第一章 全身義体Ⅳ

「へぇ……裏社会にも噂くらいは流れてるんだな」

 

 愁思郎しゅうしろうは否定しなかった。

 男は目を見張みはる。

 

 全身義体ぜんしんぎたい――脳以外のほぼ全ての肉体を機械へと置き換える、国の定めた厳しい基準をクリアしなければ出来ないサイボーグ化である。

 

 何故なぜそれ程までに全身義体が規制されているかと言えば、それは性能が高すぎるからだ。


 生身の部分がほとんどないがゆえに、全身義体のサイボーグの耐久力は一般的なサイボーグから抜きん出ている。


 装甲車そうこうしゃ――否、戦車せんしゃクラスの頑強性タフネスを持っているのだ。

 その性能の高さは、愁思郎を見れば分かるというものだろう。


「ちくしょう! もう一度だ。行けスティール‼」

「■■■■■■■■■■■■ッッ‼」


 男の声に呼応して、再度スティールは愁思郎に突進。

 豪快な右ストレートを愁思郎に向けて放つ。


「はッ!」


 愁思郎もパンチを繰り出して迎え撃つ。


 スティールの拳と愁思郎の拳が正面衝突。

 真っ向からの力比べだ。

 

 ガキィンッ‼


 鉄の拳が超高速で交錯こうさくする──物理法則の断末魔だんまつまとでも呼ぶべき耳障(みみざわ)りな衝撃音が鳴り響いた。


「――■■■■■■■ッ⁉」


 力比べの結果は先の突進とは真逆。

 今度はスティールが吹き飛ばされた。


 筋骨隆々の重量感にあふれる巨躯きょくが、はじかれたように宙を舞って壁に激突。

 もうもうと砂煙すなけむりが舞う。

 

 そのボディのサイズに似合わぬ剛力ごうりき――これも全身義体のサイボーグの強みだった。


 手足を機械化しただけの、普通のサイボーグならこうはいかない。生身の部分が機械の四肢ししの出力についていけず、反動で壊れてしまうからだ。


 いくらスティールが並外れた体躯たいくを持ち、機械化された高出力の義手を装備しようと、出せるパワーには限界がある。


 しかし全身義体である愁思郎に、その限界は存在しない。

 力勝負になれば、愁思郎に敵うわけがないのだ。

 

 立ち込める砂煙の中、愁思郎はスティールに向かって跳躍ちょうやく。スティールの大きな頭を鷲掴わしづかむと、そのまま後頭部を壁に向けて思い切り叩きつけた。


「ッ…………■■ッ!」


 両腕が義手でも、頭部は普通の人間と変わらない。

 スティールは意識を失い、動かなくなった。

 

 愁思郎はスティールから、男へと視線を向ける。


「ひっ……!」


 男は息を呑んだ。

 ただでさえ薄かった愁思郎の表情がさらに薄い。


 能面のうめんのような無表情――その奥底に怒りを秘めた、射貫いぬくような目。それが男には恐ろしかった。


「……化け物」

「俺は化け物じゃない――」


 人間だ。

 そう言おうとして、しかし言葉が出なかった。


 それがどうしてなのか、愁思郎には分からない――否、本当は分かっている。だが分かりたくなかった。


「あんたさっき……飼っているって言ったよな」

「……あ?」

「この男を飼っているって言ったよな」


 愁思郎は視線でスティールを示す。


「雇っているんじゃなかったのか? 飼っているっていうのは、どういう意味なんだ?」

「ああ……?」


 男には愁思郎が何を問うているのか理解できない。

 この華奢きゃしゃな少年の姿をした化け物は、一体何を言っているのか?


「こんな暴れるだけが能のケダモノ、誰が雇うかよ。それよか言うこと聞くように薬で手懐てなずけて、飼いならすほうが余程よほどいいだろうが」


 そう。この男には黒人サイボーグのスティールを同列に――人として扱うという発想がないのだ。

 だから愁思郎が何を言っているのか分からない。


「……そうか」

「──ッ!」


 愁思郎は拳を振りかぶった。

 それは男にとって、大砲を突きつけられたに等しい。反射的に身を強張らせ、防御の姿勢を取るが、気休めにもならない。


 愁思郎の拳が男のみぞおちにめり込む。

 男は十メートルほど吹っ飛んで、意識を失った。




 倉庫の外。少し離れたワンボックスの陰で、あずさ涼子りょうこが倉庫の様子をうかがっていた。


 最後に鈍い音がして、倉庫から乱闘の音がしなくなる。

 程なくして倉庫の中から愁思郎が顔を出した。


「終わったみたいね」


 ひかえていた梓がひとりごちる。


「あ〜あ、また愁思郎にいいとこ持って行かれた」

愚痴ぐちらないの」


 涼子がたしなめるが、それでも梓はねたように小石を蹴った。その様子に苦笑しながら涼子は無線のスイッチを入れる。


『包囲している麻薬取締官に通達。倉庫内の制圧を完了。繰り返す、倉庫内の制圧を完了。突入し身柄を確保せよ』

『了解』


 無線を終えると同時に、物陰で控えていた麻薬取締部の面々が倉庫へ向かっていく。

 倉庫から顔を出した愁思郎は、一番近くにいた麻薬取締官に一礼。


「後はお任せします」

「ッ……! お疲れ様です!」

 

