは、林立するビル群が見えた。


(消えた?)


 目をらすが見当たらない。

 近くのビルへ飛び移ったのか。それとも地上まで飛び降りて、群衆に紛れたのか。

 結城正誤の姿は、忽然こつぜんと消えてしまった。


「……くそ」


 愁思郎は行き場のない悪態をついた。

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