第二章 蠢く気配 Ⅱ

 それは本当に唐突な問いだったので、愁思郎しゅうしろうもすぐには対応できなかった。


「何のことですか?」

誤魔化ごまかしても無駄よ。何か悩み事があるんでしょ」


 涼子の琥珀色こはくいろの瞳が、まっすぐに愁思郎を見据える。

 またあの目だ──全てを見透かし、心の奥底の闇さえ白日の下にさらしてしまう目。


「悩みなんて大したものじゃないですよ。また昔の事を夢に見て、気が滅入っただけです」

「昔って二年前の事?」

「ええ……」


 うなずく愁思郎。


「イヤになりますよ。もう二年も経つのに未だに思い出しては、気が滅入る」

「それは表層的なことにすぎないわ」


「表層的?」

「夢っていうのはね、心理学や脳科学の分野では見ている人間の心理状況が反映されたものだっていうのが通説なの。人は夢をみることで、自分の思考や精神を整理する」


「なんか少しオカルトっぽくないですか。精神を整理って」

「あなたの残された肉体である脳が、そういう反応を示しているのよ。蔑ろにするべきじゃない」


「未だに過去のことが心の中で整理がついてないってことですか? でもそれは、今に始まったことじゃないでしょ」

「そうね。だからその理解は表層的だって言ったの。二年前の事を今思いだしたのには、何か直近のことで理由があるはずだわ」


 これ以上は誤魔化せそうにない。

 否応いやおうなしに直視せざるをえなかった。愁思郎が抱えている、根本的な疑問を。


「先日、麻薬組織を制圧したじゃないですか。その時に戦ったサイボーグのことなんですけど」

「確かスティールだったかしら。通称だけで本名はまだ確認できてないけど」


「ええ、そのスティールです。あいつは――人間扱いされていませんでした」

「…………」

「薬と洗脳で操られて──ただの兵器として、実を守るための防衛装置としてしか、扱われていなかった」


 それを他人事だとは思えなかった。

 麻薬組織に戦闘用のコマとして飼われていたスティールと、機甲特務課として戦いながら畏怖いふの目を向けられ、化物扱いされる愁思郎と──一体何が違うというのだろう?


 戦う為だけに存在し、それでしか評価されないというのなら、上月愁思郎とは何なのか。


「俺は――


 それが愁思郎自身も形にしようとしていなかった、心の奥底に芽生えた不安であり問い。


 自分は人間なのか?

 それとも兵器なのか?


 考えずにはいられなかった。

 

 涼子は答える事なく、難しい顔をして黙っている。

 重たい沈黙が流れた。


「馬鹿じゃないの、そんな事で悩むなんて」


 重苦しい空気をかき消すように梓は力強く言った。


「私たちは兵器よ。それも特別優秀な」


 悩むことそのものを否定するような、迷いのない声だった。


「私たちは秩序ちつじょ維持いじ、平和への貢献こうけんとして社会の役に立っている。それでいいじゃない。人間だろうが機械だろうが構わない。誰かの役に立てて、自分の存在価値そんざいかちを証明できるのなら」


「……俺たちを怖がって、評価しない人もいるけどね」

「そんなの気にすることないわ。私たちが頑張って守れたもの、解決できた事件、無駄な犠牲を出さずにすんだ事は一つや二つじゃない。それが分からない奴なんて、放っておけばいいのよ」

「……そうだね」


 納得はしていない。

 だが理解できないわけじゃない。梓の言うことは、それはそれで正しい。


「アンタは強いくせに、うじうじつまんない事で悩みすぎなのよ」


 



 西暦が2040年代に入り、科学技術は人類の予想をはるかに上回る速さで発展した。

 そうした技術革新の中で、実用化されたのが人体工学サイバネティクス

 肉体の機械化──筋電義肢きんでんぎしの実用化である。


 現在では本物の肉体と遜色そんしょくないレベルで精密せいみつな動きができる義肢ぎしが、一般に流通している。


 これらの義体化技術サイバネティクスは、生まれつき手足がない、または事故で手足を失った者を大いに勇気づけるものであり、社会はその技術を歓迎かんげいした。


 ――


 テクノロジーが一般化されれば、それにともなって社会構造の変化や新たな問題が発生する。

 それはサイバネティクスについても同様だった。


 実用化された義肢はあまりも精巧精密せいこうせいみつ

 また技術が進歩するに連れ、本物の手足以上の性能を発揮するようになった。

 

 するとどうだろう。

 四肢しし欠損けっそんなどの理由がないにも関わらず、自分の手足を義肢に変えたがる人間が出始めたのだ。


 最初は身障者しんしょうしゃだった。

 腕や脚はあるものの、生まれつき動かない。


 こんな役立たずな手足ならば、切り捨てて新しい機械の手足に変えてしまおう──そんな考えが出るのも無理からぬことであったが、しかしこの考えはエスカレートした。


 身障者ではなく、健常な肉体を持つものまでも、機械の身体を欲しがった。

 今の身体を脱ぎ捨てて、新しい自分になる──ある種の変身願望といえるかもしれない。


 過度に発展した科学技術は、ついに人間から自身の身体に対する執着しゅうちゃくさえも奪ってしまったのだ。


 そうした考えから手足を機械化した者は更なる高みを求め、己の義肢に改造を施すようになり──ついには日常生活には不必要なほど高出力だったり、武器を仕込んだ義肢を手に入れるようになった。


