第一章 全身義体Ⅳ
「へぇ……裏社会にも噂くらいは流れてるんだな」
男は目を
生身の部分が
その性能の高さは、愁思郎を見れば分かるというものだろう。
「ちくしょう! もう一度だ。行けスティール‼」
「■■■■■■■■■■■■ッッ‼」
男の声に呼応して、再度スティールは愁思郎に突進。
豪快な右ストレートを愁思郎に向けて放つ。
「はッ!」
愁思郎もパンチを繰り出して迎え撃つ。
スティールの拳と愁思郎の拳が正面衝突。
真っ向からの力比べだ。
ガキィンッ‼
鉄の拳が超高速で
「――■■■■■■■ッ⁉」
力比べの結果は先の突進とは真逆。
今度はスティールが吹き飛ばされた。
筋骨隆々の重量感にあふれる
もうもうと
そのボディのサイズに似合わぬ
手足を機械化しただけの、普通のサイボーグならこうはいかない。生身の部分が機械の
いくらスティールが並外れた
しかし全身義体である愁思郎に、その限界は存在しない。
力勝負になれば、愁思郎に敵うわけがないのだ。
立ち込める砂煙の中、愁思郎はスティールに向かって
「ッ…………■■ッ!」
両腕が義手でも、頭部は普通の人間と変わらない。
スティールは意識を失い、動かなくなった。
愁思郎はスティールから、男へと視線を向ける。
「ひっ……!」
男は息を呑んだ。
ただでさえ薄かった愁思郎の表情がさらに薄い。
「……化け物」
「俺は化け物じゃない――」
人間だ。
そう言おうとして、しかし言葉が出なかった。
それがどうしてなのか、愁思郎には分からない――否、本当は分かっている。だが分かりたくなかった。
「あんたさっき……飼っているって言ったよな」
「……あ?」
「この男を飼っているって言ったよな」
愁思郎は視線でスティールを示す。
「雇っているんじゃなかったのか? 飼っているっていうのは、どういう意味なんだ?」
「ああ……?」
男には愁思郎が何を問うているのか理解できない。
この
「こんな暴れるだけが能のケダモノ、誰が雇うかよ。それよか言うこと聞くように薬で
そう。この男には黒人サイボーグのスティールを同列に――人として扱うという発想がないのだ。
だから愁思郎が何を言っているのか分からない。
「……そうか」
「──ッ!」
愁思郎は拳を振りかぶった。
それは男にとって、大砲を突きつけられたに等しい。反射的に身を強張らせ、防御の姿勢を取るが、気休めにもならない。
愁思郎の拳が男のみぞおちにめり込む。
男は十メートルほど吹っ飛んで、意識を失った。
倉庫の外。少し離れたワンボックスの陰で、
最後に鈍い音がして、倉庫から乱闘の音がしなくなる。
程なくして倉庫の中から愁思郎が顔を出した。
「終わったみたいね」
「あ〜あ、また愁思郎にいいとこ持って行かれた」
「
涼子がたしなめるが、それでも梓は
『包囲している麻薬取締官に通達。倉庫内の制圧を完了。繰り返す、倉庫内の制圧を完了。突入し身柄を確保せよ』
『了解』
無線を終えると同時に、物陰で控えていた麻薬取締部の面々が倉庫へ向かっていく。
倉庫から顔を出した愁思郎は、一番近くにいた麻薬取締官に一礼。
「後はお任せします」
「ッ……! お疲れ様です!」
相手の取締官は引きつった表情で返礼した。礼儀正しく頭を下げる愁思郎の背後に、
ある者は白目を
誰一人死んではいないのに、そこには圧倒的な暴力の
この光景を作りだした愁思郎が、
見た目に
他の麻薬取締官たちは、愁思郎を遠巻きに見てささやき合う。
「あのガキ本当に人間か? あれだけ大立ち回りして無傷って、あり得ないだろ」
「人間大の兵器だな」
「あんなのが
「脳みそ以外は機械なんだろ。仕事の時以外は脳を切り離しておけばいいのに」
普通の人間なら聞き取れないであろう麻薬取締官たちのささやき声を、愁思郎の高性能な耳はとらえていた。
聞きたくなかたっが、それでも聞こえてしまうのだ。
「…………」
表情を変えることなく、愁思郎はワンボックスに向かって歩く。
その前を通る者はいなかった。愁思郎の前をその場の人間全員が空ける。
まるで海を割ったモーゼのようだ。
彼らの顔にあるのは、
(この空気には慣れないな……)
それらに疲れた顔をして、愁思郎は涼子と梓の待つワンボックスへ戻った。
「任務完了しました」
「ご苦労様」
「アンタのせいで、私の仕事がなくなっちゃったじゃない」
涼子が
愁思郎は肩をすくめ、乾いた笑みを浮かべた。
愁思郎たちが倉庫で麻薬組織を摘発していた頃。
「へぇ……」
とあるビルの屋上、一人の男が落下防止フェンスに腰掛けていた。
三十階以上ある高層ビルの屋上は風が激しい。一つ間違えば、頭から百メートル下へ真っ逆さまだ。
しかし男に恐れている様子はない。
死を恐れていない――
ひと際強く風が吹いて雲が流れると、隠れていた月が顔を覗かせる。
ほのかな月明かりが男を照らした。
銀色の髪が風にたなびき、月の光を受けてキラキラと輝く。
整った顔立ちで、理性的な笑みの奥にギラギラと野性的な光を帯びた瞳をしていた。
モデルかバレエダンサーのようだった。
「
銀髪の
くたびれた声に違わず、言った人物もくたびれた印象の男だった。
よれたスーツによれたコートといういで立ちの中年男で、あまりにも特徴がない。
唯一そこらの中年男性と違うのは、全身から発せられる
「ああ、良い物を見せてもらったよ。
結城の上機嫌な返答に、くたびれた男――渋沢は片眉をピクリと上げた。
「ほう、あなたがそんなに気に入るとは。一体何を見つけたんです?」
「見てなかったのか?」
「無茶言わんでください。見えませんよ」
渋沢はやれやれと肩をすくめた。
「ここからどれだけ離れていると思ってるんですか」
このビルは
「あんたの目、高性能マイクロコンピュータ内蔵の義眼じゃなかったか」
「私の目は電子情報を見ることに特化しているんです。望遠鏡の代わりにはなりませんよ」
「そうだった」
結城は腕を組むと、事の
「……それで特務課の人員と思われる少年が、中の奴らと用心棒のサイボーグ、全員制圧してしまった」
「それはそれは」
感心したように返事をしつつ、渋沢は首を
「しかしそれだけなら他の治安維持組織の連中と変わらないのでは? あなたは何が気に入ったんですか?」
「……目だな」
「目?」
「ああ」
「今の現実に心が追いついていない。そういう目をしていた」
「…………」
「あれは昔、俺もしていた目だ──いや、今もかな」
「なるほど」
納得したように、渋沢も
「それは見込みがありそうですね」
「だろう?」
さて――結城は肉食獣のような
「どんな誘い文句を用意しようか」
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