第二章 蠢く気配 Ⅰ
暗い。
熱い。
痛い。
頭の中はその三つで埋めつくされる。
炎の中、
愁思郎も肉が潰れ、骨が砕けた――致命傷だ。今は辛うじて生きているが、それもすぐに終わる。
自分の命が風前の灯火であると自覚していた。
ああ何で、何でこんなことになってしまったのだろう。
愁思郎は普通に暮らしていた。
何も悪い事なんてしなかったはずなのに。
どうしてこんな目に遭うのか理解できなくて、愁思郎は理不尽を呪った。
「――――はぁ」
大きく息を吐いて、愁思郎は目を覚ました。
ベッドの上で上体を起こす。
呼吸が荒い。嫌な汗が背中を伝う――ような感覚を覚えた。今の愁思郎の身体には、汗をかく機能なんてないのに。
「また見るなんてな……」
愁思郎はかぶり振る。
今のは二年前、愁思郎が生身の身体を失った時の記憶だ。
あれからそれなりに時間は経ったというのに、まだ時折夢に見る。
心理的外傷。トラウマやPTSDと呼ばれる類のものだ。
愁思郎は大きな事故に巻き込まれ、身体と家族を失った。正直その時のことはあまり覚えていないが、それでも時折断片的な記憶が唐突に思い出されるのだ。
暗く、熱く、痛い――苦しみと悲しみの記憶が。
(何で生きてるんだろう、俺は……)
高度な機器を使って生存する代わりに、サイバネティクスを施された人物は公的機関の
何でも瀕死の愁思郎の脳波を調べた結果、愁思郎の生存本能は一定の
今の愁思郎には信じられなかった。
二年経った今も悪夢に悩まされ、自分の生きている意味も見出せない。死んだ方が良かったのではないかと、何度思ったか分からないでいるのに。
憂鬱な気分だ。朝から気が
「シャワーでも浴びよう」
湯を浴びて滅入った気持ちを洗い流したい。
愁思郎はベッドから降りて浴室に向かう。
部屋を出て短い廊下を進むとすぐに浴室だ。
「――え」
「え……」
双方から間の抜けた声が
梓はちょうど服を着ている最中で、下着を付けている途中。
半裸――というか全裸に近い状態だった。
空気が凍り付いた。
双方、状況に脳みそが対処しきれないでいる──しかし、それも一瞬。
刹那のうちに梓の頬が薄桃色から真っ赤に変わる。
「キャ――――――ッ!」
梓が悲鳴を上げるのと、
「ぐほぁ……!」
梓の放つ
「ホントにサイテー! 信じらんない!」
梓は顔を赤らめたまま、憎まれ口を叩きつづける。
ここは3LDKのマンション。愁思郎は梓、涼子と一緒に生活をともにしており、ここは一応官舎あつかいの建物になっている。
公的な援助を受けて、保護官である涼子のもとで暮らしている――というのが二人の表向きの設定だ。
「さっきのは不可抗力だよ」
キッチンで朝食を作りながら、愁思郎は抗議した。生活の場を同じくしている以上、時折さっきのような事故は起きてしまう。
「何が不可抗力よ! 私がいつも朝シャワー浴びてるの知ってるでしょ‼」
梓は毎朝のトレーニングを日課にしている。脚は機械のサイボーグでも、上半身は生身の身体だ。
鍛えなければ強くはならないし、油断して食べ過ぎれば太りもする。
女子としての美意識に基づく価値観から、細身の体型を維持するため。そして戦闘中に不覚を取らないため。
梓は毎朝のトレーニングを欠かさないのだ。
「寝ぼけてたんだよ。ド忘れしてた」
「どうだか」
「本当だって」
「
「……悪かったよ」
(美少女って自己申告制なのか?)