 強い変身願望と、実際に強力な手足。

 この二つが合わさった事で、一部の人間の倫理観りんりかんが崩壊。連日サイボーグが事件を起こすようになり、社会問題にまで発展した。


 こうして国は正当な理由と正式な申請のない限り、サイバネティクスを施すことを禁止――不必要な肉体の機械化を禁じるようになった。


 そういう経緯けいいを経て今の社会と常識が成り立っているが故に、今の日本ではサイボーグは白眼視される場合が多い。


 公にはそれらの差別はよくないという風に言われているが、一般の市民からの見方を変えるには至っていなかった。


 誰もが心の奥底で、サイボーグを差別的にみる風潮が確かにある。

 人はいつの時代も、理解できないもの、通常の範疇はんちゅう逸脱いつだつしたものを排斥はいせきする。


 それが肌の色の違いや人種、持って生まれた障害から、機械の身体へと排斥の対象が変わっていったという事なのだろう。 


「それが普通。それが当たり前」


 愁思郎も理解はしている。

 今の世の中が、そういうものであると分かっている。


 それでも愁思郎は、サイボーグが人間扱いされないこの世界で、自分の事を人間だと思いたかった。


 ただ――それを支える根拠がないのだ。


(ただでさえ、俺は生身の部分が少ないからな……)


 愁思郎は事故で身体の大部分を失った。

 生身の部分は脳だけで他は義手、義足、義眼。人工筋肉に人工臓器と、身体の九割方が機械で構成されているのだ。


(こんな奴のどこが人間だっていうんだよ)


 答えは思い浮かばない。

 それでも人間であると、胸を張って言いたい。


 だが考えれば考えるほど、愁思郎は『自分は人間だ』と思いこんでいるロボットのように思えてしまうのだ。





 同日、愁思郎たちのいるマンションから少し離れた、隣町の繫華街。

 その路地裏で三人の男がたむろしていた。

 

 一人は象牙色ぞうげいろのコートに身を包んだ銀髪の美丈夫――結城。

 もう一人は、くたびれたスーツ姿の中年男性――渋沢だ。

 

 そしてその二人の前に、やつれた風貌ふうぼうの男がいた。

 シワの目立つ黒いスーツが、男の疲れ果てたような印象を強くしている。


 深い井戸のようなうつろな目をしていて、頬の肉が時折痙攣けいれんしたようにピクピクと動く。

 強い感情を無理矢理押さえ込んでいるのだろうか、まるで決壊寸前けっかいすんぜんのダムのようだ。


「――ホントにいいのかい?」


 結城が心の底から心配そうな声で語りかける。

 その声色にも表情にも、本気の気遣きづかいが見て取れた。


「こちらは武装を用意しただけだ。君が復讐ふくしゅうを遂げた後の逃走経路とうそうけいろまでは、時間が足りず用意できなかったが」

「……気にしないでください」


 やつれた風貌の男は首を横に振ると、確かめるように腕をさする。


「必要な物は用意していただきました。私は自分のやるべき事をやるだけですよ」

「そうか……」


 結城は別れを惜しむように微笑ほほえむ。


「君の健闘を祈るよ」

「ありがとうございました、結城さん」


 そう言ってやつれた風貌の男は結城と握手すると、きびすを返して路地裏から表通りへ歩いて行った。


 その背中を結城と渋沢は見送る。

 男の背中が見えなくなってから、渋沢は何とはなしに口を開いた。


「あの人、どうなりますかね」

「十中八九、機甲特務課に制圧されて終わるだろうな」

「……即答しますね」

「迷うようなことじゃない。考えればすぐに分かることさ」


 あっけらかんと答える結城に、渋沢は内心で舌を巻く。男に健闘を祈ると言った舌の根のかわかぬ内にこれである。


(これがこの人の怖いところだ……)


 男を心配していたのが嘘のように、冷静に――冷酷に判断を下す結城。


 この結城という男は役者だ。心にもない言葉を、さも本心のように語れる。

 見事というほかない。


 それなりに付き合いがある渋沢にも、結城の本心や本音が何なのか全く分からない。どれだけ近しい者にも、決して自分の本心を見せないのだ。


 どんな言葉も真実であり、虚飾きょしょくでもある。

 虚実きょじつ入り混じった、とらえどころのない男――それが渋沢から見た結城という男だった。


「しかし良いんですか? あんな良い物をあげちゃって。アレ今でも裏じゃ高いんですよ」

「いいさあれくらい」


 結城は肩をすくめた。


「ただの出力強化だけじゃ、余りにも簡単に制圧されてしまうだろうからね。あれくらいのオマケがあれば、少しは楽しめるようになるだろう」


 まるで新しい玩具おもちゃを手にした子供のように、勇気は無邪気な笑みを浮かべる。


「楽しい……ですか」

「ああ、多分また機甲特務課が出張って来るだろう。それで上月愁思郎がどんな奴なのかを見定める――誘いをかけるのはその後だ」

「…………」

「ふふ、今から本当に楽しみだよ」


 その悪戯いたずらっ子のような顔が、渋沢には禍々まがまがしく見えた。

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