 相手の取締官は引きつった表情で返礼した。礼儀正しく頭を下げる愁思郎の背後に、阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図を見たからだ。

 

 ある者は白目をいて気絶し、ある者は手足を折られ悶絶もんぜつしている。

 誰一人死んではいないのに、そこには圧倒的な暴力の痕跡あとが見て取れる。


 この光景を作りだした愁思郎が、華奢きゃしゃで小柄な少年であるだけに、余計に不気味に思えるのだ。


 見た目にだまされるな──コイツは人間の恰好かっこうをしているが、明らかに人間ではない、と。


 他の麻薬取締官たちは、愁思郎を遠巻きに見てささやき合う。


「あのガキ本当に人間か? あれだけ大立ち回りして無傷って、あり得ないだろ」

「人間大の兵器だな」

「あんなのが癇癪かんしゃくを起こして暴れ回ったら……考えただけでゾッとするな」

「脳みそ以外は機械なんだろ。仕事の時以外は脳を切り離しておけばいいのに」


 普通の人間なら聞き取れないであろう麻薬取締官たちのささやき声を、愁思郎の高性能な耳はとらえていた。

 聞きたくなかたっが、それでも聞こえてしまうのだ。


「…………」


 表情を変えることなく、愁思郎はワンボックスに向かって歩く。

 その前を通る者はいなかった。愁思郎の前をその場の人間全員が空ける。


 まるで海を割ったモーゼのようだ。

 彼らの顔にあるのは、敬意けいいではなく畏怖いふ。恐ろしいものには近づかない。れ物に触るような空気が流れている。


(この空気には慣れないな……)


 それらに疲れた顔をして、愁思郎は涼子と梓の待つワンボックスへ戻った。


「任務完了しました」

「ご苦労様」

「アンタのせいで、私の仕事がなくなっちゃったじゃない」


 涼子がねぎらい、梓が憎まれ口を叩く。

 愁思郎は肩をすくめ、乾いた笑みを浮かべた。



 


 愁思郎たちが倉庫で麻薬組織を摘発していた頃。


「へぇ……」


 とあるビルの屋上、一人の男が落下防止フェンスに腰掛けていた。

 三十階以上ある高層ビルの屋上は風が激しい。一つ間違えば、頭から百メートル下へ真っ逆さまだ。


 しかし男に恐れている様子はない。

 死を恐れていない――いな、たとえ落ちたとしても死ぬとは微塵みじんも思っていないのだ。


 ひと際強く風が吹いて雲が流れると、隠れていた月が顔を覗かせる。

 ほのかな月明かりが男を照らした。


 象牙色ぞうげいろのコートを着た若い男だった。

 銀色の髪が風にたなびき、月の光を受けてキラキラと輝く。


 整った顔立ちで、理性的な笑みの奥にギラギラと野性的な光を帯びた瞳をしていた。


 均整きんせいのとれた体格で背は高く、一見細身に見えるが、弱弱しい印象は受けない。

 モデルかバレエダンサーのようだった。


結城ゆうきさん、何か気に入るものでも見つけましたか?」


 銀髪の美丈夫びじょうふ――結城の後ろから、くたびれた声がする。


 くたびれた声に違わず、言った人物もくたびれた印象の男だった。

 よれたスーツによれたコートといういで立ちの中年男で、あまりにも特徴がない。


 雑踏ざっとうの中に入れば、すぐにでもまぎれてしまいそうだ。

 唯一そこらの中年男性と違うのは、全身から発せられる胡散臭うさんくささだった。


「ああ、良い物を見せてもらったよ。渋沢しぶさわ


 結城の上機嫌な返答に、くたびれた男――渋沢は片眉をピクリと上げた。


「ほう、あなたがそんなに気に入るとは。一体何を見つけたんです?」

「見てなかったのか?」

「無茶言わんでください。見えませんよ」


 渋沢はやれやれと肩をすくめた。


「ここからどれだけ離れていると思ってるんですか」


 このビルは機甲特務課きこうとくむかが麻薬組織を制圧した倉庫から、一キロ近く離れているのだ。肉眼で見える訳がない。


「あんたの目、高性能マイクロコンピュータ内蔵の義眼じゃなかったか」

「私の目は電子情報を見ることに特化しているんです。望遠鏡の代わりにはなりませんよ」

「そうだった」


 結城は腕を組むと、事の顛末てんまつを説明する。


「……それで特務課の人員と思われる少年が、中の奴らと用心棒のサイボーグ、全員制圧してしまった」

「それはそれは」


 感心したように返事をしつつ、渋沢は首をひねった。


「しかしそれだけなら他の治安維持組織の連中と変わらないのでは? あなたは何が気に入ったんですか?」

「……目だな」

「目?」

「ああ」


 うなずく結城。


「今の現実に心が追いついていない。そういう目をしていた」

「…………」

「あれは昔、俺もしていた目だ──いや、今もかな」

「なるほど」


 納得したように、渋沢もうなずいた。


「それは見込みがありそうですね」

「だろう?」


 さて――結城は肉食獣のような獰猛どうもうな笑みを浮かべる。


「どんな誘い文句を用意しようか」

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