と、頭に浮かんだ疑問符を言おうとして止めた。
ここで余計なことを言っても、いいことはない。素直に謝っておくのが吉だ。
「フン、だいたいいつもは朝シャワー浴びないくせに、どうして今日に限ってお風呂に入ろうとしたのよ」
「いいだろ別に。そんな日もある」
言いながら愁思郎はフライパンに集中する。
大した料理ではない。作っているのはベーコンエッグだ。
だがベーコンを焦がさない程度にカリカリにしつつ、目玉焼きを半熟にするにはコツがいる。
少なくとも愁思郎はそう思っている。
(よし今だ)
火を止め、フライパンから大皿へベーコンエッグを移す。
「梓、ご飯できたから涼子さん呼んできて」
いくら愁思郎が
それくらいの配慮はある。
「涼子まだ起きてないの? 大人のくせにだらしないわね」
「そう言わないであげなよ。昨日も忙しかったみたいだし、疲れてるんだろうから」
「はいはい」
梓が涼子の部屋へと向かった。その間に愁思郎は出来上がった料理を、テーブルに並べる。
ベーコンエッグにトースト、コーヒーと野菜ジュース。
いつも通りの、ありふれた朝食だ。
「……おはよ〜」
寝間着のまま、のっそりと涼子がリビングに出てきた。まだ目がとろんとしている。
彼女は朝が弱く、目が覚めても中々意識が
普段がしっかりしているだけに、この無防備な姿は涼子を幼く見せていた。
「おはようございます。朝ごはんもう出来てますよ」
「……いつもありがとうね」
「どういたしまして」
二人のやり取りを見ていた梓が、じれったそうにテーブルについた。
「ああーお腹減った。早く食べましょ」
「そうだね」
「……そうしましょう」
愁思郎と涼子もテーブルにつく。
「「「いただきます」」」
家にいる時はできるだけ一緒に食事を取る。それがここでの生活のルールだった。
最初は戸惑ったもののすぐに慣れ、ずっと続いている。
同じ釜の飯を食うという言葉があるが、馬鹿にしたものではないと愁思郎は思う。
何となくではあるが、確かに三人の絆や結束を強めている気がするのだ。
コーヒーを飲んで、ようやっと涼子も頭が冴えてきたらしい。ふと気付いたように梓を見やる。
「ねぇ梓、あなた今日顔が赤くない? 風邪でもひいた?」
「ふぇっ?」
梓が妙な声をもらす。
「べ、別に風邪なんてひいてないわよ」
「んん〜?」
その視線から逃げるように顔を逸らしつつ、梓が横目で愁思郎を
「愁思郎、あなた何かやったの?」
「…………」
(言うべきか、言わざるべきか……)
愁思郎が悩んでいると、梓の
「俺は別に何もしていませんよ」
「本当?」
涼子はじっと愁思郎を見る。
愁思郎は少しだけ、この観察するような涼子の目が苦手だった。秘めた胸の内さえ見抜かれるような、そんな気がするからだ──そしてそれはただの
「ははーん。なるほど」
涼子がニヤリと笑って
「さてはお風呂場でばったりとか、ベタなトラブルをやらかしたわね」
「ちょっ!」
愁思郎より先に、梓が反応する。
「なななな、何で分かるのよ! ひょっとして起きてたの⁉」
梓の頬が
その様子を面白くてたまらないといった表情で、涼子は
「やっぱり――その様子だと思った通りみたいね」
「〜〜〜ッ〜〜〜!」
顔を真っ赤にして、梓は言葉が出ない。涼子にカマをかけられ、恐ろしいほどキレイに引っかかってしまった。
「本当に大した洞察力ですね。涼子さんに隠し事はできない」
愁思郎の賞賛に涼子は得意げに鼻を鳴らすした。
赤沢涼子は二人の保護者であり上司──そして優れたプロファイラーでもあるのだ。
プロファイラーとは、プロファイリング――統計的なデータを元に、犯罪者のパターンを割り出し、犯人の特徴を推定する捜査方法――を行う捜査官の事。
涼子は中でもその方面に精通し、話している相手の言動、仕草、表情などから様々な情報を読み取るスペシャリストなのである。
「いや、まさかそんなベタなイベントが寝てる間に起きてたなんて。面白そうな場面を見過ごしちゃったわね――ぷぷ」
「笑ってんじゃないわよ! ていうか、引っ付こうとしないで!」
「梓って反応が素直だから可愛いわ」
「人の話聞いてた⁉」
涼子が梓を抱きしめようとし、梓は涼子を引き剥がそうとする。こうして見ると歳の離れた姉妹のようで
梓に無理やり頬ずりしながら、何気ない風に涼子は言う。
「それで……愁思郎は何に悩んでるの?」
「――え?」
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